名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

0119

 暴力の かくうつくしき 世に住みて ひねもすうたふ
わが子守うた
                  斉藤史

(ぼうりょくの かくうつくしき よにすみて ひねもす
 うたう わがこもりうた)

意味・・「暴力」のこんなに美しく讃えられている時代に
    めぐり住んで、私は、(その美しく讃えられている
    「暴力」の犠牲に将来なるかも知れない運命にさ
    らされている、そんな)かわいい我が子のために、
    (しかし、何のすべもなくひたすら、今の愛に賭け
    て、世の常の母親のごとく)一日中、子守歌を歌っ
    てあげている。

    「日本を守る」と言い「日本を救う」と唱えつつ
    次々と戦火を拡大して行った昭和の初めに詠まれ
    た歌です。国をあげて褒め讃えたもの、それは戦
    争という「暴力」であった。

 注・・ひねもす=終日。朝から晩まで、一日中。
    暴力=戦争に関するもの。

作者・・斉藤史=さいとうふみ。1909~2002。福岡県立小
    倉西高校卒。

出典・・新万葉集・巻四。

0116

日のあたる 家はなきかと 街なかの 空き家を探し
今日も疲れぬ
                  三ヶ島葭子

(ひのあたる いえはなきかと まちなかの あきやを
 さがし きょうもつかれぬ)

意味・・貧しさゆえに耐えてきたのであるが、それに
    してもこの借家は昼なお暗い。もっと立地条
    件の良い、光のさす家に住みたいとしみじみ
    思う。そこで街中を探し回っているのである
    が、なかなか手頃の借家は見つからず、その
    ために今日も疲れてしまった。

    結核のために家族と別れて療養している作者
    ですが、日当たりの悪い借家で吐血をしたの
    で、療養に適した環境を求めた歌です。早く
    病気を治して家族と一緒に住みたい・・。

作者・・三ヶ島葭子=みかしまよしこ。1886~1927。
    埼玉大学を肺を患い中退。晶子門下。

 

0114

 あはれあはれ この世はよしや さもあらばあれ 来む世もかくや
苦しかるべき
                       西行

(あわれあわれ このよはよしや さもあらばあれ こんよも
 かくや くるしかるべき)

意味・・あわれ、ああ、あわれ。この世は仕方がない。もう
    どうでもなるがよい。ただあの世までも こんなに
    苦しいのだろうか。

    こんなに苦しいのは全て自分の業が招いたことだ、
    どんなに苦しくても仕方がないが、死んであの世
    へ行ってまでもこの苦しみが続くのか、と思うと
    たえられないことだ。

 注・・よしや=ままよ。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名佐藤義清。
    下北面の武士として鳥羽院に仕える。1140年23歳
    で財力がありながら出家。出家後京の東山・嵯峨の
    あたりを転々とする。陸奥の旅行も行い30歳頃高野
    山に庵を結び仏者として修行する。

出典・・山家集。


 吹く風の 色こそ見えね 高砂の 尾の上の松に
秋は来にけり
                藤原秀能
           
(ふくかぜの いろこそみえね たかさごの おのえの
 まつに あきはきにけり)

意味・・吹く風の色は秋とは見えないが、高砂の峰の松に、
    秋は来たことだ。

    常緑の松を見たり、風だけの感触ではまだ秋が来
    たとは感じられないが、松の枝を強い風が揺らし
    ている所を見ると、やはり秋が来たのだなあ。

 注・・高砂=兵庫県加古川市尾上町。松の名所。

作者・・藤原秀能=ふじわらひでよし。1284~1240。正五
    位・出羽守。承久の乱に破れて出家。

出典・・新古今和歌集・290


 秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ わが衣手は
露にぬれつつ
                       天智天皇
               

(あきのたの かりほのいおの とまをあらみ わが
 ころもては つゆにぬれつつ)

