名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

2019年07月


何すかと 使の来つる 君をこそ かにもかくにも
待ちかてにすれ
                大伴四綱

(なにすかと つかいのきつる きみをこそ かにも
 かくにも まちかてにすれ)

意味・・どんなつもりで使いなんかよこすのだろう。
    何をおいてもあなたをこそ、今や遅しと待ち
    かねているのです。

    皆が来るのを期待して待っている人なのに、
    宴席に出席出来ないという連絡を受けて詠ん
    だ歌です。

 注・・かにもかくにも=ともかくも。
    かてに=・・・出来ないで。
 
作者・・大伴四綱=おおとものよつな 。738年防人司
    の次官。
 
出典・・万葉集・629。


1329


おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほき
ほとけは あまたらしたり  
                    会津八一

 (おおらかに 諸手の指を 開かせて 大き仏は
 天足らしたり)

詞書・・東大寺にて。

意味・・高くゆたかに、両手の指をひらき、いわゆる
    施無畏(せむい)、施願(せがん)の印相をお示
    しになって、廬舎那仏(るしゃなぶつ)は、
    あたかも天に満ち足りたような姿でいられる。
    遍満充足の威容よ。
    
    手の印相をとらえて、奈良の大仏の威容を礼
    賛した歌です。

 注・・おほらかに=ゆたかに、おうように。
    もろてのゆびをひらかせて=両手の指を開か
     せて。印相は諸仏の内面的意志を表す手指
     の姿であり、左手を広げて膝の上の印相が
     施無畏、右手を胸の位置で広げた形を施願
     と呼ばれる手印相。
    施無畏(せむい)=泰然自若として何ものをも
     恐れないような気持ちにさせる。
    施願(せがん)=願いを叶えさせる。
    おほきほとけ=東大寺大仏殿本堂の廬舎那
     如来坐像。いわゆる奈良の大仏。16.2m。
    あまたらしたり=天足らしたり。天に満ち
     足りたような姿でいる。
    遍満充足=満ち足りて満足な様子。

作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。文
    学博士、美術史研究家。

出典・・吉野秀雄著「鹿鳴集歌解」。


嬉しさを 何に包まん 唐衣 袂ゆたかに
たてと言はましを        
              詠人知らず
                 
(うれしさを なににつつまん からころも たもと
 ゆたかに たてといわましを)

意味・・この嬉しい気持ちを何に包もうか。包む物が
    ない。前から分かっていたら、私の着物の袖
    をもっと広く裁って縫うように、言っておく
    のであったのに。

 注・・唐衣=ここでは衣服の意味。
    ゆたかに=大きく、広く。
 
出典・・古今和歌集・865。
 

1328


三椀の 雑煮かゆるや 長者ぶり    
                    蕪村

(さんわんの ぞうにかゆるや ちょうじゃぶり)

意味・・貧しい暮らしでも、一家揃って雑煮を食べて
    新年を祝うのはおめでたい。
    雑煮を三椀もおかわりするとは、長者らしい
    大らかな気持になるものだ。

 注・・かゆる=食る。飲食する。
    長者=金持ち。福徳者。

作者・・蕪村=ぶそん。1716~1783。池大雅ととも
    に南宗画の大家。

出典・・あうふう社「蕪村全句集

7560


何となく 今年はよい事 あるごとし 元日の朝
晴れて風無し
                  石川啄木
              
(なんとなく ことしはよいこと あるごとし がんじつの
 あさ はれてかぜなし)

意味・・恵まれない生活にありながらも一年の出発の日に
    あたって、なにかこの年にはよいことが自分にも
    訪れて来るような感じがする。清々しく晴れた風
    もない平安の朝に立っておれば。

    明日への希望を失うこともなく、日常生活の実感
    を率直に詠んでいます。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26
    歳。新聞記者や新聞校正係を行う。歌集「一握の砂」
    「悲しき玩具」。
 
出典・・歌集「悲しき玩具」。

8004


ふるさとの 雪は花とぞ 降り積もる ながむる我も
思ひ消えつつ
                  詠人しらず
             

(ふるさとの ゆきははなとぞ ふりつもる ながむる
 われも おもいきえつつ)

