名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

2019年08月

1339 (2)

 
奈呉の海に 舟しまし貸せ 沖に出でて 波立ち来やと
見て帰り来む     
                   田辺福麻呂

(なごのうみに ふねしましかせ おきにいでて なみ
たちこやと みてかえりこん)

意味・・誰かあの奈呉の海に乗り出す舟を、ほんの
    しばらくでよいから貸して下さいませんか。
    沖まで出て行って、もしや波が立ち寄せて
    くるかと見て来たいものです。

    福麻呂が使者として、越中(富山県)にいる
    大伴家持の家に訪ねた時に挨拶の歌として
    詠んだものです。
    海のない山国の奈良から来た人なので、海
    に対する好奇心を示しています。

 注・・奈呉の海=富山県高岡市から新湊市にかけ
     ての海。
    しまし=暫し。しばし。

作者・・田辺福麻呂=たなべのふくまろ生没未詳。
      741年頃活躍した宮廷歌人。
 
出典・・万葉集・4032。
 

1338
                   霜枯れした唐辛子
 
霜枯れは そことも見えぬ 草の原 誰にとはまし
秋の名残りを
                 藤原俊成・娘
           
(しもがれは そこともみえぬ くさのはら たれに
 とわまし あきのなごりを)

意味・・霜枯れた様子は、そこが美しかった秋草の
    野原とも見えない。秋の名残りをいったい
    誰に尋ねたらよいのだろうか。

    霜枯れ果てて秋景色の名残りもとどめてい
    ない寂しさを詠んでいます。
 
 注・・霜枯れは=霜枯れとなった今は。
    そことも見えぬ=秋の名残りがどこにある
     とも分からない。
    秋の名残り=残っている秋の景色。

作者・・藤原俊成娘=ふじわらのとしなりのむすめ。
    1171~1252。後鳥羽院の女房(女官のこと)。

出典・・新古今和歌集・617。


 
ながめつる 今日は昔に なりぬとも 軒端の梅は
われを忘るな
                  式子内親王

(ながめつる きょうはむかしに なりぬとも のきばの
 うめは われをわするな)

意味・・もの思いをしながら見ていた今日という日は、昔
    になってしまっても、軒端の梅の花は私を忘れな
    いで下さい。

    もの思いの例です。
    父と母が別れることになり、自分は母の実家に移
    ることになった。懐かしい家、そして軒端の梅と
    の別れ。いやで出るのではないのです、梅よ今日
    の私をいつまでも忘れないでほしい。

 注・・ながめつる=眺めつる。物思いに沈んでいること。
    今日=もの思いをしながら梅を見入っている今日。
    軒端の梅=軒近く植えられた梅。

作者・・式子内親王=しょくしないしんのう。~1201没。
    後白河上皇の第二皇女。歌集に「式子内親王集」。

出典・・新古今和歌集・52。


 
むつれつつ 菫のいひぬ 蝶のいひぬ 風はねがはじ
雨に幸あらむ
                  増田まさ子
            
(むつれつつ すみれのいいぬ ちょうのいいぬ かぜは
 ねがわじ あめにさちあらん)

意味・・仲がよさそうに菫が言った。蝶が言った。風はいや
    だ。雨は自分たちを幸せにしてくれるであろう。

    春の楽しさを詠んでいます。
    風は何故嫌なのかというと、風によって花は散るし、
    「蝶」は花から引き離されるので困る。しかし「雨」
    が降ると蝶は花に雨宿りし、ともに仲良くより添っ
    ていられるので幸せというのです。

 注・・むつれつつ=睦れつつ。睦まじく思ってたわむれる。

作者・・増田まさ子=ますだまさこ。1880~1946。
    与謝野晶子と山田登美子との共著「恋衣」がある。

出典・・歌集「みおつくし」。

5718


 代はらむと 祈る命は 惜しからで さても別れむ
ことぞ悲しき
                 赤染衛門
              
(かわらんと いのるいのちは おしからで さても
 わかれん ことぞかなしき)