意味・・秋の田の仮小屋の屋根に葺(ふ)いた苫の目が
    粗いので、夜通し小屋で番をしている私の着物
    の袖は、こぼれ落ちる露に濡れていくばかりで
    ある。
 
    屋根にした苫の隙間から落ちて来る冷たい露に、
    しだいに衣の袖が濡れていく。収穫期の農作業
    にいそしむ田園の風景を詠んだ歌です。しかし、
    農作業のつらさという実感は薄く、晩秋のわび
    しい静寂さを美ととらえた歌です。

 注・・仮庵=農作業のための粗末な仮小屋。「仮庵の
     庵」は同じ語を重ねて語調を整えたもの。
    苫をあらみ=「苫」は菅や萱で編んだ菰(こも)。
     「・・を・・み」は原因を表す語法。「・・
     が・・なので」
    衣手=衣の袖。

作者・・天智天皇=てんじてんのう。626~671。蘇我
    氏を倒し大化の改新を実現。近江(滋賀県)に都
    を開く。
 
出典・・後撰和歌集・302、百人一首・1。


 濁りなく 千代をかぞへて すむ水に 光をそふる 
秋の夜の月        
                  平兼盛

(にごりなく ちよをかぞえて すむみずに ひかりをそうる
 あきのよのつき)

意味・・長い年月を重ねて、濁らないできれいに澄ん
    でいる水の上に、なおも美しい光を加えてい
    る秋の月である。

    藤原頼忠(よりただ)太政大臣の歌合で、庭園
    の「水上の秋の月」の題で詠んだ歌です。

    「千代をかぞへてすむ水」は「黄河は千年に
    一度水が澄み、そして聖人が生まれる」を意
    味しています。そして、その聖人にあたる人
    があなた太政大臣です。
どこまでも澄んだ水
    をたたえる池を照らす月の光のように、頼忠
    様の御威光がいつまでも続きますように!と。

    このたびは盛大な歌合せにお呼びいただきあ
    りがとうございます。どうぞ今後とも御贔屓
    のほどよろしくお願いします、が作者の本音
    です。

 注・・濁りなく=汚れがなくて。
    千代をかぞへて=非常に長い年月を重ねて。

作者・・平兼盛=たいらのかねもり。990年没。従五
    位・駿河守。三十六歌仙。

出典・・後拾遺和歌集・251。

0107

 
我等は何して 老いぬらむ 思へばいとこそ あはれなれ
今は西方 極楽の 弥陀の誓いを 念ずべし
                     とねくろ

(われらはなにして おいぬらん おもえばいとこそ あはれなれ
 いまはせいほう ごくらくの みだのちかいを ねんずべし)

意味・・私達遊女は何をして今日まで生きて老いたのだろう。
    思えば我が過去のあわれなことよ。でも今最後だけ
    は、西空の向こうの浄土、阿弥陀様のお迎えを信じ
    て祈ろう。

    作者のとねくろは遊女です。遊女としてみずから好
    んでその境遇に身をしずめたのではなく、そう生き
    るしかすべのない者たちが、砂をかむような人生を
    送ってきたのでしょう。年老いて振り返ってみると
    浮かぶのはあわれという言葉でした。

 注・・梁塵秘抄=遊女たちが今様として歌っていたものを
     平安時代の後白河法皇が集大成した。
    
作者・・とねくろ=摂津の国の遊女。

出典・・梁塵秘抄。

0106

 
昨年までは 眉の白毛を 抜きしかど 今年は生ふる
ままにまかせむ
                  岡野直七郎

(こぞまでは まゆのしらげを ぬきしかど ことしは
 おうる ままにまかせん)

意味・・昨年までは、眉に白毛が生えたなら抜いていた
    のだが、今年はもう生えるのに任せて抜くこと
    はない。

    白毛が生えることは老いの証拠であり、老いた
    ことを感じさせる。昨年までは、まだまだ若い
    と自認していたので、白毛が生えると抜いてい
    た。だが今は老いを受け入れる心境になった。

