名歌名句鑑賞のblog

心に残る名言、名歌・名句鑑賞。

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若葉さす ころはいづこの 山見ても 何の木見ても 
麗しきかな  
                                                              橘曙覧 
       
(わかばさす ころはいずこの やまみても なんの
 きみても うるわしきかな)

意味・・若葉が萌える頃はどこの山を見ても、また
    そこに生えているどんな木を見ても、心が
    すがずかしく成って来るものだ。

    自然界の清々しい息吹きがさわやかな薫風
    にエネルギーを運んでくるような歌です。

    川端茅舎の次の句が思い出されます。

    朴の花猶青雲の志  (解釈は下記参照)

 注・・麗しき=うつくしい、立派だ、端正だ。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集・524」。

    参考です。

    朴の花猶青雲の志    川端茅舎

    (ほうのはな なおせいうんの こころざし)

      朴の花は五月に咲く。その時辺り一面は、
    目に痛いばかりの新緑である。明るく降り
    注ぐ初夏の陽光に、萌え生じる鮮やかな若
    葉がきらめいている。そんな情景の中に白
    い朴の花は咲くのである。
    見詰めていると、青雲の志を抱き奮闘した
    若き日々が脳裏を駆けめぐる。そして思う
    のだ。「何を弱気になっているんだ。まだ
    まだ、これからだ、まだまだ、これから頑
    張らなくてどうする!」
    次第に力が湧いて来る。忘れかけていた遠
    くから、何か熱いものが腹の底にみなぎっ
    て来る。

春の夜の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 
横雲の空
                藤原定家
            
(はるのよの ゆめのうきはし とだえして みねに
 わかるる よこぐものそら)

意味・・春の夜のはかなく短い夢がふと途切れると、峰
    から別れた横雲が離れ去って行くのが見える。
    曙の空に。まるで男と女の別れの物語のように。

    壬生忠岑の次の本歌により「峰に別るる横雲」は
    つれない夢の内容を暗示しています。

    「風吹けば 峰に別るる 白雲の たえてつれなき
    君が心か」      (意味は下記参照)            

 注・・浮橋=筏や舟を浮かべてその上に板を渡して
       作った橋。たよりない感じがするので
       夢のたとえにされる。
    とだえして=途切れて。

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1162~1241。
   「新古今和歌集」の撰者。

出典・・新古今和歌集・38。

本歌です。

風吹けば 峰にわかるる 白雲の 絶えてつれなき 
君が心か   
                壬生忠岑
            
(かぜふけば みねにかかるしらくもの たえて
 つれなき きみがこころか)

意味・・風が吹くと峰から離れて行く白雲が吹きちぎられ
    て絶えてしまう、その「絶えて」のように、あな
    たとの関係がすっかり途絶えてしまった。なんと
    つれないあなたの心であることだ。

    切ない恋を詠んだもので、通じない我が思いを嘆
    き自分に無関心な相手の女性をくやしく思う気持
    を詠 んだ歌です。

 注・・たえて=「絶える」と「たえて(すっかりの意)」
     を掛ける。
    つれなき=無情だ。

作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。生没年未詳。古今和
    歌集の撰者。

出典・・古今和歌集・601。

いたづらに 過ぐる月日は おもほえで 花見て暮らす 
春ぞ少なき          
                                                         藤原興風

(いたずらに すぐるつきひは おもおえで はなみてくらす
 はるぞすくなき)

意味・・何もしないで過ぎて行く月日は多いとも少ないとも
    なんとも思われないが、いざ春になって花を見る時
    になると楽しい春の日というものは本当に少なく感
    じられる。
    
 注・・いたづら=無為なさま、暇だ。
    おもほえで=思われないで。上に「なんとも」を
       補って解釈する。

作者・・藤原興風=ふしわらおきかぜ。生没年未詳。904年
    正六位。

出典・・古今和歌集・351。

かかる世に かげも変らず すむ月を 見る我が身さへ
恨めしきかな            
                  西行

(かかるよに かげもかわらず すむつきを みるわがみ
 さえ うらめしきかな)

意味・・戦乱の続く世に、常に変る事のない光を放っている
    月が恨めしいことだ。そしてこの世を見てどうしょ
    うも出来ない我が身までも恨めしく思われることだ。

