名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

0308 (2)


 壁に書き 襖に書きし 幼児の 汽車の落書き
せんすべのなき
               内田守人
 
(かべにかき ふすまにかきし おさなごの きしゃの
 らくがき せんすべのなき)

意味・・幼児が壁や襖に落書きを書いて無邪気に遊んで
    いる。その中に汽車の落書きもある。汽車に乗
    れる事に憧れているのだろうが、病気が治って
    この療養所から帰る事がもう出来ないのに。

    昭和10年頃に癩病を患った幼児の治療にあた
    っていた医師が詠んだ歌です。当時は癩病は不
    治の病であり、療養所に入ると一生出る事が出
    来ませんでした。

 注・・せんすべのなき=する方法がない。

作者・・内田守人=うちだもりと。1900~1982。長島
    愛生学園の癩病の医師。癩患者の明石海人を歌
    人に育てる。

出典・・新万葉集・巻一。

0307

 年月は 昔にあらず 成りゆけど 恋しきことは
変わらざりけり
                紀貫之

(としつきは むかしにあらず なりゆけど こいしき
 ことは かわらざりけり)

意味・・年月は経過して、物事は変化して昔のようでは
    なくなって行くが、昔を恋しく思う心だけは昔
    と変わらない事だ。

作者・・紀貫之=きのつらゆき。872頃~945頃。従五位・
    土佐守。古今集の撰者。古今集の仮名序を執筆。

出典・・拾遺和歌集・471

3130



忘るなよ ほどは雲井に 成りぬとも 空行く月の
廻りあふまで
                  詠み人知らず

(わするるなよ ほどはくもいに なりぬとも そらゆく
 つきの めぐりあうまで)

意味・・私の事を忘れないでくれ。我々二人の間は、大空
    遥か遠くに隔たっても、空を行く月が巡るように
    また再びめぐり逢うであろうから。

    駿河守として赴任することになり、恋人と別れる
    際に贈った歌です。

 注・・ほど=程。間、間柄。
    雲井=空、遠い所。
    廻りあふ=「再会する」と「月の運行する」の意
     を掛ける。

出典・・拾遺和歌集・470。
 

ねざめして 聞かぬを聞きて かなしきは 荒磯浪の
暁のこえ
                    藤原家隆 

(ねざめして きかぬをききて かなしきは あらいそ
 なみの あかつきのこえ)

詞書・・承久三年七月以後、遠所へ詠みて奉り侍りし時。

意味・・ふと眠りから覚めて、実際には聞かない声を、
    ありありと我が耳に聞いて、悲しいのは、隠岐
    の島に寄せる荒磯浪の暁の声である。

    後鳥羽院が承久の戦争に敗れ、北条氏によって、
    隠岐の島に流されたのは承久三年(1221)七月、
    42歳の時で、60歳で亡くなるまで、家隆は都か
    ら島への便りを絶やさず、寂しい院を慰めてい
    た。
    この歌は、物音もない静かな明け方に目覚めて
    遠く遙かな島をしのぶ心で、家隆の耳には荒磯
    に砕ける浪の音が聞こえたというのである。家
    隆の胸中には、暁の荒磯浪を聞いて寂しく目覚
    めている、院の姿が耐え難く思われたのである。

作者・・藤原家隆=ふじわらのいえたか。1158~1237。
     従二位・宮内卿。新古今和歌集選者の一人。

出典・・玉吟集。
 
 


 水底を見て来た貌の小鴨かな
                内藤丈草

(みずそこを みてきたかおの こがもかな)

意味・・一羽の小鴨が身をひるがえして水中にもぐった
    かと思うと、ひょいと水面に顔を出して身ぶる
    いをする。今水底を見て来たよ、とでもいうふ
    うに得意げな表情をしている。

    小鴨の愛くるしく茶目っ気な動作が描かれてい
    ます。
 
作者・・内藤丈草=ないとうじょうそう。1662~1704。
    芭蕉に師事。

出典・・句集「丈草発句集」(小学館「近世俳句俳文集」)