意味・・我が子に代わって死にたいと祈る、その私の命は
    惜しくはないが、祈りがかなって子と別れる事に
    なるのが悲しいことです。

    わが子が重病で死に瀕した時の歌です。子を想う
    母親の真情が率直に詠まれ、この想いが通じて、
    息子は快癒したという(今昔物語より)。

 注・・さても=そうであっても、やはり。

作者・・赤染衛門=あかぞめえもん。生没年未詳。1040
    年頃活躍した人。

出典・・詞花和歌集・363。


 
山ごとに 寂しからじと 励むべし 煙こめたり
小野の山里
                 西行
              
(やまごとに さびしからじと はげむべし けむり
 こめたり おののやまざと)

意味・・一つ一つの山ごとに、庵でそれぞれに孤独に
    堪えて修行に励んでいる人がいるようだ。
    それぞれの立てている煙が一つとなって霞ん
    でいる、この冬の山里では。

    独りでおりながら、同好者のいることの安堵
    感を詠んでいます。

 注・・小野の山里=山城国(京都府)葛城郡小野。比
     叡山の西麓。隠棲の地として有名。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1180。

出典・・歌集「山家集・566」。

8808 (2)

 
かくしつつ 世をや尽くさん 高砂の 尾上に立てる 
松ならなくに
                  詠み人知らず
              
(かくしつつ よをやつくさん たかさごの おのえに
 たてる まつならなくに)

意味・・私はこんな生活で生涯を終わるのであろうか。
    高砂の尾上の年老いた松というわけでもない
    のに。

    高砂の尾上の松は老木で有名であるが、自分は
    松とは違い有名ではない。徒にただ松のごとく
    長生きしたというだけで生涯を終えることだろ
    うか。

 注・・かくしつつ=斯くしつつ。このような事をしながら。
    世を尽くす=一生を終わること。
    高砂の尾上=兵庫県にある地名。

出典・・古今和歌集・908。

8870
東北大震災・一本松

 
岩室の 田中の松を 今朝見れば 時雨の雨に
濡れつつ立てり
                良寛
 
(いわむろの たなかのまつを けさみれば しぐれの
 あめに ぬれつたてり)
 
意味・・岩室の田の中に立っている松を今朝見ると、
    時雨の冷たい雨に、濡れながら立っている。
 
    人の困った姿だけでなく、動物や植物に対し
    てでも、愛情の目を向けています。
    そして、次の歌を詠んでいます。
 
    ひとつ松 人にありせば 笠貸さましを 
    蓑着せましを 一つ松あはれ
 
    (一本の松よ、人であったならば、笠を貸して
    やっただろうに、蓑を着せてやっただろうに。
    一本の松の愛(いと)しいことよ。)
 
  注・・岩室=新潟県岩室村。温泉地。
 
作者・・良寛=1758~1831。22才の時岡山の円通寺
    住職国仙和尚に師事。
 
出典・・谷川敏朗著「良寛全歌集」。


いにしへに ありけむ人も 我がごとや 三輪の桧原に
かざし折りけん
                   柿本人麻呂
             
(いにしえに ありけんひとも わがごとや みわの
 ひばらに かざしおりけん)

意味・・その昔にいた人も、私と同じように、三輪の桧原で、
    桧(ひのき)の葉を挿頭(かざし)とするために折った
    ことであろうか。

    「かざし」は装飾よりも、草木の生命力にあやかろ
    うとする祈願のためです。 

 注・・三輪の桧原=奈良県桜井市三輪の辺りの原野。
    かざし=挿頭。草木の花や枝を折り取って、髪や冠
     に挿す。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没年未詳。71
    0年頃に活躍した万葉集を代表する歌人。

出典・・拾遺和歌集・491。
 

8025

 
我が雪と 思へば軽し 笠の上   
                      宝井基角 

(わがゆきと おもえばかるし かさのうえ)