    戦乱の続く世に、変らぬ平和な光を放つ月を羨まし
    く思い、何も出来ない自分を恨めしい思いで詠んだ
    歌です。

 注・・かかる世=このような世。前書きにより、保元の乱
     が起き、崇徳院が思いもよらぬ事に負けてしまい、
     出家してしまった、このような世。
    保元の乱=1156年に皇位継承問題や摂政家の内紛に
     より朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇 方に分裂し、
     双方の武力衝突に到った政変。

作者・・西行=1118~1190。

出典・・歌集「山家集・1227」。

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ねぎごとを さのみ聞きけむ 社こそ はては嘆きの 
森となるらめ  
                  讃岐
               
(ねぎごとを さのみききけん やしろこそ はては
 なげきの もりとなるらめ)

意味・・お参りに来た人の願いをそんなにたくさん聞き
    届けて下さる神様なら、おしまいにはその人達
    の嘆きが木となって立派な森が出来るでしょう。

    信者の嘆きが多いので、それで立派な森が出来
    るという風刺です。

 注・・ねぎごと=神仏への願い事。
    はては=最後に。
    嘆きの森=鹿児島県姶良(あいら)郡にあるという。
         嘆きのきに「木」を掛ける。

作者・・讃岐=さぬき。安部清行(900年没・讃岐守)の娘。

出典・・古今和歌集・1055。

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誰見よと 花咲けるらむ 白雲の たつ野とはやく 
なりにしものを             
                詠人知らず

(たれみよと はなさけるらむ しらくもの たつの
 とはやく なりにしものを)

意味・・誰が眺めようというわけでこの花は咲いて
    いるのだろうか。主人はすでに他界して、
    庭は白雲が空に浮かび、人一人いない野辺
    同然になってしまったのに。
    
    故人の遺族が荒れ野になってしまった庭を
    見て昔を偲んで詠んだ歌です。

    現在も空き家が多く見られます。

 注・・はやく=早くも、もう、すでに。
    白雲のたつ野=白雲が湧き立つ野原。
    なりにしものを=主語は庭と解釈。

出典・・古今和歌集・856。

あら小田を あら鋤き返し かへしても 人の心を 
見てこそやまめ           
                   詠み人知らず

(あらおだを あらすきかえし かえしても ひとのこころを
 みてこそやまめ)

意味・・荒れた田を粗く鋤き返し鋤き返しするように、あの人
    の気持ちを繰り返し繰り返し確かめて、思わしくない
    ならあきらめよう。それまではあきらめたくない。

    恋の歌です。
  
 注・・あら小田=荒れた田。
    あら鋤き=荒く鋤き。「あら」は上の句と音韻を揃えた。
    やまめ=止まめ、諦める。

出典・・古今和歌集・817。

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樫の木の 花にかまはぬ 姿かな   
                    芭蕉

(かしのきの はなにかまわぬ すがたかな)

意味・・春の百花は美しさを競っているが、その中で
    あたりにかまわず高く黒々とそびえる樫の木
    は、あでやかに咲く花よりもかえって風情に
    富む枝ぶりであることだ。

    前書きは「ある人の山家にいたりて」。
    山荘の主人が世の栄華の暮らしに混じること
    なく、平然として清閑を楽しんでいるさまを
    樫の木の枝ぶりに例えて挨拶として詠んだ句
    です。

作者・・芭蕉=ばしよう。1644~1695。

出典・・野ざらし紀行。

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意地悪の 大工の子ども かなしかり 戦にいでしが 
生きてかへらず         
                  石川啄木

(いじわるの だいくのこども かなしかり いくさに
 いでしが いきてかえらず)

意味・・いつも私をいじめている大工の子、その人が
    いなければどんなに幸せだろうかといつも思
    っていた。その人がいなくなる。ホットする
    ものの、その大工の子に赤紙が来て戦地に行
    くことになった。憎いと思っていた人だが戦
    争に行って、生きて帰れないと思うと、やは
    り悲しくなってくる。

 注・・赤紙=徴兵の召集令状。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~ 1912。
    26歳。盛岡尋常中学中退。