 君を思ひ おきつの浜に 鳴く鶴の たづねくればぞ
ありとだに聞く
                 藤原忠房

(きみをおもい おきつのはまに なくたづの たずね
 くればぞ ありとだにきく)

意味・・鶴が君を思い続け興津の浜で鳴いている。私が
    君の健在な事だけでも聞くことが出来たのは、
    君を思い訪ねて来たからだ。

    紀貫之が和泉の国にいる時、忠房がこの地を訪
    れた時に贈った歌で、直接面会したのではなく、
    健在という噂だけを聞いて贈ったものです。鶴
    は忠房自身です。

    私はあなたの事を心配して、このように訪ねて
    来たからこそ、あなたがつつがなくいる事を聞
    いたのです。安心しました。

 注・・思ひおきつ=思い置く、心中にたえず思うこと、
     心配する。興津(今の大阪府泉大津市)を掛け
     る。
    あり=この世に生きていること。無事である。
    だに=最小限の希望が叶えられた意。

作者・・藤原忠房=ふじわらのただふさ。925年没。山
    城守。

出典・・古今和歌集・914。

0306

 大工町 寺町米町 仏町 老母買う町
あらずやつばめよ
            寺山修司

(だいくまち てらまちこめまち ほとけまち ろうぼ
 かうまち あらずやつばめよ)

意味・・大工町があり、寺町があり、米町があり、仏町
    があり、其の他いっぱい町がある中で、私の老
    いた貧しい母を買ってくれる町はないだろうか。
    つばめさんよ。

    前世代の名称を引きずっている町の名(大工町・
    寺町・米町・仏町)を平面に並べ、最後に架空
    の町(老母買う町)を述べて地獄絵を描き、年老
    いた母の介護をする大変さを詠んでいます。

    介護施設のない時代は、老母を介護するために
    会社を辞めて世話をする事もあり、当人にとっ
    ては地獄を味わう苦しさです。

    老母を買う町があれば売ろうという地獄を描い
    た歌。

 注・・大工町、寺町、大工町、米町、仏町=これらの
     名のついた町は全国にいくつかあります。
     茨城県水戸市大工町、京都市寺町、北九州小
     倉米町、石川県白山市法仏町など。

作者・・寺山修司=てらやましゅうじ。1935~1983。
    早稲田大学中退。 
  
出典・・歌集「田園に死す」。

0305

 磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が
在りと言はなくに
                     大伯皇女
               
(いそのうえに おうるあしびを たおらめど みすべき
 きみが ありといわなくに)

意味・・流れのそばの岩のほとりに生えている美しいこの
    馬酔木の花を手折ろうとして見るけれど、その花
    を見せたい弟は最早この世に生きていない。
    
    詞書きによると、大津皇子を葛城の二上山に葬っ
    た時、妹の大伯皇女が哀傷して詠んだ歌です。

 注・・磯=池や川などの浪の打ち際。
    馬酔木(あしび)=ツツジ科の常緑低木。すずらん
     に似た小花を房状につける。牛・馬がその葉を
     食べると中毒し酔ったようになる。
    在りと言はなくに=生きていると言ってくれる者
     がいない。
    葛城の二上山=奈良県北葛城郡当麻(たいま)町の
     西の山。
    大津皇子=686年に草壁皇太子への反逆を企て、
     それが発覚して殺された。仕組まれた罠とも
     いう。
作者・・大伯皇女=おおくのひめみこ。674年14歳で伊勢
    の斎宮になる。大津皇子の姉。

出典・・万葉集・166。


0304

秋をあさみ 色なき草に おきそえて おのれ時しる
庭の白露
                 二条定為

(あきをあさみ いろなきくさに おきそえて おのれ
 ときしる にわのしらつゆ)

意味・・秋が浅いので、草葉はまだ秋の色に染まって
    いないが、その草葉の朝の露の湿りに置き変
    わって、おのずから時季をわきまえているの
    か、庭には露の玉が白く美しく光っている。
    秋が深まった気配だなあ。