意味・・頭にかぶった笠に積る雪も、自分の物だと思えば
    軽く感じる。

   「我が物と思えば軽し笠の雪」と一般になじまれて
    います。
   (苦しいことも自分の利益になると思えばそれほど
    気にならない、という意味)

    その苦しみが自分の利益になる、ということを意
    識する事が大切です。

作者・・宝井基角=たからいきかく 。1661~1707。初
    は母の性、榎本を名乗っていた。芭蕉に師事。

8489

 
古へに 変はらぬものは 荒磯海と 向かひに見ゆる
佐渡の島なり
                 良寛
               
(いにしえに かわらぬものは ありそみと むかいに
 みゆる さどのしまなり)

意味・・昔と少しも変わらないものは、古里の岩の多い
    海辺と、沖の向こうに見える佐渡の島である。

    生きとし生きる物は皆死に、また生まれ変わる。
    盛者は滅び、また生まれる。喜怒哀楽の感情も
    その都度変わるものである。この、無常の世の
    中で、大昔から変わらないものは、荒波の打ち
    寄せる海岸と、海の向こうに見える佐渡島だけ
    である。

    すべての物は移り行くので、今を大事に生きよ
    う、怠らず努めよう、という気持ちが含まれて
    います。

 注・・荒磯海(ありそみ)=岩の多い海辺。

作者・・良寛=りようかん。1758~1831。

出典・・良寛全歌集・1239。


命にも まさりて惜しく あるものは 見果てぬ夢の
覚むるなりけり     
                  壬生忠岑

(いのちにも まさりておしく あるものは みはてぬ
 ゆめの さむるなりけり)

意味・・命は惜しいものであるが、それにもまして
    惜しいのは、思う人との楽しい逢瀬の夢を
    おしまいまで見ないうちに、それが覚めて
    しまうことであった。

    詞書に「昔、ものなど言ひ侍りし女の亡く
    なりしが、夢に暁がたに見えて侍りしを、
    え見はてで覚め侍りにしかば」とあります。

    愛人の夢は惜しいが、ことに今は亡き昔の
    愛人で、その思いも強かったことでしょう。

作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。生没年未詳。
    従五位下。古今集撰者の一人。

出典・・古今和歌集・609。

 


 
此木戸や 錠のさされて 冬の月
                    宝井其角
                 
(このきどや じょうのさされて ふゆのつき)

意味・・夜も更けてほとんど人通りの絶えた刻限である。
    大木戸の門はすでに閉ざされており、空には寒々
    とした冬の月が冴えわたっている。

        門限に間に合わなかった、遠回りして別の道を通
    り帰らねばならないのか。この寒い夜に。残念!

 注・・木戸=城戸・城門で、城や柵に設けた門である
     が、ここでは江戸時代市街地の通路に警備の
     ために設けた門。夜十時以降はこれを閉ざし
     て一般の通行を禁じた。

作者・・宝井其角=たからいきかく。1661~1707。母
    の性、榎本と称していたがのちに宝井と改めた。
    医術・儒学を学ぶ。15歳頃芭蕉に入門。
 
出典・・猿蓑。

1442
              忘礼之乃 行末末天波 加多計連波八
                   希不越 可起利乃 命登毛哉

 
忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの
命ともがな 
                  儀同三司母
            
(わすれじの ゆくすえまでは かたければ きょうを
 かぎりの いのちもがな)

意味・・いつまでも忘れまいとあなたはおっしゃって
    下さいますが、そのように遠い将来のことは
    頼みがたいことですから、そうおっしゃって
    くださる今日を限りの命であってほしいもの
    です。

    当時の上流貴族たちは一夫多妻であり、結婚
    当初は男が女の家に通っていた。男が通って
    来なくなれば自然に離婚となっていた。いつ
    しか忘れ去られるという不安のなかで、今日
    という日を最良の幸福と思う気持を詠んでい
    ます。