作者・・岡野直七郎=おかのなおしちろう。1896~19
    86。東大法学部卒。都民銀行取締役。

出典・・東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」。

0105

 
汐ならで 朝なゆふなに 汲む水も 辛き世なりと
濡らす袖かな
                橘曙覧

(しおならで あさなゆうなに くむみずも からき
 よなりと ぬらすそでかな)

詞書・・隠棲してからはその日暮らしの貧しい生活を
    している所に、日照りが続き井戸の水が枯れ
    たので、さらに遠くに水を汲みに行くように
    なった。それでも辛い顔をしない妻をあわれ
    に思って詠んだ歌。

意味・・風流な汐汲みではなくて、生活のために毎朝
    毎晩遠くまで、妻は水を汲みに行くが、その
    姿を見ると辛い世だと嘆かわしくなり、涙で
    袖を濡らすことだ。

    同じ水汲みでも、庭の草花にやるための水で
    はなく、井戸が枯れて飲み水に困っている時
    の水汲みです。日照りだけではなく、自分が
    隠棲しているので妻にいっそう哀れな思いを
    させている辛さを詠んでいます。

 注・・汐ならで=愛嬌がない、愛らしくない。
    朝なゆふな=毎朝毎晩。
    隠棲=俗世間をさけて静かに暮らすこと。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く
    父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。


 
昨日といひ 今日と暮らして あすか川 流れてはやき
月日なりけり        
                   春道列樹

(きのうといい けふとくらして あすかがわ ながれて
はやき つきひなりけり)

意味・・昨日といっては暮らし、今日といって暮らして、
    また明日になる。飛鳥川の流れのように早い月
    日の流れであることだ。

    平々凡々と暮らす日々。昨日まで幼子と思って
    た娘も、もう乙女になった。月日の流れはこの
    川のように早いものだ。

      一寸の光陰軽んずべからずをいっています。
    わずかな時間でも無駄にしてはいけない。何を
    為すべきか、何が出来るかを常に考えていたい。 

 注・・あすか川=「明日」と「飛鳥川」を掛ける。飛
     鳥川は奈良県飛鳥地方を流れ大和川に注ぐ川。
     川の流れが速い。
    はやき=「早き」と「速き」を掛ける。

作者・・春道列樹=はるみちつらき。生没年未詳。920
    年壱岐守。

出典・・古今和歌集・341。


 
ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しとみし世ぞ
今は恋しき                  
                                          藤原清輔

(ながらえば またこのごろや しのばれん うしとみし
 よぞ いまはこいしき)

意味・・この先、生きながらえるならば、つらいと感じている
    この頃もまた、懐かしく思い出されることだろうか。
    つらいと思って過ごした昔の日々も、今では恋しく
    思われることだから。

    血を流すほど辛い思いの今であるが、生きながらえて
    今を振り返ると、懐かしく思うことだろうか。
     しかし、今の苦悩をどうしたらよいものか・・

 注・・憂し=つらい、憂鬱。

作者・・藤原清輔=ふじわらのきよすけ。1104~1177。当時
    の歌壇の第一人者。

出典・・新古今集・1843、百人一首・84。


 
山里の 門田の稲の ほのぼのと あくるもしらず 
月を見るかな      
                藤原顕隆

(やまざとの かどたのいねの ほのぼのと あくるも
 しらず つきをみるかな)

意味・・山里の門田の稲の穂がほんのりと明るくなって
    夜が明けていくのも知らずに月を眺めている事
    だ。
 
    朝、暗い時分に起きて美しい月を見ながら詠ん
    だ歌です。

 注・・門田=家の前の田。
    ほのぼの=穂の意を掛ける。

作者・・藤原顕隆=ふじわらあきたか。1072~1129。
    権中納言・正三位。

出典・・金葉和歌集。

img1537


 大船に 真楫しじ貫き この吾子を 唐国へ遣る
斎へ神たち
                 光明皇后

(おおぶねに まかじしじぬき このあこを からくにへ
 やる いわえかみたち)