    草葉を見ていると、朝は湿り濡れていたのが
    見られていたのだが、そういう朝を何日か経
    て見ると、湿りが玉の露となり白く輝いてい
    る様子に、秋の深まりを感じています。

 注・・秋あさみ=「秋が浅いので」の意と「秋の気
     色を朝見ると」の意を掛ける。
    おきそへて=置き添へて。すでに置いている
     上に新たに置き加わって。

作者・・二条定為=にじょうのさだため。生没年未詳。
    嘉元元年(1303年)頃の人。藤原定家の曾孫。

出典・・嘉元百首(松本彰男著「花鳥風月百人一首」)

 


わが背子を 大和へ遣ると さ夜深けて 暁露に 
わが立ち濡れし
                   大伯皇女
               
(わがせこを やまとにやると さよふけて あかとき
 つゆに わがたちぬれし)

詞書・・大津皇子、ひそかに伊勢の神宮に下りて、上り
    来る時に大伯皇女の作らす歌。

意味・・私の弟が大和に帰るのを見送ろうとして、夜が
    更けてからも立ち続け、明け方の露に私はすつ
    かり濡れてしまったことだ。
 
    伊勢の神宮にいる大伯皇女(おおくのひめみこ)
    の所に、弟の大津皇子がひそかに訪ねて来て、
    重大な事(謀反の意志)を聞かされて見送る時に
    詠んだ歌です。
 
    弟の大津皇子との別れが名残り惜しいが帰らせ
    たものの、心配でたまらなく、露に濡れるまで
    弟の行く末を思ついめています。   

 注・・背子=女性が兄または弟を呼ぶ語。
    遣る=行かせる。「帰る」とか「行く」という
     のと違って、自分の意志が働いている。名残
     惜しいけど帰らせるという意志。
    さ夜更けて=小夜更けて。12時から午前1時頃。
    暁(あかとき)=明時。午前3時から午前4時頃。
    大津皇子=686年に草壁皇太子への反逆を企て、
     それが発覚して殺された。仕組まれた罠とも
     いう。
    伊勢の神宮=大伯皇女が伊勢の斎宮として居た。
    斎宮(さいぐう)=伊勢神宮に奉仕するために遣わ
     された未婚の内親王または女王。天皇の即位
     ごとに替わった。

作者・・大伯皇女=おおくのひめみこ。661~701。
    674年14歳で伊勢の斎宮。大津皇子の姉。
 
出典・・万葉集・105。
 


 いつよりか 結びそめけん 朝霜を 知らでいねつる
程をしぞ思ふ
                 細川幽斎 

(いつよりか むすびそめけん あさしもを しらで
 いねつる ほどをしぞおもう)

意味・・いつの頃から朝霜は置くようになったのだろう
    か。こんなに冬らしくなったなったのも知らず
    に、私は鬱々(うつうつ)として朝寝を続けてい
    たのだなあ。

    気づかずにうかうかと世を過ごしているうちに
    頭に霜(白髪)が置くようになり、年をとってし
    まったことだ。

 注・・いね=寝ね。寝ること。
    鬱々=気がふさぎ、晴々しないこと。

作者・・細川幽斎=ほそかわゆうさい。1534~1610。
    剃髪後は幽斎玄旨と号する。歌人・古典学者
    として活躍。

出典・・家集「玄旨百首」。

山ざとの かきねは雪に うづもれて 野辺とひとつに
なりにけるかな
                  藤原実定

(やまざとの かきねはゆきに うずもれて のべと
 ひとつに なりにけるかな)

意味・・山里の我が家の垣根は雪に埋もれて、庭と野
    原とが、ひとつになってしまっている。

    庭も垣も野も一様に埋め尽くした山里の大雪
    のさまを歌っています。 

作者・・藤原実定=ふじわらのさねさだ。1139~1191。
     正四位下左中将。 

出典・・千載和歌集・457。
 


 堀りておきし 池は鏡と こほれども 影にも見えぬ
年ぞ経にける            
                  詠み人知らず

(ほりておきし いけはかがみと こおれども かげにも
 みえぬ としぞへにける)