       平仮名のもとになった漢字、参考です。

     忘れしの 行末まては かたけれは 
     忘礼之乃 行末末天波 加多計連波八
 
     けふを かきりの 
命ともがな
     希不越 可起利乃 命登毛哉

 注・・忘れじの=いつまでも忘れまいと。
    行く末=将来。
    かたければ=難ければ。難しいので。
    命ともがな=命であってほしい。「もがな」
     は願望の助詞。

作者・・儀同三司母=ぎどうさんしのはは。998年没。
    高階成忠の娘。藤原道隆の妻。「儀同三司」
    は「太政大臣・左大臣・右大臣」と同じ意味。
 
出典・・新古今集・1149、百人一首・54。
 


 
冬ごもり こらえこらえて 一時に 花咲きみてる
春はくるらし
                 野村望東尼
               
(ふゆぐもり こらえこらえて いっときに はなさき
 みてる はるはくるらし)

意味・・冬の間は引きこもっていて、厳しい寒さをひたすら
    じっとこらえていると、いっきに花が咲き満ちる春
    が来るものだ。人生もこれと同じである。

作者・・野村望東尼=のむらもとに。1806~1867。幕末の
    志士達の活躍を陰で支えた。

出典・・防洲日記。

6596


 見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく
またかへり見む      
                 柿本人麻呂

(みれどあかぬ よしののかわの とこなめの たゆる
 ことなく またかえりみん)

意味・・いくら見ても飽かない吉野は、吉野川のいつも
    滑らかな所が絶えることのないように、何度も
    来ては眺めて見たいものです。

    吉野の離宮に来て詠んだ歌です。
    山や川の清く美しい流域、そしてそこには立派
    な宮殿が建てられている。それらは見ても見て
    も見飽きないことだ。

 注・・常滑(とこなめ)=絶えず水に濡れている川の岩石に、
     水ごけがついてぬるぬるして滑りやすい所。
    またかへり見む=くり返し来ては、また眺めよう。
    吉野の離宮=持統天皇の時代、奈良県吉野郡吉野
     川の宮滝にあった離宮。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとのひとまろ。生没年未詳。
    710年頃の宮廷歌人。

出典・・万葉集・37。


 
もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の
ゆくへ知らずも   
                  柿本人麻呂

(もののうの やそうじがわの あじろぎに いさよう
 なみの ゆくえしらずも)

詞書・・近江の荒れた都を過ぎる時に詠んだ歌。

意味・・宇治川の網代木にしばしとどこおるかに
    見える波、この波は一体どこへ流れ去っ
    てしまうのであろう。

    波の行方に人の世の無常感(物事は生滅変
    転すること)を詠んだ歌です。戦火で荒廃
    した都の行方はどうなるのだろうかの意。

 注・・近江の荒れた都=天智天皇の近江の大津の
     宮の廃墟。壬申(じんしん)の乱(672年)
     の戦火で焼かれ廃墟になった。
    もののふの八十=「宇治」を起す序。「八十
     氏」の枕詞。「もののふは」文武百官。
     多くの氏族に分かれている意。
    網代木=魚を取る網代を設ける場所に並べ打
     った棒杭。
    いさよふ=移動しかねて同じ所にただよう。

作者・・柿本人麻呂=七世紀後半から八世紀初頭の人。
      万葉時代の最大の歌人。
 
出典・・万葉集・264、新古今和歌集・1650。

1335

 
身代は まはりかねたる 車引き つらきうき世を
おし渡れども
                紀定丸
               
(しんだいは まわりかねたる くるまひき つらき
 うきよを おしわたれども)

意味・・つらいこの浮世を、難儀な道に車を押すように、
    何とかして渡っていこうとするのだが、車引き
    の仕事では、車は回っても身代は回りかねて、
    とかく思うようにならない。

    横に車を押すことも出来ないような下層労働者
    の生活の嘆声を詠んでいます。今では派遣社員
    や非正規社員の立場。

 注・・身代=生計、暮し向き。
    車引き=荷車などを引いて生活する人。
    まはりかねたる=思うようにいかない。
    おし渡れども=困難を排して渡る。