身をしれば 人の咎とも おもはぬに うらみがほにも 
ぬるる袖かな           
                  西行

(みをしれば ひとのとがとも おもわぬに うらみ
 がおにも ぬるるそでかな)

意味・・身の程を知っているので、あの人のつれなさ
    を悪いとは思わないのに、いかにも恨めしそ
    うな様子で涙に濡れる私の袖だ。

    取るに足りない身なので、冷淡な仕打ちを受け
    けるのも仕方がないと思いつつ、恨まずにいら
    れない悔しい気持を詠んでいます。
    
 注・・咎(とが)=欠点、罪。
 
作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。後鳥羽院の
    北面武士であったが、23歳で出家した。
 
出典・・新古今和歌集・1231。

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須磨寺や ふかぬ笛きく 木下やみ   
                                                                         芭蕉

(すまでらや ふかぬふえきく こしたやみ)

意味・・この須磨寺の、青葉小暗い木立の中にただずむと、
    昔のことが偲(しの)ばれる。そしてあの平敦盛(
    あつもり)の吹く青葉の笛の音がどこからか聞こ
    えてくるように思われることだ。

    青葉の笛は明治の唱歌になっています。
              倍賞千恵子/青葉の笛 (youtube.com)

    一の谷の 戦敗れ
    討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ
    暁寒き 須磨の嵐に
    聞こえしはこれか 青葉の笛

 注・・須磨寺=神戸市須磨寺町にある福祥寺の通称。
       寺には敦盛が夜毎に吹いたという青葉の
       笛が保存されている。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。

出典・・笈の小文。

親しからぬ 父と子にして 過ぎて来ぬ 白き胸毛を
今日は手ふれぬ      
                   土屋文明

(したしからぬ ちちとこにして すぎてきぬ しろき
 むなげを きょうはたふれぬ)

意味・・あまり親しくない父と子として、我々親子は
    今日まで過ごして来た。その父も今は重い病
    で臥床(がしょう)している。そのような父の
    白くなった胸毛に今日は手を触れた。思えば
    こんなこともしたことのない私だった。親子
    の縁(えにし)などというものは不思議なもの
    だ。

    「父なむ病む」の題で詠んだ歌です。
    父は農民であったが多くの事業に手を出して
    失敗ばかりした。あげくの果て家を売り村を
    捨てた。そのような父であったのでやさしく
    してもらえず親しみを持てなかった。

作者・・土屋文明=つちやぶんめい。1890~1990。
    東大哲学科卒。明治大学教授。

出典・・学灯社「現代短歌評釈」。

霞立つ 永き春日を 子供らと 手毬つきつつ
この日暮らしつ        
               良寛

(かすみたつ ながきはるひを こどもらと てまり
 つきつつ このひくらしつ)

意味・・長くなった春の日を、子供らと手毬を
    つきながら、この一日を遊び暮らした
    ことだ。
   
      この歌の長歌です。
    暖かい春がやって来たので、托鉢に回
    ろうと思って村里に出かけて行くと、
    村里の子供たちが、道の辻で手毬をつ
    いている。その中に私も仲間入りをし
    て、一二三四五六七(ひふみよいむな)
    と毬をつく。子供が毬をつくと、私は
    手毬歌を歌い、私が歌うと子供が毬を
    つき、ついて歌って、長い春の日を過
    ごしたことだ。

    予定や約束に縛られない生活、愚にな
    って(利害損得を思わない)何事にも夢
    中になれる良寛の素晴らしさです。

作者・・良寛=1758~1831。新潟県出雲町に
    左門泰雄の長子として生まれる。幼名
    は栄蔵。

出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集・653」。

0373


暮れぬまの 身をば思はで 人の世の あはれを知るぞ
かつははかなき
                  紫式部

(くれぬまの みをばおもわで ひとのよの あわれを
 しるぞ かつははかなき)

詞書・・亡くなった人の縁者に贈った歌。

意味・・今日の暮れない間の命で、明日の事が分から
    ない我が身は思わないで、はかない人の世の
    哀れさを知るというのは、一方で、またはか
    ない事です。

    本歌は紀貫之が紀友則が死んだ時に詠んだ歌
    です。
    明日知らぬ わが身と思へど 暮れぬ間の
    今日こそ悲しけれ     (古今和歌集)