意味・・今では思い出の場所となってしまったこの里の
    雪は、まるで花のように降り積もっている。
    物思いにふけりながらぼんやりとそれを眺めて
    いる私も、雪が消えるように、思いが消沈して
    ゆくことだ。

 注・・ふるさと=なじみの土地、思い出があるが今で
     は古くなった里。
    ながむる=物思いに沈みながらぼんやり見やる。
    思ひ=恋慕う気持、恋の気持。
    思ひ消えつつ=花だと消えないが、雪だから眺
     める自分も消え入る思いだ、の意。

出典・・後撰和歌集・485。


あらましも 昨日に今日は かはるかな 思ひさだめぬ
世にしすまへば      
                   兼好法師


意味・・前々から予定したことも昨日と今日では変わる
    ものだなあ。どうも決心がつかず思い通りに行
    かない日々を送っていると。

    徒然草189段のことを歌に詠んだものです。
    参考を参照して下さい。

 注・・あらまし=予期する。
    思ひさだめ=よくよく考えて決める。
    すまへば=住まへば。

作者・・兼好法師=1283~1353。徒然草が有名。

出典・・岩波文庫「兼好法師全歌集」。

 参考です。

 徒然草189段の佐藤春夫訳です。

 今日はあることをしようと思っているのに、別の急ぎ
 の用が出来てそれに紛れて暮らしてしまった。
 待つ人は故障で来られない、待たぬ人が来た。
 頼みにしていたことは不調で、思いがけなぬ事が
 出来た。
 心配していたことは、わけなく成り、なんでもないと思
 っていたのが、たいそう骨が折れる。
 一日一日の過ぎてゆくのも予想通りにはならない。
 一年もその通り、一生涯もその通りである。
 予定の大部分は、みな違ってしまうかと思うと必ずしも
 違わないものも出て来る。
 だからいよいよ物事は決めてかかれないのである。
 「不定」と考えておきさえしたら、これは間違いのない
 事実だ。

1327


なべて世に ふるや霰も あら玉の 年の光を
しくかとぞ見る
                 正徹
              
(なべてよに ふるやあられも あらたまの としの
 ひかりを しくかとぞみる)

意味・・庭に降った霰の白い玉を見ると、まるでこの世の
    隅々まで、新しい年の光を敷き詰めたようだ。

    白い霰の玉を新年の白光に比喩しています。

 注・・なべて=並べて。一面に。
    ふる=「降る」と「経る」を掛ける。
    あら玉=「年」の枕詞。「霰」を「白玉」に比喩。

作者・・正徹=しょうてつ。1381~1459。字は清岩。34
    歳で出家。家集「草根集」。

出典・・正徹詠草(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)


思わじと 思うも物を 思うなり 思わじとだに
思わじやきみ         
                沢庵

(おもわじと おもうもものを おもうなり おもわじ
 とだに おもわじやきみ)

意味・・思うまいと思い込むことも、そのことに
    とらわれて思っているということなので
    す。思うまいとさえ思わないことです。

    「思」の語を重ねて詠んだ歌として、
    「思ふまじ 思ふまじとは 思へども思
    ひ出して袖しぼるなり」があります。
     (意味は下記参照)

作者・・沢庵=たくあん。1573~1645。大徳寺
    の僧。

参考歌です。

思ふまじ 思ふまじとは 思へども 思ひ出だして
袖しぼるなり          
                 良寛

(おもうまじ おもうまじとは おもえども おもい
 いだして そでしぼるなり)

意味・・亡くなった子を思い出すまい、思い出すまい
    とは思うけれども、思い出しては悲しみの涙
    で濡れた着物の袖を、しぼるのである。

    文政2年(1819年)に天然痘が流行して子供が
    死亡した時の歌です。

1325


源氏をば 一人となりて 後に書く 紫女年若く
われは然らず
                 与謝野晶子
             
(げんじをば ひとりとなりて あとにかく しじょ
 としわかく われはしからず)