意味・・かって掘った池は寒くなった今は凍って鏡の
    ようになっているが、見た目には少しも変ら
    ぬながら、あれから長い年月が経ったものだ。

    自分の家を建てて数十年後の一段落した時に
    振り返り、よくぞこの家を建てたものだ、あ
    れからどれくらい経っただろうか、と思う気
    持ちと同じです。

 注・・影にも見えぬ=様子は少しも変わらないのに。

出典・・新撰万葉集。


 ふる雪は京おしろいとみやこかな
                    松江重頼

(ふるゆきは きょうおしろいと みやこかな)

意味・・都には雪がしきりに降り、一面が白くなると
    ちょうど京おしろいのように見える。

    雪が降ると見馴れた景色も、おしろいを塗っ
    たように、見違えるように美しく見えるもの
    である。それを京にゆかりのあるおしろいと
    見立てたもの。

 注・・京おしろい=京白粉。おしろいは京都の名産
     として名高い。
    おしろいとみやこ=「おしろいと見」と「都」
     を掛ける。

作者・・松江重頼=まつえしげより。1602~1680。
    富裕な商人。

出典・・小学館「近世俳句俳文集」。



名にしおはば いざ尋ねみん 逢坂の 関路ににほふ
花はありやと
                  源実朝
             
(なにしおわば いざたずねみん おうさかの せきじに
 におう はなはありやと)

意味・・逢うという名を持っているならば、さあ、尋ねて
    みよう。逢坂の関の山路に美しく咲いている花に
    逢えるだろうか、と。

    同じ人が同じ花を見ても、心の状態により、同じ
    ように見えないものです。悲しい時に見る花は心
    を癒されるかも知れません。思い悩んでいる時は
    花は目に入らないかも知れません。嬉しい時は花
    を見て美しいと思うことでしょう。

    今自分が歩んでいるこの道は、いつか喜びをかみ
    しめて美しく花を見る事が出来るかどうか、尋ね
    て見たい。

 注・・逢坂=山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の境。古
     く関所があった。
    関路=関所近くの路。
    にほふ=美しく色づく。
    ありやと=健在であるか。花は健在でそれに逢える
     かの意。

作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。28歳。
    12歳で三代将軍になる。鶴岡八幡宮で暗殺される。

出典・・金槐和歌集・544。

5681

粉河寺 遍路の衆の うち鳴らす 鉦々聞ゆ
秋の樹の間に
                若山牧水

(こかわでら へんろのしゅうの うちならす かねがね
 きこゆ あきのきのまに)

意味・・粉河寺にやって来てみると、お遍路衆が鉦を鳴
    らし、ご詠歌を唱えて、巡り歩いている。その
    うら悲しい声が、秋の樹の間から響いて来る。

    これらのお遍路さんたちは、いずれも何らかの
    宿命を負い、運命に悩まされた人たちで、仏の
    慈悲によって救われようとしているのだろう。

    牧水が第一の札所・那智の如意輪堂、第二の札
    所・紀三井寺を巡って第三の札所・粉河寺に来
    た時に詠んだ歌です。

    粉河寺のご詠歌、参考です。
    「父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ 
     たのもしの身や」  (意味は下記参照)

 注・・粉河寺=和歌山県那賀郡粉河町にある寺。西国
     33番札所の第三番札所。
    遍路の衆=祈願のために札所を巡る信者達。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
      早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。旅と酒を愛す。

出典・・歌集「海の声」(金園社「短歌鑑賞入門」)

ご詠歌、参考です。

父母の 恵みも深き 粉河寺 ほとけの誓ひ
たのもしの身や

両親(父母)は、わが子ほどかわいいものはありません。
同じように、粉河寺の観音様は、信心深き人々を我が子
のごとく愛し、万一不時災難に遭おうとも、代わってそ
れらの苦をお受けになるとお誓いされているから頼もし
い身の上ですよ。 