意味・・大船に左右の楫を隙間なく取り付けて、この
    いとしい我が子を、唐の国へ遣わします。ど
    うか神様がた、大事に守ってやって下さい。

    皇后の甥である藤原清河を遣唐使に送る時に
    詠んだ歌です。当時の遣唐使は国家的な大事
    業で、生死をかけたものであった。清河は任
    を終えて阿倍仲麻呂と同船して帰国の途中に
    遭難して帰国出来なかった。

 注・・楫=船を漕ぐ道具。かい・ろなど。
    しじ貫き=隙間なく貫き並べる。
    吾が子=遣唐使の清河は光明皇后の甥なので
     親しみを込めて言った。
    斎(いわ)へ神たち=穢れを取り除いて大切に
     守る意。

作者・・光明皇后=こうめいこうごう。700~760。聖
    務天皇の皇后。

出典・・万葉集・4240。

img1625

 
朽ちゆくも なにかおしまむ うき世には かへらぬみちの
谷のしばはし
                    萩原宗固

(くちゆくも なにかおしまん うきよには かえらぬ
 みちの たにのしばみち)

意味・・朽ちてゆくのもどうして惜しむ必要があろうか。
    俗世には戻らないと決心してたどって来た道の
    通る谷の芝橋は。

    乗りかかった船です。乗って漕ぎ出した船から
    は降りることが出来ないことから、一旦手をつ
    けてやり出した以上は、途中でやめたり、手を
    引いたり出来ないということで、決心の気持ち
    を詠んでいます。

作者・・萩原宗固=はぎわらそうこ。1703~1784。幕府
    の与力。冷泉為村に師事。

出典・・小学館「近世和歌集」。

5617

眠くなりて ねむりし昼の しばしだに 命やすしと 
せめて思ふよ
                   大井広

(ねむくなりて ねむりしひるの しばしだに いのち
 やすしと せめておもうよ)

意味・・眠いままにしばらく昼寝をし、目覚めた思いは、
    このしばしの時間は、哀しみを忘れて、我が命
    に安らぎのあった時だと思う。
 
    嫌な事があったのだろうが、自然の要求に従
    って素直に眠った昼寝が、気持ち良い目覚め
    となり嫌な事も忘れて安らぎを感じています。

 注・・命やすし=いくら思い悩んでも解決出来ない
     ような問題を持っていて、昼寝をしたらそ
     の心地よさが、嫌な事を忘れさせてくれた
     ような状態。

作者・・大井広=おおいひろえ。1893~1943。京大文
    学部卒。立命館大教授。太田水穂に師事。

出典・・歌集「きさらぎ」(東京堂出版「現代短歌鑑
    賞事典」)

 

0042

 散策の 道を変えれば 行き止まり 自生の水仙 
華やぎて咲く
                 hana

(さんさくの みちをかえれば ゆきどまり じせいの
 すいせん はなやぎてさく)

意味・・行きつけの散歩道を変えて見た。それは初めて
    通る道です。進んでゆくと行き止まりになって
    いた。新しい雰囲気の道を気分よく散歩してい
    たのに残念だ。でも行き止まりの所には水仙の
    花が沢山咲いている。来て良かったと思う。
    何が幸いするか分からない。たまには散歩道を
    変えたいなあ。

    人はいつも分れ道に会って決断をする。右か左
    か、前か後か。その結果は大きく変わって来る。
    反対の道を選んでいたら私の人生も又変わって
    いたと思う。分れ道は一体どれほどあったであ
    ろうか。
    多くの別れ道がある中で一つ二つ間違えるのは
    当たり前。失敗や不幸もあって当たり前。失敗
    や不幸を気にしない気にしない。