意味・・源氏物語を良人宣孝(のぶたか)を亡くして
    独り身となってから書いた紫式部は、その
    年はまだ若かったけれども、良人の寛(ひ
    ろし)を失って寡婦となった私はそうではな
    い。もう60歳近くになっていることだ。

    夫を亡くした悲しみを、若くして夫を亡く
    した紫式部を思いやることにより、忘れさ
    せ気を取り直し自分を励ませた歌です。
    
 注・・源氏=源氏物語。
    紫女=紫式部。973年頃の生まれ。
    年若く=20歳後半で夫の宣孝を亡くす。
    宣孝=藤原宣孝。950~1001。
    寛=与謝野鉄幹の本名。1873~1935。
     晶子の夫。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。
    与謝野鉄幹は夫。昭和13年頃「新々訳源氏
    物語」を刊行。その途中に夫の寛を亡くす。
    歌集は「みだれ髪」「舞姫」「白桜集」な
    ど。

出典・・歌集「白桜集」。

1324


泣く涙 雨と降らなむ 渡り川 水まさりなば 
帰り来るがに
               小野たかむら

(なくなみだ あめとふらなん わたりがわ みず
 まさりなば かえりくるがに)

意味・・私が嘆き悲しんで泣く涙が、雨となって降って
    ほしいものだ。そのために三途の川の水かさが
    増したならば、あの人は渡ることが出来ないで
    帰って来るだろうから。

    妹が亡くなった時に詠んだ歌です。

 注・・渡り川=冥途に行く道にある川、三途の川。

作者・・小野たかむら=おののたかむら。802~ 852。
    従三位蔵人頭。遣唐使を拒み隠岐に流された。

出典・・古今和歌集・829。


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知りぬらむ 行き来にならす 塩津山 世にふる道は
からきものとは       
                  紫式部

(しりぬらん ゆききにならす しおつやま よにふるみちは
 からきものとは)

意味・・塩津山を行く人足よ、そなた達も人生の道はこの峠の
    ように険しいと知っているだろうに。
    
    紫式部の一行の旅の荷物を人足に持たせ、難所の塩津
    峠を越える時、人足たちが愚痴っているのを聞いて詠
    んだ歌です。

 注・・行き来にならす=よく行き来している。
    塩津山=滋賀県塩津の山、福井との県境の山。
    世にふる道=「ふる」は「古る(年月がたつの意)」、
     世を過ごす道、人生の道。
    からき=(塩が)辛い、険しい、厳しい。

作者・・紫式部=生没年未詳。1012年頃一条天皇の中宮・章子
    に仕えた。源氏物語が有名。

出典・・歌集「紫式部集」(ライザ・ダルビー著「紫式部物語」) 


つらからば われも心の 変はれかし など憂き人の 
恋しかるらむ        
                  詠み人知らず

(つらからば われもこころの かわれかし などうき
 ひとの こいしかるらん)

意味・・こんなにつらいのなら、自分の心も変わって
    しまえばいいのに。どうして自分につらい思
    いをさせる、あの心変わりをした人が今なお
    こんなに恋しいのだろう。
     
      「人のつらくは 我も心の変われかし 憎むに
         愛(いと)ほしいは あんはちや」(閑吟集)
         が本歌です。

         (向うが冷たくなったのだし、自分も心変わりを
    してやりたいのに、ああ、嫌われていながらあ
    の人が愛しいなんで、くやしいなあ)

 注・・あんはちや=あん恥や、恥辱だ。
 
出典・・義経記・巻七。
  

3224


敵というもの今は無し秋の月  
                高浜虚子

(てきという ものいまはなし あきのつき)

意味・・憎しみの対象として、また恐怖の根元として、
    今までは敵というものがあった。その「敵」
    というものが、今は全くなくなってしまい、
    清澄な秋の月が光を放って空にあるだけだ。

    昭和20年8月25日の朝日新聞に載った句です。
    日本民族がかって経験したことのない、前面
    的な敗戦によって一億国民は虚脱状態に陥っ
    ていた。この句には、当時の日本人に共通し
    た、一種のむなしさが裏打ちされている。
    しかし、「敵というもの」といったところに、
    人間の繰り返してきた戦争というものの愚か
    さが指摘された句です。