0303

 大空を めぐる月日の いくかへり 今日行く末に
あはむとすらむ
                 道綱の母

(おおぞらを めぐるつきひの いくかえり きょう
 ゆくすえに あわんとすらん)

意味・・大空を月や日が廻り続けるように、この人達
    は、これからも何度、今日と同様、めでたい
    お祝いにめぐりあうことでしょう。

    ある家に、賀宴をしている屏風があり、この
    屏風歌を頼まれて詠んだ歌です。

 注・・月日=「月と太陽」に日時の「月日」を掛ける。
    いくかへり=幾返り。いくたび、何度。
    今日行く末=これから将来。

作者・・道綱の母=みちつなのはは。936~995。関白
    藤原兼家と結婚し道綱(後に右大臣になる)を
    生む。「蜻蛉日記」の作者で有名。

出典・・蜻蛉日記。

0298 (2)

人間の 類を逐はれて 今日を見る 狙仙が猿の
無下なる清さ
                 明石海人

(にんげんの るいをおわれて きょうをみる そせんが
 さるの むげなるきよさ)

詞書・・癩の診断を受けし日、上野博物館にて。

意味・・癩病と診断されて、人間の仲間から外れた今日で
    ある。もう世間一般の人と同じように、人間らし
    い生活は出来なくなった。考えて見ると祖先は猿
    と同程度の貧しい生活をしていた。猿を見ると、
    何の苦しみも感ぜずに清らかに振舞っている。
    私も猿のように生きるだけの生活になっても清ら
    かに生きたいと覚悟しよう。

    医者に癩病と診断され、家に帰る気力もなくし、
    ふらふらと近くの建物・上野博物館に入った時の
    様子です。そのうち、妻子がいるのだと気を取り
    直し頑張って生きていかねばならない、という気
    持ちになり詠んだ歌です。

 注・・逐はれて=退けられる、追い払われて。
    狙仙=人の祖先が猿である。
    無下=それより下がないこと。身分がいやしい。

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。ハン
    セン病を患い岡山県の愛生園で療養。手指の欠損、
    失明、喉に吸気管を付けた状態で歌集「白描」を
    出版。

出典・・歌集「白描」(荒木力著「よみがえる万葉歌人・明
    石海人」)


 旅人よゆくて野ざらし知るやいさ
                 太宰治

(たびびとよ ゆくてのざらし しるやいさ)

意味・・旅をしょうとする人よ。荒野を旅する
    には、野ざらしになる事も覚悟が出来
    ているのだろなあ。旅とはそれほども
    厳しいものだぞ。

    「野ざらし」とは野山で行き倒れとなり
    風雨にさらされた白骨のこと。
    作者も、行く先不明な荒野を旅する文学
    者として、死の覚悟をもって取り組む事
    を誓った句です。
 
    参考です。
    芭蕉が旅をする時の心構えの句です。

    野ざらしを心に風のしむ身かな
          (意味は下記参照)
          
注・・いさ=さあ知っているか、と語意を強め
     て問いかけた言葉。  

作者・・太宰治=だざいおさむ。1909~1948。
     東大文学部退学。小説家。玉川上水
     で自殺。「斜陽」「人間失格」。  

出典・・村上護「今朝の一句」。

参考句です。

野ざらしを心に風のしむ身かな
                 芭蕉
            
意味・・旅の途中で野たれ死にして野ざらしの白骨
    になることも覚悟して、いざ旅立とうとす
    ると、折からの秋風が冷たく心の中に深く
    しみ込み、何とも心細い我が身であること
    だ。  

    遠い旅立ちにあたっての心構えを詠んでい
    ます。

 注・・野ざらし=されこうべ、野にさらされたもの。

作者・・芭蕉=1644~1694。

出典・・のざらし紀行。


 消えはつる 時しなければ 越路なる 白山の名は 
雪にぞありける
                  凡河内みつね

(きえはつる ときしなければ こしじなる しろやま
  のなは ゆきにぞありける)