    (明日はどうなるかも分からない、はかない
    我が身であるとは思っているけれども、とに
    かく今日のうちは、亡くなった友則の事が悲
    しいことだ。)

 注・・暮れぬ間の身=今日の暮れない間の命で、明
     日の事は分からない身。
    かつは=一方で、また。

作者・・紫式部=むらさきしきぶ。970頃~1016頃。
    源氏物語の作者。

出典・・新古今和歌集・856。

 

0847


ら恋し さやかに恋と ならぬまに 別れて遠き
さまざまな人
                  若山牧水

(うらこいし さやかにこいと ならぬまに わかれて
 とおき さまざまなひと)

意味・・好い感じの人だなと出会った時に思った人だか、
    お互いの気持ちを確かめあうこともなく、はっ
    きりとした恋愛にならないまま、いつしか別れ
    た人々。振り返ると懐かしく思い出される。

 注・・うら=なんとなくそんな気がする。例「うら寂
     しい」「うら悲しい」。
    うら恋し=懐かしく思いだされる。恋とはまで
     は行かない淡い関係だったが、なんとなく恋
     しく思われる。
    遠き=実際の距離が遠い、精神的な距離の長さ、
     別れてから経過した時間の長さ、を含める。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
    早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。

出典・・俵万智著「あなたと読む恋の歌百首」。

0857


山開きたる雲中にこころざす

                 上田五千石

(やまひらきたる うんちゅうに こころざす)

意味・・富士山の山開きは7月1日。あいにく山は雲に
    閉ざされて目指す高嶺は視界にない。けれど
    富士は日本一の山だ。その頂上に向かって、
    大きな志を持って頑張ろうと決意する。

    五千石は山開きの日には富士山に登ることが
    多かったという。
    富士登山の途上にあって、自分に鞭打った歌
    です。
    ちなみに、田子の浦海岸より富士山頂をめざ
    せば、56キロの道程です。

 注・・山開き=その年初めて登山を許す事。富士
     山の山開きは7月1日。

作者・・上田五千石=うえだごせんごく。1933~。
     上智大卒。秋元不死男に師事。「眼前
     直覚」を理念として「いま・われ・こ
     こ」を詠む。

出典・・村上護著「今朝の一句」。


0850


たのしみは 珍しき書 人にかり 始め一ひら
広げたる時        
                橘曙覧

(たのしみは めずらしきふみ ひとにかり はじめ
 ひとひら ひろげたるとき)

意味・・私の楽しみは、読みたいと思いながら
    なかなか手に入らない珍しい本を、や
    っと人から借りることが出来、いそい
    そした気持ちで最初の一頁を開いた時
    です。

 注・・ひとひら=一枚。「ひら」は薄くて平
      らなもの。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。
    国文学者。家業を異母弟に譲り25歳頃
    隠棲。「独楽吟」等の歌集がある。
 
出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。

0774


世の人の 及ばぬ物は 富士の嶺の 雲居に高き
思ひなりけり
                 天暦御製

(よのひとの およばぬものは ふじのねの くもいに
たかき おもいなりけり)

意味・・世間の人の私に及ばないものは、富士山のよう
    に、空高くそびえて燃える私の恋の思いの火で
    ある。

           恋の思いでもあり、志でもあります。

 注・・雲居=雲のある所、空。
    思ひ=恋の思い、志。「ひ」に「火」を掛ける。

作者・・天暦御製=てんりゃくのぎょせい。村上天皇。
     926~967。

出典・・拾遺和歌集・891。

0736


放射能 見えないものに 襲われて 寒気感じる
節電の夏
                 安田大祐

(ほうしゃのう みえないものに おそわれて さむけ
 かんじる せつでんのなつ)

意味・・放射能は白血病などになる猛毒、危険なもので
    ある。だが目にも見えないし、匂いもない。い
    つ放射能に接するか分らないと思うと、寒気が
    する。節電で冷房を弱めているこの暑い夏に。

    平成23年3月11日に発生した東日本大地震の時
    に起きた原発事故の恐ろしさを痛感して詠んだ
    歌です。

作者・・安田大祐=やすだだいすけ。2011年当時大阪・
    清水谷高校2年生。

出典・・同志社女子大学編「31音青春のこころ・2012」。


打ちしめり あやめぞかをる 時鳥 鳴くや五月の
雨の夕暮れ     
                 藤原良経

(うちしめり あやめぞかおる ほとどぎす なくや
 さつきの あめのゆうぐれ)