作者・・高浜虚子=たかはまきょし。1874~1959。
    正岡子規と交際。「ほとどぎす」を通じて、
    飯田蛇笏・前田普羅・渡辺水把らを輩出さ
    せた。

出典・・句集「六百首」(笠間書院「俳句の解釈と鑑
    賞事典」)

1324


わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 
海人の釣舟
                   小野篁
             
(わたのはら やそじまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ
 あまのつりぶね)

意味・・たくさんの島々を目当てとして、私は大海原に漕ぎ
    出して行ったと、家人にきっと伝えてくれ。
    その辺の舟で釣り糸をたれている漁師たちよ。

    島根の隠岐(おき)島に流罪になり、舟に乗って出発
    する時に都に残された人々に贈った歌です。
    「海人の釣舟」にしかすがりつくものがない、孤独
    と絶望が表現されています。

 注・・わたの原=広い海のこと。
    八十島=「八十(やそ)」は数の多いことを表わす。
     摂津の国の難波(大阪市)から瀬戸内海の船旅になり
     島々を通り抜けるので、八十島といっている。
    海人(あま)=漁業に従事する人。漁夫。

作者・・小野篁=おののたかむら。802~852。当時の第一
    級の学者で漢詩文に優れる。嵯峨上皇に遣唐使を命
    じられ、断ったために隠岐の島に流された。
 
出典・・古今和歌集・407、百人一首・11。 



津の国の 難波のあしの 枯れぬれば こと浦よりも
寂しかりけり       
                  加茂真淵

(つのくにの なにわのあしの かれぬれば ことうら
 よりも さびしかりけり)

意味・・津の国の難波の芦、すなわち名所の名物が
    枯れたので、他の何でもない浦よりも寂し
    いことである。

    名所の名物が失せた跡は、他の名もない所
    より却って寂しい、と言っています。
    これは難波の芦だけではなく、広く人の世
    にも言えることです。人の死後そのために
    起こされる寂莫感が、やがてその人の価値
    だという事を思わされます。

 注・・津の国の=難波に掛かる枕詞。摂津の国。
     今の大阪。
    難波のあし=摂津の難波の芦は上代より名
     所であり、難波の浦の芦はそこを特色づ
     ける名物であった。「あし(芦)」はヨシ
     ともいわれ、イネ科の植物で茎を編んで
     簾にされる。水辺に生えて高さ5mにもな
     る。薄や荻に似ている。
    こと浦=異浦。他の浦。

作者・・加茂真淵=かものまぶち1697~1769。
    万葉集などの古学の国文学者。本居宣長
    など門人を多数育成。
 
出典・・河出書房新社「蕪村・良寛・一茶」。



紅葉ばの 過ぎにし子らが こと思へば 欲りするものは
世の中になし             
                   良寛

(もみじばの すぎしこらが こともえば ほりする
 ものは よのなかになし)

意味・・亡くなってしまった愛(いと)しい子供のことを
    思うと、その悲しみのために、欲しいと思うも
    のはこの世の中に何ひとつとして、ないことだ。

    本歌は、
    「紅葉ばの過ぎにし子らとたづさわり遊びし磯を
     見れば悲しも」です。  (万葉集・1796) 

    (死んでしまった子供と、手を取り合って遊んだ
     磯を見ると悲しいことだ。)

 注・・紅葉ば=「過ぎ」の枕詞。
    過ぎ=時がたつ、終わる、死ぬ。
 
作者・・良寛=1758~1831。
 
出典・・谷川敏朗著「良寛全歌集」。

1320


白波の 浜松が枝の 手向けぐさ 幾代までにか
年の経ぬらむ    
                川島皇子

(しらなみの はままつがえの たむけぐさ いくよ
 までにか としのへぬらん)

意味・・白波の寄せる浜辺の松の枝に結ばれた
    この手向けのものは、結ばれてからも
    うどのくらい年月がたったのだろう。

    自分達と同じくここで旅の安全を祈っ
    た昔の人の手向けぐさを見て、その古
    人に年月を越えて共感した心を詠んだ
    歌です。

    参考歌です。

   「岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらば
    また帰り見む」   (意味は下記参照)