意味・・あの山頂の雪が消えてなくなる時がないので、
    それで越国(こしのくに)の白山という名前は、
    雪にちなんだものだったということが分かった。
 
    夏になった今でも雪で真っ白になっている山を
    見て「あれが山の名前の起源だったのか」と大
    げさに感心してみせたものです。

 注・・時しなければ=「し」は上接の語を強調する副
     詞。時といものがないのだから。
    越路=越国(現在の越前・越後)の方面。
    白山(しろやま)=石川・岐阜の県境の白山(は
     くさん)2702m。富士山・立山と並び三大
     名山といわれている。

作者・・凡河内みつね=古今集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・414


 こころよく 我にはたらく 仕事あれ それを仕遂げて
死なむと思ふ
                  石川啄木
               
(こころよく われにはたらく しごとあれ それを
 しとげて しなんとおもう)

意味・・自分は本当に気持ちよく全力を投げ込んで仕事
    がしてみたい。けれども今の自分には徹底的に
    力を注いでやるだけの仕事が与えられない。も
    しそんな仕事があるのならば、それこそ思う存
    分働いて、満足感を抱きつつ安らかに死んでい
    きたい。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。
    26歳。中学を中退後、地方の新聞記者や新聞
    の校正係りの職をする。

出典・・一握の砂。

0289

国やぶれて 山河あり 今宵さやかなる 大空の
月を仰ぐに堪へず
                   佐々木信綱

(くにやぶれて さんがあり こよいさやかなる 
 おおぞらの つきをあおぐにたえず)

詞書・・八月十五日。

意味・・杜甫は「国破れて山河あり 城春にして草木
    深し」と歌っているように、国は戦争に負け
    たが、山河は昔と変わらずに流れている。
    秋のさわやかな大空にかかっている月の光は
    ただ無心に地上を照らしている。その光を浴
    する敗戦の民としては、晴れ晴れとした気持
    ちで仰ぐことは出来ない。ただ、涙とともに
    世紀を憂え、哀しむのである。

    杜甫の時代より、何十回も繰り返されている
    「国破れて 山河あり」です。これに終止符
    を打って欲しいという願いです。

    参考は杜甫の詩「春望」です。(下記参照)

作者・・佐々木信綱=ささきのぶつな。1872~1963。
    東大古典科卒。東大講師。万葉集の研究家。

出典・・歌集「山と水と」(金園社「短歌鑑賞入門」)

参考
「春望」    杜甫
 
国破れて山河在り   くにやぶれてさんがあり
城春にして草木深し  しろはるにしてそうもくふかし
時に感じては花にも  ときにかんじてははなにもなみだ
 涙を濺ぎ       をそそぎ
別れを恨んでは鳥に  わかれをうらんではとりにもここ
 も心を驚かす    ろをおどろかす 
烽火三月に連なり   ほうかさんげつにつらなり
家書万金に抵たる   かしょばんきんにあたる
白頭掻けば更に短く  はくとうかけばさらにみじかく
渾べて簪に勝へざら  すべてしんにたへざらんとほっす
 んと欲す 
          

(戦争によって)首都が破壊されても山や川は
(昔のままかわらずに)あり、
(荒廃した)城内にも春がきて草や木が深々と
 生い茂っている。
(この戦乱の)時代を思うと(美しい)花を見
 ても涙が落ち、
(家族との)別れを悲しんでは(心がはずむ)鳥
 の鳴き声を聞いても心が痛む。
戦火は何ヶ月(または三ヶ月)も続いており、
家族からの手紙は万金と同じぐらい貴重だ。
白髪頭を掻くと心労のためますます髪が短くなって、
冠をとめるためのかんざしも挿せなさそうである。

 

0286

 大ぞらを 静かに白き 雲はゆく しづかにわれも
生くべくありけり
                相馬御風

(おおぞらを しずかにしろき くもはゆく しずかに
 われも いくべくありけり)