意味・・空気はしっとりと湿って、菖蒲が薫っている。
    ほとどぎすが鳴く、五月雨の降る夕暮れ時
    ある。

    本歌の危うさの気持ちが含まれています。
    心地よくほととぎすが鳴き、菖蒲の匂いが薫
    って来るが、五月雨の降る夕暮れの物寂しい
    心が伝わって来ます。

    本歌です。
   「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知
    らぬ恋もするかな」  (古今和歌集・885)

     (ほととぎすの鳴く五月に咲くあやめ草、その
    名のように、物事の「あやめ=分別」も分ら
    ないような恋をすることだ)

 注・・打ち=語調を整えたり、意味を強めたりする。
    打ちしめり=しっとりとして。
    あやめ=菖蒲。五月五日の端午の節句に厄除
     けとして軒にさす。
    あやめも知らぬ=物事の道理も分からない。
     夢中になって。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1206年没。
    38歳。従一位・摂政太政大臣。「新古今集
    仮名序」を執筆。

出典・・新古今和歌集・220。


水伝ふ 磯の浦みの 岩つつじ 茂く咲く道を
またも見むかも
               皇子尊の宮の舎人
         
(みずつたう いそのうらみの いわつつじ もくさく
 みちを またもみんかも)

詞書・・皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人等、哀しんで
    作る歌。

意味・・石造りの池の水際の辺りに咲く岩つつじ、その
    つつじがいっぱい咲いている道を、再び見る事
    があろうか。

    草壁の皇子が亡くなって悲しんで詠んだ歌で
    す。
    草壁の皇子に仕えていた舎人達は、皇子の死
    の一周忌には解任される。
    岩つつじが、赤く輝いて咲き満ちている道を
    通って、宮の前に参上していた日々は、なん
    と幸福であった事か。もう、あの日も来ない。
    そう思った時、舎人はその岩つつじを目に焼
    きつけ、思い出のよすがにしたことだろう。

 注・・水伝ふ=磯の枕詞。
    磯の浦み=石造りの池の汀(みぎわ)のあたり。
    茂(も)く=草や木の盛んに成長するさま。
    皇子尊(みこのみこと)=ここでは草壁の皇子。
    宮=宮殿。
    舎人(とねり)=天皇や皇族の雑用をする下級
     官人。

出典・・万葉集・185。


春の夜の 闇にしあれば 匂ひくる 梅よりほかの
花なかりけり   
                                        藤原公任

意味・・春の夜は闇なので何も見えず、匂ってくる
    梅だけがその花の存在を知らせるばかりで、
    ほかの花はその存在が分からないことだ。

    春の夜の闇が暗くむなしく感じる時に、梅
    の花が心地よい匂いを放っている情景です。

    寂しく一人で物思いをしている時、どうし
    たのと優しく声をかけてくれた人が現れた
    心境を思わせます。 

作者・・藤原公任=966~1041。正二位権大納言。
    中古三十六歌仙の一人。和漢朗詠集編集。

出典・・後拾遺和歌集・52。

0826


あさみどり 柳の糸の うちはへて 今日もしきしき

春雨ぞ降る
                 藤原為基 

(あさみどり やなぎのいとの うちはえて きょうも
 しきしき はるさめぞふる)

意味・・浅みどりの柳の糸が長く垂れて、その柳の枝に、
    今日も静かに春雨が降り続いている。

 注・・うちはへ=打ち延へ。引き続いて、ずっと長く。
    しきしき=頻頻。しきりに。

作者・・藤原為基=ふじわらのためもと。生没年未詳。
     鎌倉・南北朝期の歌人。

出典・・風雅和歌集・109。

0460


死手の山 こゆる絶え間は あらじかし 亡くなる人の
数つづきつつ
                   西行

(しでのやま こゆるたえまは あらじかし なくなる
 ひとの かずつづきつつ)