 注・・手向けぐさ=「手向け」は旅の無事を
     祈って神に幣を捧げること。「くさ」
     はその料、布、木綿、紙など。

作者・・川島皇子=かわしまのみこ。656~691。
    天智天皇の第二皇子。

出典・・新古今和歌集・1586。

参考歌です。

盤代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば 
また還り見む        
               有間皇子

(いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきく
 あらば またかえりみむ)
 
意味・・盤代の浜松の枝を結んで「幸い」を祈って行
    くが、もし無事であった時には、再びこれを
    見よう。

    有間の皇子は反逆の罪で捕えられ、紀伊の地
    に連行され尋問のうえ処刑された。
    松の枝を引き結ぶのは、旅路などの無事を祈
    るまじないです。

注・・盤代=和歌山県日高郡岩代の海岸の地名。
   真幸(まさき)く=無事であったなら。

作者・・有間皇子=ありまのみこ。658年謀略にかか
    って反乱を企てたため捕えられて殺された。

出典・・万葉集・141。 


わればかり もの思ふ人は またもあらじと 思へば水の 
下にもありけり
              詠み人知らず
              
(わればかり ものおもうひとは またもあらじと おもえば  
 みずの したにもありけり)

意味・・私ほど悲しんでいる人はまたとあるまい。と思っていた
    ところ、まあ、この水の中にももう一人いたことでした。
 
    洗面時にたらいに映った顔を見て、恋に破れた女性が詠
    んだ歌です。

 注・・もの思ふ=思い悩む。


出典・・伊勢物語・27段。


みよしのの 山の白雪 踏み分けて 入りにし人の
おとづれもせぬ       
                 壬生忠岑

(みよしのの やまのしらゆき ふみわけて いりにし
 ひとの おとづれもせぬ)

意味・・俗世を逃れてみ吉野の山の白雪を踏み分けて入っ
    た人が、帰って来ないばかりでなく、便りもくれ
    ないとは、いったいどうしたわけなのだろうか。

    寒さの厳しい山で住む友を思いやる気持を詠んだ
    歌です。
    当時、次の歌のように、吉野山は、俗世を逃れ住
    む別天地でもあった。    

    み吉野の 山のあなたに 宿もがな 世の憂き時の
    かくれがにせむ   (古今集・950 詠人知らず)

   (山深い吉野山の、さらに向うに、宿でも欲しいもの
    である。この世がいやになった時の隠れ家にしたい
    と思うの

 注・・みよしの=吉野は奈良県南部の地、「み」は美称。
     ここでは、世を逃れる人の入る山。
    入りにし人=山に入って、そのまま出家した人
    おとづれ=音信、たより。

出典・・古今和歌集・327。

作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。生没年未詳。910年
    頃活躍した人。古今集の撰者の一人。


初瀬山 夕越え暮れて 宿問へば 三輪の檜原に 
秋風ぞ吹く   
                禅性法師

(はつせやま ゆうごえくれて やどとえば みわの
 ひばらに あきかぜぞふく)

意味・・初瀬山を夕方越えていくうちに日が暮れて、宿
    を探していると、三輪の檜原に秋風が吹くこと
    だ。

    初瀬の長谷寺に参詣した道で詠んだ歌です。
    「夕方」、「檜原」、「秋風」とでわびしさ、
    心細さを深く表現しています。

 注・・三輪=奈良県桜井市穴師のあたり。
    檜原=檜(ひのき)の生えている原。

作者・・禅性法師= ぜんしょうほうし。生没年未詳。
    仁和時の僧。

出典・・新古今和歌集・966。



楽しみは 書よみ倦める をりしもあれ 声知る人の 
門たたく時 
                   橘曙覧

(たのしみは しょよみうめる おりしもあれ こえ
 しるひとの かどたたくとき) 

意味・・私の楽しみは、読書にそろそろ飽きてきたちょうど
    その時、声を聞いただけで、ああ、あの人だと分か
    る知り合いが、我が家の戸をたたいて訪ねた時です。