作者・・hana=はな。ブログ上の名前。

出典・・ライブドアーブログ。


 
わが心 慰めかねつ 更級や 姥捨山に 
照る月を見て
              詠み人知らず

(わがこころ なくさめかねつ さらしなや うばすて
 やまに てるつきをみて)

意味・・私の心はついに慰められなかった。更級の
    姥捨山の山頂に輝く月を見た時はかえって
    悲しくなった。

    「大和物語」説話によると、信濃国に住む
    男が、親の如く大切にして年来暮らして来
    た老いた伯母を、悪しき妻の誘いに負けて
    山へ捨てて帰るが、家に着いてから山の上
    に出た限りなく美しい月を眺めて痛恨の思
    いに堪えず詠んだ歌、です。

    なお、盲人の塙保己一(はなわほきいち)が
            姥捨て山に来て気持ちを聞かれた時に「わ
    が心慰めかねつ更級や姥捨山に照る月を見
    で」と詠み、「見て」を「見で(見ないで)」
    と「て」を「で」に替えただけでしたが意
    味は反対にしています。
    
 注・・更級=長野県更級の地。
    姥捨山=更級郡善光寺平にある山。観月の
     名所。
    塙保己一=はなわほきいち。1746~1821。
     江戸時代の国文学者。

出典・・古今和歌集・878。


 
新米の 酒田は早し もがみ河
                    蕪村

(しんまいの さかたははやし もがみがわ)

意味・・最上川の速い流れに乗って、新米は早くも
    酒田に集まり各地に出荷されている。

 注・・酒田=山形県酒田市。最上川が日本海に流
     れている。庄内平野があり米の産地。
    早し=酒田に集まる新米の速さと、最上川
     の急流を掛けている。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。17161783。
    池大雅とともに南宗画の大家。


 
思ふこと なくて見まほし ほのぼのと 有り明けの月の
志賀の浦波       
                    藤原師賢

(おもうこと なくてみまほし ほのぼのと ありあけの
 つきの しがのうらなみ)

意味・・何の物思いもなく見たいものだ。ほのぼのと明けて
    ゆく有明の月の下、寄せては返す志賀の浦波のこの
    美しい光景を。

    1331年後醍醐天皇は北条氏討伐を企てたが、計画が
    漏れて奈良に退散した。近臣の師賢が僧兵を味方に
    つけようとしたが失敗。その帰り路で詠んだ歌です。

作者・・藤原師賢=ふじわらのもろかた。1301~1332。32
    歳。後醍醐天皇に重要された。正二位大納言。
 
出典・・新葉和歌集。

0074

年経れば 家族もいなく ふるさとの 兄が一人居の
吾を案ずる
                   hana

(としへれば かぞくもいなく ふるさとの あにが
 ひとりいの われをあんずる)

意味・・子供達も独立し、夫も亡くなって幾年月。
    老いの身を寂しく暮らしている。故郷の兄
    も同じで一人で暮らしている。私はこの夏
    大きな病気をした。兄は案じて何かと電話
    をしてくれる。私も一人暮しの兄が心配だ。

    私はこの夏に大きな病気をした。兄も最近
    老人ホームに入った。その後に落ち着いた
    ので詠んだ歌です。

作者・・hana=はな。ブログ上の名前。

出典・・ライブドアーブログ。

0051

 山肌に 薄化粧したる 丹沢の 青空に映え 
今日は冬晴れ
               hana

(やまはだに うすげしょうしたる たんざわの あおぞら
 にはえ きょうはふゆばれ)

意味・・昨日は下界では小雨であったが、丹沢は雪になった
    のだろう。山は薄化粧をしている。今日は冬晴れで
    空は真っ青。丹沢の山々も映えて美しく見える。

          天候は不安定で、雨が降ったり晴れたり曇ったり。
    私の気持ちのようにくるくる変わる。
    今日は冬晴れで暖かい。私の心もさわやかだ。
    今日はいいことがありそうだ。