詞書・・東西南北どこでも戦いが起こり、切り目なく
    人が死んでいる。これは何事の争いかと嘆き
    ながら、この戦乱を詠む。

意味・・天寿を全うせず戦いで命を奪われ、あの世へ
    の山を越えて行く人の流れが、絶える事は無
    いのだろうか。もう戦死者の話を何人も聞き
    及んでいる。

    1180年源平の乱が勃発し全国各地が戦いの炎
    に包み込まれた。翌年平家の都落ちから1185
    年の壇ノ浦の戦いまで戦乱は続いた。源平の
    乱で東大寺は大仏殿などことごとく焼失した。
    西行はこの戦乱を見聞きして「何事の争いぞ
    や、あはれなることの様かなとおぼえて」と
    言って詠んだ歌です。
     
 注・・死手の山=死出の山。死者が越えて行かなけ
     ればならない険難な山。

作者・・西行=さいぎよう。1118~1190。本名佐藤
      義清。御所の北面を警護する北面の武士。一
    般の武士と違って官位があり、同僚に平清盛
    もいた。流鏑馬(やぶさめ・疾走する馬上から
    的を射ること)の達人。1140年22歳で出家。

出典・・「古今聞書集」(小堀桂一郎著「和歌に見る
    日本の心)。


この世には またもあふまじ 梅の花 ちりぢりならむ
ことぞかなしき   
                  行尊

(このよには またあうまじ うめのはな ちりぢりならん
ことぞかなしき)

意味・・この世ではもう再び見ることはあるまい。
    そんな梅の花が散り果ててしまうのが悲しい。

    大病になり死が近づいた時、梅の花を見て弟子
    たちに詠んだ歌です。
    弟子たちが自分の死後に散り散りに分かれてし
    まうのを悲しんでいます。

 注・・ちりぢり=花が散る意に、弟子たちが散り散りに
     別れる意を掛ける。

作者・・行尊=ぎょうそん。平等院大僧正。1055~1135。

出典・・詞花和歌集・363。 


百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 
昔なりけり
                順徳院
           
(ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なお
 あまりある むかしなりけり)

意味・・宮中の古びた軒端の忍ぶ草を見るにつけても、
    偲んでも偲びつくせないほど慕(した)わしい
    ものは、昔のよき御代なのである。

    宮中の古い建物に生えている忍ぶ草によって
    象徴されるのは、皇室の権威の衰えであり、
    王朝の室町から武家の鎌倉への時代の変遷の
    中、過去の時代の繁栄ぶりと現在の衰退ぶり
    の嘆きを詠んでいます。

 注・・百敷=「大宮」にかかる枕詞。ここでは宮中。
    しのぶ=「偲ぶ」と「忍ぶ草」を掛ける。忍
     ぶ草は羊歯類の一種、邸宅が荒廃している
     さまを表現。
    なほ=やはり。
    あまりある=度を超している。ここでは、偲
     んでも偲びきれないの意。
    昔なりけり=皇室の栄えていた過去の時代。

作者・・順徳院=じゅんとくいん。1197~1242。
    後鳥羽天皇の第三皇子。承久の乱により佐渡
    に配流された。

出典・・続後撰集・1205、百人一首・100。


おもひやれ 霞こめたる 山里に 花まつほどの 
春のつれづれ    
                上東門院中将   
         
(おもいやれ かすみこめたる やまざとに はなまつ
 ほどの はるのつれづれ)

詞書・・長楽寺に住んでおりました時、二月頃に人に
    送った歌。

意味・・どうか思いやって下さい。霞の立ちこめた山里
    に住まいして、花の咲くのをじっと待っている
    春二月頃の所在ない寂しさを。

    桜の咲くのを待つ間のしんみりとした寂しさ、
    誰も訪れてこない寂しさ、を詠んでいます。

 注・・おもひやれ=想像してください。
    つれづれ=する事が無く手持ち無沙汰な事。
     所在ない事。
    長楽寺=京都八坂神社の近くの高台の寺。

作者・・上東門院中将=じょうとうもんいんのちゅうじ
    ょう。生没年未詳。左京大夫従三位藤原道雅(
    みちまさ)の女(むすめ)。

出典・・後拾遺和歌集・66。


山桜 咲きそめしより 久方の 雲居に見ゆる 

滝の白糸
                源俊頼

(やまざくら さきそめしより ひさかたの くもいに
 みゆる たきのしらいと)