    似た心境として、
    長く仕事を続けていると疲れてくる。ここで一息入
    れたいところだ。でも、あともう少しあともう少し
    と思いながら仕事を進めるが、余りはかどらない。
    この時コーヒータイムしませんかと誘われると踏ん切
    りがつく。誘ったり誘われたり、こういう人間関係
    を持つことは楽しいものだ。

 注・・倦める=飽きる。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く父母
    に死別。家業を異母弟に譲り隠棲した。福井藩の重
    臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。

 

5169 (2)



夕されば 潮風越して 陸奥の 野田の玉川
千鳥鳴くなり
               能因法師
           
(ゆうされば しおかぜこして みちのくの のだの
 たまがわ ちどりなくなり)

意味・・夕方になると、海の潮風が吹いてきて、陸奥の
    野田の玉川に、千鳥の鳴く声が哀調を帯びて聞
    えてくる。
  
    陸奥に旅をした時に詠んだ歌で、都から遠く離
    れた旅路の寂しさを詠んでいます。

 注・・夕されば=夕方になると。
    潮風越して=海の潮風が吹いてきて。
    陸奥(みちのく)=岩手県・宮城県の地域。
    野田の玉川=岩手県九戸郡野田村玉川。岩石が
     多く、断崖もそそり立ち、北は三崎の岬、南
     は黒崎の岬があって絶景の地。
    千鳥=すずめより少し大きな水辺の鳥。哀調を
     おびた鳴き方をする。

作者・・能因法師=のういんほうし。988~?。中古三
    十六歌仙の一人。
 
出典・・新古今和歌集・643。

1323

山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 滝の河内は
見れど飽かぬかも    
                笠金村

(やまたかみ しらゆうばなに おちたぎつ たきの
 こうちは みれどあかぬかも)

意味・・山が高いので、白い木綿(ゆう)で作った花
    のように、激した水がドーッと落ちている
    この滝の河内の絶景は見ても見ても見飽き
    る事がない。
    なんとまあ美しいことだろう。

    養老七年(723)に吉野離宮で詠んだ歌です。
    白波を白木綿(しらゆう)に見立てて離宮の
    滝を讃(たた)えています。

 注・・白木綿(しらゆう)=斎串(いくし)としての
     榊(さかき)の枝などにつけた白い木綿。
     木綿は楮(こうぞ)の皮で作った。
    たぎつ=激つ。水が激しく流れる。
    河内=川を中心とした小生活圏。
    離宮=奈良県吉野の宮滝付近にあった離宮。

作者・・笠金村=かさのかなむら。生没年未詳。宮
    廷歌人。
 
出典・・万葉集・909。


*************** 名歌鑑賞 *****************

御民我れ 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に
あへらく思へば  
                海犬養岡麻呂

(みたみわれ いけるしるしあり あめつちの さかゆる
 ときに あえらくおもえば)

意味・・日本の国民である私は、ほんとうに生きがいが
    あります。天地の栄える時世に生まれ遇わせた
    ことを思いますと。

    今は苦しくても、努力に努力を重ねている時は
    このような気持ちになると思います。

 注・・験(しるし)=かいのあること。効果。
    あへらく=会へらく。出会う、遭遇する。

作者・・海犬養岡麻呂=あまのいぬかいおかまろ。生没
    年未詳。734年頃活躍した人。

出典・・万葉集・996。 


1322


吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 
嵐といふらむ         
                  文屋康秀

(ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやま
 かぜを あらしというらん)

意味・・吹くとすぐに、秋の草も木もたわみ傷つくので、
    なるほど、それで山から吹き降ろす風を「荒し」
    と言い、「嵐」とかくのだろう。

    実景としては、野山を吹きまくって草木を枯らし
    つくす晩秋の風景を詠んだものです。
    山と風の二字を合わせて「嵐」になるという文字
    遊びにもなっています。

    二字を合わせて文字にした歌、参考です。

    雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける いづれを梅と
    わきて折らまし    (意味は下記参照)
  