作者・・紀定丸=きのさだまる。1760~1841。四方赤
     良の甥。御勘定組頭。著書「狂月望」「黄表
     紙」。

出典・・徳和歌後万載集(小学館「日本古典文学全集・
    狂歌」)

1334
                                                      白峰御陵
 
よしや君 昔の玉の 床とても かからんのちは
何にかはせん          
               西行

(よしやきみ むかしのたまの ゆかとても かからん
 のちは いかにかはせん)

詞書・・白峰と申す所に御墓の侍りけるに参りて。

意味・・以前立派な金殿玉楼におられたとしても、
    上皇様、あなた様がお亡くなりになられ
    ました後は何になりましょうか。何にも
    なりません。ただ成仏(じょうぶつ)を祈
    るだけです。

 注・・白峰=讃岐国(香川県)綾歌郡松山村白峰。
    御墓=崇徳院の墓。保元の乱(1156年・
     地位をめぐり後白河天皇と崇徳上皇の
     争い)に敗れて讃岐に流され、その地で
     崩御した。
    よしや=たとえ・・(でも)。
    玉の床=金枝玉葉(皇族の意味)の座。
    かからん後=このように崩御された後。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。
    
出典・・山家集・1355。

6584 (2)

 
白川の 知らずともいはじ 底清み 流れて世々に 
すむと思へば           
                 平貞文

(しらかわの しらずともいわじ そこきよみ ながれて
 よよに すむとおもえば)
 
意味・・白川という立派な川があることを「知らない」と
    言いません。底まで清らかに澄み渡り、これから
    も永年流れ続けると思うと。

      白川という川があるが、白川のように清らかで立
    派なあなたが居ることを「知らない」とは言いま
    せん。私の心も白川の底のように清らかなので、
    その流れと同様に幾久しく契りを交わしたいと思
    うからです。

    恋を告白する歌です。

 注・・白川=次の句の「知ら」に同音で続く枕詞。
       滋賀県の山から賀茂川に合流する川。
    底清み=心の底が清いので。
    流れて世々に=いつまでも月日を重ねて。
    すむ=「住む」と「澄む」を掛ける。

作者・・平貞文=たいらのさだぶん。871~923。
    三河権介・従五位。

出典・・古今和歌集・666。


多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の 
ここだ愛しき             
                  詠人知らず

(たまがわに さらすてづくり さらさらに なにそこの
 この ここだかなしき)

意味・・多摩川に晒(さら)す手作りの布のように、さらに
    さらに、どうしてこの子がこんなにもいとしくて
    ならないのだろう。

    川に布を晒すのは、柔らかく美しくするためです。

    多摩川流域は麻の栽培が盛んであった。
    律令時代に税の一つに「調」があり、麻布が収め
    られていた。東京の「調布」や「麻布」の地名は
    その名残りです。

 注・・手作り=手織りの布。
    さらす=水に晒して布地を美しくする。
    さらさらに=「さらにさらに」を掛ける。
    ここだ=量の多いこと。はなはだしいこと。

出典・・万葉集・3373。
 


 
魂よ いづくへ行くや 見のこしし うら若き日の
夢に別れて
                 前田夕暮
             
(たましいよ いずくえゆくや みのこしし うらわかき
 ひの ゆめにわかれて)

意味・・亡き君の魂よ。君の魂はどこに行くのか。見残し
    た若い青春時代の夢に別れを告げて。

 
    わが魂と受け取ると、
    我がいとしい魂よ。どこに行くのだろうか。夢を

    追って追いきれずに、まだ見果てなかった、若々

    しい日の、その夢から別れて、さまよう魂よ。

注・・魂=誰の魂なのか、君(若死にした女性)とも我にも
     取れる。

作者・・前田夕暮=まえだゆうぐれ。1883~1951。尾上

    柴舟門下。

出典・・歌集「収穫」(学灯社「現代短歌評釈」)