 注・・丹沢=神奈川県北西部にある山地。最高峰の蛭ヶ岳
     は1673m。

作者・・hna=はな。ブログ上の名前。

出典・・ライブドアーブログ。

0081

 

馥郁と 古木なるとも 梅の花 おくびに出でず
はや咲き初めぬ
               hana

(ふくいくと ふるきなるともと うめのはな おくびに
 いでず はやさきはそめぬ)

意味・・梅の花が咲き始めた。いい香りがする花だ。だが
    この梅の木は老木だ。美しく咲かせた花だけを見
    るととても老木には見えない。

    青雲の志を持った古木。まだまだ私は若いのだ。
    弱り果てた姿なんかは見せられないぞ。元気な所
    を見せて花を咲かすのだ。

作者・・hana=はな。ブログ上の名前。
出典・・ライブドアーブログ。

0088

 君は行く 白い翼を はためかせ 我の知らない
広い世界へ
                西村由佳里

(きみはゆく しろいつばさを はためかせ われの
 しらない ひろいせかいへ)

意味・・白い翼をはためかせ大空へ飛んで行く。どこ
    までも飛んで行く。小さくなって消えるまで
    飛んで行く。私の知らないあこがれの世界へ。
    私も行ってみたいなあ、あなたか住んでいる
    広い広いあこがれの世界へ

作者・・西村由佳里=にしむらゆかり。1976~ 。
    立命館大学大学院卒。

出典・・アメーバーブログ。

5932

 人知れず 誰もが肩に 荷を背負う 苦を苦とせずに
生きよと僧言う
                 槿

(ひとしれず だれもがかたに にをせおう くをくと
 せずに いきよとそういう)

意味・・誰もが悩み事の一つ二つは持っているものだ。
    多くの人はそれを顔に出さない。あなたも辛い
    事があってもおくびに出さない事だと月命日に
    来た僧はお話された。

    勉学に運動に励んでいる時、ここまでやったの
    だからもういいだろうと思ってはいけない。
    もう一歩踏ん張る事だ。額に汗しているのはあ
    なただけではない。
      辛い事に出会った時も自分だけが辛い目に会っ
    ていると思うとなお辛くなる。重い荷を背負っ
    て歩いているのは自分以外にも多くいて頑張っ
    ているのだ。負けてはならないのだと、月命日
    に来た僧はお話をされた。

 注・・月命日=故人が亡くなった日のみを指す命日。

作者・・槿=むくげ。ブログ上の名前。

出典・・ライブドアーブログ。

0087

 
をりをりの これや限りも いく思ひ そのあはれをば
知る人もなし
                  京極為兼

(おりおりの これやかぎりの いくおもい そのあわれ
 をば しるひともなし)

意味・・逢ったその折にこれが最後かと何度も思った。
    その切ない気持ちは二人以外に誰も知らない
    ことだ。

    なんとか逢ってくれたが、これが最後でもう
    逢えないと思うと切ない。そんな切なさを幾
    たび味わったことか。

    逢えないのは周囲の反対のためか、それとも
    相手の愛情が薄れたためなのか。

作者・・京極為兼=きょうごくためかね。1254~1332。
    正二位権大納言。玉葉和歌集の撰者。

出典・・玉葉和歌集・1675。

0086

 
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ
思ひそめしか
                   壬生忠見

(こいすちょう わがなはまだき たちにけり ひとしれず
 こそ おもいそめしか)

意味・・恋をしているという私の噂が早くもたってしまった
    ものだ。誰にも知られないように、心ひそかに思い
    始めていたのに。

 注・・名=評判、うわさ。
    まだき=早くも、もう。

作者・・壬生忠見=みぶのただみ。生没年未詳。壬生忠岑の子。

出典・・拾遺和歌集・621、百人一首・41。

0084

 
数ならで 年経ぬる身は 今さらに 世を憂しとだに
思はざりけり
                 俊恵法師

(かずならで としへぬるみは いまさらに よを
 うしとだに おもわざりけり)