意味・・山桜が咲き始めた頃から、はるか遠くの山の
    景色は空から落ちる滝の白糸のように見える
    ことだ。

    山頂から山裾にかけて咲く山桜の遠望を、天
    から落ちる滝に見立てて詠んだ歌です。

 注・・久方=光や雲の枕詞。
    雲居=空のこと。雲のあるあたり。
    滝の白糸=滝の流れを白糸に譬えた歌語。

作者・・源俊頼=みなもとのとしより。1055~1129。
    従四位上・左京権大夫。金曜和歌集の撰者。

出典・・金葉和歌集・50。







ほとどぎす われは待たでぞ こころみる 思ふことのみ
たがふ身なれば       
                    慶範法師

(ほとどぎす われはまたでぞ こころみる おもうこと
 のみ たがうみなれば)

意味・・思うことが万事反する私だから、(待つ時は
    さだめし鳴くまい)ほとどぎすよ。私は期待
    しないで鳴くかどうかためしてみよう。(待
    たないでいたら、ひよっとして鳴くかもしれ
    ないから)

    自分がなす事は思い通りにならないので、
    思うことの反対の事をしたら、自分の思い
    通りになるだろう、という気持ちです。
    (例えば株を買ったら下がり売ったら上がる)

 注・・待たでぞこころみる=鳴くのを期待しないで
      鳴くかどうか試(ため)してみよう。


作者・・慶範法師=けいはんほうし。生没年未詳。

出典・・後拾遺和歌集・179。

1816

 
夜もすがら 竹の嵐に ふかれつつ 朝咲きたもつ
には桜ばな
                 尾上柴舟

(よもすがら たけのあらしに ふかれつつ あささき
 たもつ にわさくらばな)

意味・・夜通し風が吹いて竹林の激しい音が聞こえて
    いたが、朝、庭の桜の花を見たら、散らずに
    残っていた。何事も無かったかのように美し
    い花を咲かせている。

    桜の花は強風が吹いても散りません。時期が
    来たら風が無くても散ります。

    おだやかな面影の人も、内心はいろいろ苦労
    をしているのだ、という次の句を参考にして
    下さい。

    参考句です。
    
    梅寂し人を笑はせをるときも   横山白虹

    横山白虹はいつもにこにことしていて、軽口
    で、人を笑わせる側に立つ洒脱な紳士であっ
    た。だが、傍目にはそう見えても、けっして
    本心はにこにこしているだけではないのだぞ、
    といっいるような句です。
 
 注・・竹の嵐=竹の林に風が吹きつけ、竹がうなっ
     ているさま。
    横山白虹=よこやまはっこう。1899~1983。
     九大医学部卒。

作者・・尾上柴舟=おのえさいしゅう。1876~1957。
     東京大学国文科卒。歌集「銀鈴」「静夜」。

出典・・インターネット。

0583

花めきて しばし見ゆるも すずな園 田盧の庵に 
咲けばなりけり
                  橘曙覧

(はなめきて しばしみゆるも すずなその たぶせの
 いおに さけばなりけり)

意味・・春の七草のひとつ、すずながいかにも美しく
    咲いておりますが、それはこんな田舎の粗末
    な庵に咲いているからこそ、美しく見えるの
    でございます。私ごとき者をお城に呼んでい
    ただいても、不似合いなだけでございますよ。

    福井藩藩主松平春嶽(しゅんがく)は曙覧の庵
    に使者を送り、仕官するように求めた。登城
    させて古典や和歌の講義、また、風雅な心を
    学ぼうとしたのであるが、曙覧は春嶽の依頼
    を断るために詠んだのがこの歌です。

    曙覧が宮仕えをしていたなら、貧しい一家の
    生活はさぞかしうるおったことであろう。
    同時に、はかりしれない名声も得たことだろ
    う。しかし、彼はそうしなかった。富と名声
    ではなく、あえて自由な境地を選んだのだっ
    た。そして、国学を学びながら和歌や書を楽
    しんだ。好きな時に好きな事をして生きたの
    であった。

 注・・しばし=少しの間。
    園=畑。
    田盧の庵
(たぶせのいお)=田畑の中に造った
     仮小屋。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く
    父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。

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