意味・・青い大空を白い雲がゆったりと流れている。
    あの雲のように静かに生きるべきである。

    流れる雲のように、人生を生きようと強い
    決意を歌っています。
    雲にはやさしい風ばかりではない。吹きち
    ぎり吹き飛ばす風がある。長い人生もまた
    然りである。人生は順風満帆ばかりなんて    
            ありえない。人生に起きる風雨や嵐、どん
    な苦楽も取捨せず、ありのまま受け入れて
    人生の肥やしとして大らかな心になろう、
    と。

作者・・相馬御風=そうまぎょふう。1883~1950。
     早稲田大学卒。詩人・歌人。早大講師。

出典・・御風歌集。

0285

大名牟遅 少那彦名の いにしへも すぐれて善きは
人嫉みけり
                 与謝野寛

(おおなむち すくなひこなの いにしえも すぐれて
 よきは ひとそねみけり)

意味・・大名牟遅や少那彦名の神の御代にも、すぐれて
    立派な神は人から嫉みを受けた。その神々のよ
    うに、現代でもすぐれた者は嫌われる。

    すぐれて善い者は嫉まれると、自分が嫉まれて
    いるのを指しています。

 注・・大名牟遅(おおなむち)=神代の出雲の神、大国
     主神。
    少那彦名(すくなひこな)=身体が短いが忍耐力
     のある神。大国主神と協力して国土を経営し
     た。
    
嫉み=相手を羨ましく感じる分だけ腹立たしい
     と思うこと。妬み。

作者・・与謝野寛=よさのひろし。1873~1935。号は鉄
    幹。妻の与謝野晶子とともに浪漫主義文学運動
    の中心になる。「明星」を発刊。


年月の ゆくつくごとし 鉄橋を 渡れば枯野
すぐ無人駅
                小中英之

(としつきの ゆくつくごとし てっきょうを わたれば
 かれの すぐむじんえき)

意味・・鉄橋を渡れば一段と枯野が広がり、着いた所は
    駅員もいない無人駅である。枯野といい、無人
    駅といい、人の年老いた姿を象徴しているかの
    ように思われる。

    都会人として、枯野という情景をめったに見る
    事はない。郊外へ郊外へと運ばれて行く時、鉄
    橋を渡る時の音の心地よさ。そして枯野が広が
    る。この枯野を見ると、寂しさもあるが、都会
    人としての安らぎ、そして郷愁がそそがれる。
    駅員のいない無人駅は寂しくもあり侘びしいも
    のであるが、地元の人々にとっては無くてはな
    らないありがたい存在でもある。
    年老いて第一線では役立たなくなっても、人々
    に安らぎを与え、やはり居てくれてありがたい
    と思われる存在になりたい。

作者・・小中英之=こなかひでゆき。1937~2001。北
    海道江差高校卒。詩人。        

出典・・馬場あき子著「歌の彩事記」。


 何事も かはりはてたる 世の中を 知らでや雪の
白く降るらむ
                 佐々成政

(なにごとも かわりはてたる よのなかを しらでや
 ゆきの しろくふるらん)

意味・・何もかも変わってしまった世の中なのに、そう
    とは知らないからであろうか、去年と同じよう
    に雪は白く降っている。

    成政は織田信長の家臣で越中(富山県)を治めて
    いた。本能寺の変以後は反豊臣秀吉陣営に組し
    ていたが、賤ヶ岳の戦いで秀吉に降伏する。そ
    の結果、越中は前田利家に奪われた。その頃詠
    ん歌です。
    秀吉の時代になり、自分の勢力が衰えると、昔
    の良き日々が思い出され、辛さがつのる。その
    一方そういう辛い事は何も無かったように白い
    雪は降っている。雪でもいい、この悔しさを知
    ってほしい。