降る雪の みのしろ衣 うちきつつ 春きにけりと
おどろかれぬる
                 藤原敏行
             
(ふるゆきの みのしろころも うちきつつ はるきに
 けりと おどろかれぬる)

詞書・・正月一日、一条の后の宮にて、しろきおほうちき
    をたまわりて。

意味・・雪を防ぐ蓑代衣ではないが、雪のような白い衣を
    賜わり、それを何度も肩にかけつつ、暖かい御厚
    情に、我が身にも春が来たことだと、驚いている
    のでございますよ。

    新年を賀する気持と自分にも春が来たと喜ぶ気持
    を詠んでいます。

 注・・みのしろ衣=蓑代衣。蓑の代わりに着る防雨衣。
    「降る雪のみのしろ衣」は「降る雪のような白い
     衣」の意と「経(ふ)る身」を掛ける。
    うちきつつ=「着る」に軽い接頭語をつけた「う
     ち着つつ」と「袿(うちき)」を掛ける。「袿」
     は狩衣の時に着る内着。
    一条の后=在原業平・素性法師・文屋康秀らに歌
     を詠ませている歌壇のパトロン的な存在。
    おほうちき=大袿。公儀などの参加者が賜る袿。
     女性の場合は正装の上に着る上着、男性場合は
     狩衣の下に着る内着。

作者・・藤原敏行=ふじわらのとしゆき。901年没。従四
    位上・蔵人頭。「秋きぬと目にはさやかに見えね
    ども・・」の歌を詠んだ人。

出典・・後撰和歌集・1。

 


8077 (2)


 このごろは 花も紅葉も 枝になし しばしな消えそ
松の白雪
                 後鳥羽院
               
(このごろは はなももみじも えだになし しばし
 なきえそ まつのしらゆき)

意味・・このごろは花も紅葉も枝にない。だからしばら
    く消えてくれるな。松に積もった白雪よ。

 注・・な消えそ=「な・・そ」は禁止の意味を表す。
     消えないでくれ。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1239年没、60歳。新
    古今和歌集の撰集を命じる。鎌倉幕府の打倒を
    企て、隠岐に流された。

出典・・ 新古今和歌集・683。

1333

 
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山
波越さじとは      
                  清原元輔

(ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すえの
 まつやま なみこさじとは)

詞書・・心変わりをした女に、相手の男に変わって詠んだ

    歌。

意味・・二人は約束しましたね、お互いに幾度も涙の袖を
    しぼりながら、あの末の松山を浪が越えるような
    ことはないように、私達の仲も行く末けっして変
    わるようなことはないと。


    恋の誓いが破れた歌です。恋は永久不変と思って
    いても、このようなもろさを秘めている。


    「君をおきてあだし心をわが持てば末の松山
    波も越えなむ」を念頭に入れた歌です。
         (意味は下記参照)

 注・・契りきな=「契る」は約束する、「き」は過去の
     助動詞の終止形。「な」は感動を表す。
    かたみに=互いに。
    袖をしぼりつつ=涙で濡れた袖をしぼる。
    末の松山=宮城県多賀城市のあたりの地名。
     どんな大きな波でも末の松山を越す事がないか
     ら、二人の間に心変わりのない事のたとえとな
     った。


作者・・清原元輔=きよはらのもとすけ。908~990。清
    少納言の父。

出典・・後拾遺和歌集・770、百人一首。42。

参考です。

君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 
波も越えなむ
                  読人知らず

(きみをおきて あだしごころを わがもたば すえの
 まつやま なみもこえなん)

意味・・あなたをさしおいて、ほかの人に心を移すなんて
    ことがあろうはずはありません。そんなことがあ
    れば、あの海岸に聳(そび)える末の松山を波が越
    えてしまうでしょう。

    心の変わらないことを誓った歌です。

 注・・あだし心=浮気心、うわついた心。
    末の松山=宮城県の海辺にあるという山。

出典・・古今和歌集・1093。


5525


 東路の 小夜の中山 なかなかに あひ見てのちぞ
わびしかりける       
                源宗于

(あずまじの さよのなかやま なかなかに あいみて
 のちぞ わびしさまさりける)