意味・・物の数にも入らずに何年も経た身にとっては、
    今更世を辛いところだなどとさえ思わないこ
    とです。

    不遇慣れした身の述懐です。不条理な事を言
    われても、「数ならでの身」なので仕方がな
    いと耐えている姿です。

 注・・数ならで=不遇な状態のままで。取るに足り
     ない。

作者・・俊恵法師=しゆんえほうし。1113生まれ。没
    年未詳。東大時の僧。

出典・・千載和歌集・1079。


 
たのしみは 庭にうえたる 春秋の 花のさかりに
あへる時時        
                 橘曙覧

(たのしみは にわにうえたる はるあきの はなの
 さかりに あえるときどき)

意味・・私の楽しみは、我が家の庭に植えた花々の
    満開を、今年も、春、秋の季節季節に眺め
    ることの出来る喜びだ。

    年々歳々短くなっていく人生に、花の盛り
    を今年も再び見られる感慨は深いものだ。

    楽しみがあると心が浮き浮きして、何事も
    良い方に向かい気持ちも晴れやかになる。
    楽しみがあるという事は良い事だ。花が咲
    く事に楽しみを見出す、小さな事にでもさ
    さやかな事にでも楽しみを見出す。こんな
    事が出来たらなら幸せだ、と詠んでいます。


作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1866。
    福井の紙商の家業の生まれ。福井藩の重臣
    と交流。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。


 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ
おどろかれぬる
                   藤原敏行
              
(あききぬと めにはさやかに みえねども かぜの
 おとにぞ おどろかれぬる)

意味・・秋が来たと目にははっきり見えないけれど、
    風の音にその訪れを気ずかされることだ。

    見た目には夏と全く変化のない光景ながら、
    確実に気配は秋になっていると鋭敏な感覚
    でとらえている。とくに朝夕の風にそれが
    いち早く感じられるが、歌の調べも、その
    秋風を聞いているような感じです。

出典・・ 古今和歌集・169。


 山城の 石田の森の いはずとも こころのうちを
照らせ月かげ    
                 藤原輔尹

(やましろの いわたのもりの いわずとも こころの
 うちを てらせつきかげ)

意味・・山城の石田の神社の森を照らす月は、何も言わ
    ないでも、私の心の中を照らし出して欲しい。
    その月明かりよ。
    誰か私の悩み事を聞いてくれないだろうか。

    山城の守(かみ)になって嘆いている時、月が輝
    いている頃、いかがですかと問われて詠んだ歌
    です。
    中世の山城国は戦乱が繰り返される中、「宮座」
    という自治組織が生まれ集団で農事や神事また
    一揆にあたっていた。
    そのため、山城は治めにくい国といわれた。
    輔尹はその後1006年に山城国を辞任した。

 注・・山城=京都府の南部一帯。
    石田の森=山城国の歌枕。神社があった。
    「いはたの森」の同音で「いはず」を導く。

作者・・藤原輔尹・・ふじわらのすけただ。生没年未詳。
    山城守・大和守。従四位下。
 
出典・・詞花和歌集・304

0080


 曇り深き 宗谷のせとの 朝明けを 我が乗れる船
ただ一つなり
                 石榑千亦

(くもりふかき そうやのせとの あさあけを わが
 のれるふね ただひとつなり)

意味・・曇りの深い宗谷海峡の明け方、海上に見えるもの
    といえば、自分が乗っている船がただ一つのみで
    ある。

    海峡といっても大きな海のことなので、稚内を出
    航して一時間もすれば陸地の影は見えなくなる。
    見えるのは水平線と空と雲に海原。この何一つも
    ない光景に感動して詠んでいます。

 注・・宗谷のせと=北海道と樺太の間の宗谷海峡。

作者・・石榑千亦=いしぐれちまた。1869~1942。香川
            県琴平明道高校卒。

出典・・歌集「鴎」(東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」)

このページのトップヘ