 注・・しをるれば=しぼみ、たわみ傷つくので。
    むべ=なるほど。 
    嵐=荒々しいの「荒し」を掛けている。

作者・・文屋康秀=ぶんやのやすひで。生没年未詳。890
    年頃の人。六歌仙の一人。

出典・・古今和歌集・249、百人一首・22。
  
参考歌です。

雪降れば 木毎に花ぞ 咲きにける いづれを梅と 
わきて折らまし          
                 紀友則

(ゆきふれば きごとにはなぞ さきにける いずれを
 うめと わきておらまし)

意味・・雪が降ったので、木毎(きごと)に花が真っ白に
    咲いた。「木毎」と言えば「梅」のことになる
    が、さて庭に下りて花を折るとすれば、この積
    雪の中から、どれを花だと区別して折ればいい
    のだろう。

作者・・紀友則=きのとものり。生母常未詳。貫之とは
    従兄弟にあたる。古今集の撰者であったが途中
    で没した。

出典・・古今和歌集・337。

1321


人いゆき日 ゆき月ゆく 門庭の 山茶花の花も
ちりつくしたり
                佐々木信綱
 
(ひといゆきひ ゆきつきゆく かどにわの さざんかの
 はなも ちりつくしたり)
 
意味・・亡き人を偲(しの)んでいるうちに、いつしか
    月日も過ぎ去ってしまった。そして、今わが
    心の慰めであった庭の山茶花の花もすっかり
    散ってしまったことだ。
 
    半世紀を共に過ごした妻を偲んでの歌です。
    門庭の山茶花も散り、老境の寂寥感の中で、
    一切が無に帰しても悲哀に堪えて再起しよう
    という作者の気持ちです。

 注・・いいき=い逝き。死ぬ。「い」は動詞につく
     接頭語で調子をつける。

 
作者・・佐々木信綱=ささきのぶつな。1872~1963。
    東大古典科卒。国文学者。
 
出典・・歌集「山と水と」(笠間書院「和歌の解釈と
    鑑賞事典」)


********************* 名歌鑑賞 ***********************

芦の葉に かくれて住みし 津の国の こやもあらはに
冬は来にけり      
                  源重之

(あしのはに かくれてすみし つのくにの こやも
 あらはに ふゆはきにけり)

意味・・芦の葉に隠れて、津の国の昆陽(こや)に
    小屋を建てて住んでいたのだが、芦が霜
    枯れになって、小屋もあらわになり、気
    配もはっきりと、冬がやって来たことだ。

 注・・芦=イネ科の多年草、沼や川の岸で群落を
     作る、高さ2~3mになる。
    こや=小屋と昆陽(こや)を掛ける。昆陽は
     兵庫県伊丹市の地。

 作者・・源重之=みなもとのしげゆき。~1000。
    地方官を歴任。

 出典・・拾遺和歌集・223。

1319
形見


形見こそ 今はあたなれ これ無くは 忘るる時も
あらましものを           
                  詠人知らず
                   
(かたみこそ いまはあたなれ これなくは わするる
 ときも あらましものを)

意味・・あの人の形見こそ今は私を苦しめる敵になって
    しまった。これが無かったら忘れる時もあろう
    ものを。

 注・・形見=過去の思い出となるもの。死んだ人や別
     れた人の思い出になるもの。
    あた=敵、自分を苦しめるもの。
 
出典・・古今集・746。
 


***************** 名歌鑑賞 *****************

わがまたぬ 年は来ぬれど 冬草の かれにし人は
おとづれもせず 
                 凡河内躬恒

(わがまたぬ としはきぬれど ふゆくさの かれにし
 ひとは おとずれもせず)

意味・・私が待ってもいない新年はもはや目の先
    まで来てしまったが、今時の枯葉同様に
    離(か)れてしまったお方は、訪問はおろ
    か手紙も下さらない。

    年をとると知友を懐かしむ気持ちになり、
    また、新年になるとまた年をとってしま
    うのか、という気持ちです。

 注・・冬草の=「かれ」に掛かる枕詞。
    かれ=「枯れ」と「離れ」を掛ける。
    おとづれ=便りをする。訪問をする。

作者・・凡河内躬恒=おうしこうちのみつね。
    生没年未詳、900年前後に活躍した人。
    古今集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・338。

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