作者・・佐々成政=ささなりまさ。生没年未詳。戦国の
    武将。1561年頃より織田信長に仕える。富山城
    を築き越中を治める。

出典・・太
閤記(綿貫豊昭著「戦国武将の歌」)。


 世を憂しと 思ふばかりぞ かずならぬ 我が身も人に
かはらざりける      
                   頓阿法師
                
(よをうしと おもうばかりぞ かずならぬ わがみも
 ひとに かわらざりける)

意味・・とるにたらない我が身は、何事も人並みでない
    はずなのに、世を憂い辛く思う事だけは、人と
    変わりがないことだ。

    世の辛さだけは人並みだと皮肉に自嘲した歌で
    す。

 注・・かずならぬ=数える価値がない、取るに足りな
     い。

作者・・頓阿法師=とんあほうし。1289~1372。俗名
    は二階堂貞宗。当時、浄弁、兼好、慶運らと共
    に和歌の四天王と称された。

出典・・頓阿法師詠(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)


 芦の葉に かくれて住みし 津の国の こやもあらはに
冬は来にけり      
                  源重之

(あしのはに かくれてすみし つのくにの こやも
 あらはに ふゆはきにけり)

意味・・芦の葉に隠れて、津の国の昆陽(こや)に
    小屋を建てて住んでいたのだが、芦が霜
    枯れになって、小屋もあらわになり、気
    配もはっきりと、冬がやって来たことだ。

 注・・芦=イネ科の多年草、沼や川の岸で群落を
     作る、高さ2~3mになる。
    こや=小屋と昆陽(こや)を掛ける。昆陽は
     兵庫県伊丹市の地。

 作者・・源重之=みなもとのしげゆき。~1000。
    地方官を歴任。

 出典・・拾遺和歌集・223。


 頬あつく 頸すじさむし むきかへて 背中あぶれば
幼もならふ
                  上田三四二

(ほおあつく くびすじさむし むきかえて せなか
 あぶれば おさなもならう)

意味・・朝霜が置く頃、孫を連れて庭の落葉を掃き
    ためて、焚き火をしている。直接火の当た
    る部分の頬は熱いが、首すじは寒い。そこ
    で向きを変えて背中をあぶることにした。
    すると幼い孫も真似して背中をあぶりだし
    た。

作者・・上田三四二=うえだみよじ。1923~1989。
    京大医学部卒。医学博士。

出典・・歌集「鎮守」(玉井清弘著現代短鑑賞「上田
    三四二」)。


 あるはなく なきは数添ふ 世の中に あはれいづれの
日まで嘆かん       
                  小野小町

(あるはなく なきはかずそう よのなかに あわれ
 いずれの ひまでなげかん)

意味・・生きていた人はもはやこの世になく、亡く
    なる人は数を増やす無常なこの世で、ああ、
    私もいつの日まで命のはかなさを嘆くので
    あろうか。

    人が次々に死んでゆく世の無常を悲しんで
    いて、ふとその無常の迫っている我が身を
    顧みて、感慨にふけっています。

 注・・ある=生きている人。
    なき=亡き。死んだ人。
        添ふ=付け加える、多くなる。
    あはれ=ああ。感動詞。

作者・・小野小町=おののこまち。生没年未詳。三
    十六歌仙の一人。

出典・・新古今和歌集・850。

0282

ありがたし 今日の一日も わが命 めぐみたまへり
天と地と人と
                 佐々木信綱

(ありがたし きょうのひとひも わがいのち めぐみ
たまえり あめとつちとひとと)

意味・・じつに有難い事である。今日の一日も自分の生命
    が無事に過ごす事の出来たのは、天と地と人との
    恩恵によるものである。

    雨が降り水の恵が与えられ、日が照り光の恵を与
    えてくれる天の恵み。米や野菜の農作物の恵を与
    えてくれる地の恵。食べる物や着る物も全部人に
    頼っている人の恵。

    生きていく事は自分一人の力によるものでないと
    へりくだって、感謝の気持ちを詠んでいます。

作者・・佐々木信綱=ささきのぶつな。1872~1963。東大
    古典科卒。国文学者・歌人。

出典・・佐々木信綱歌集。

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