意味・・なまじっか逢ってから、その後に逢えないのは
    逢う以前よりもいっそう恋しさがつのってつら
    いことだ。

    なかなか逢えない女性に逢って、逢う以前より
    も逢った後の方が恋しさが増してつらいという
    気持を詠んだ歌です。

 注・・東路=東海道。
    小夜の中山=静岡県掛川市の峠路。「なかなか
      に」掛る序詞。
    なかなか=なまじっか、かえって。

作者・・源宗于=みなもとのむねゆき。939年没。正四
    位右京大夫。三十六歌仙の一人。

出典・・後撰和歌集・507。

1332


おぼつかな 都に住まぬ 都鳥 言問ふ人に
いかが答へし
               宜秋門院丹後 
          
(おぼつかな みやこにすまぬ みやこどり こととう
 ひとに いかがこたえし)

意味・・気にかかることだ。都に住んでいない都鳥よ。
    都の人の安否を尋ねた男にどのように答えた
    のか。都の事情に疎いはずなのに。

   「名にしおはばいざ言問はん都鳥わが思ふ人は
    ありやなしや」の歌を踏まえた作です。
            (意味は下記参照)

 注・・おぼつかな=心もとない、気に掛かる。
    都鳥=水鳥のかもめの一種。身体が白色、口
     ばしと足が赤い。
    言問ふ人=都にいる人を尋ねる人。

作者・・宜秋門院丹後=ぎしゅうもんいんのたんご。
     生没年未詳。1180年頃の人。後鳥羽帝の中
     宮・宜秋門院の女房(女官)。
 
出典・・新古今和歌集・977。

参考歌です。

名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は 
ありやなしやと
                 在原業平
             
(なにしおわば いざこととはむ みやこどり わがおもふ
 ひとは ありやなしやと)

意味・・都という名を持っているのならば、さあ尋ねよう、
    都鳥よ。私の思い慕っている人は元気でいるのか、
    いないのかと。

    流浪の旅をする業平らが隅田川に着いて、舟の渡
    し守から見知らぬ鳥の名を聞いて詠んだ歌です。

    都鳥という名に触発され、都にいる妻への思いが
    急激に高まったものです。

 注・・あり=生きている、健在である。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。~825。六歌仙
    の一人。伊勢物語の主人公。
 
出典・・古今集412、伊勢物語・9段。 


 

2536


君ならで 誰にか見せむ 梅の花 色をも香をも 
知る人ぞ知る
                紀友則

(きみならで たれにかみせん うめのはな いろをも
 かをも しるひとぞしる)

意味・・あなたではなくて、誰に見せようか。この梅の
    花を。この素晴しい色も香も、物の美しさをよ
    く理解できるあなただけが、そのすばらしさを
    本当に分かってくれるのです。

    一枝の梅の花を折って人に贈った時の歌です。
    あなただけが本当の物の情趣を理解してくれる
    人だ、の意です。
    また、友則の知人は高い地位に就いていたが、
    自分はまだ低い地位で不遇の時を過ごしていた
    ので、そのような不遇感の背景に我が真価は知
    る人ぞ知るの思いを梅の花に託してもいます。

 注・・誰にか=「か」は反語で、誰にも見せたくない
        の意になる。

作者・・紀友則=きのとものり。生没年未詳。古今和歌
    集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・38。 
 
 


 
あしびきの 玉縵の子 今日のごと いづれかの隅を
見つつ来にけむ
                 詠み人知らず
 
(あしびきの たまかづらのこ きょうのごと いずれかの
 くまを みつつきにけん)
 
意味・・玉蘰(たまかづら)という名をもつ子は、私が今日見た
    のと同じように、どの山の曲がり角を見ながら、この
    地まで来たのだろうか・・・。
 
    山の玉縵の名を持つ縵児(かづらこ)よ、後を追おうと
    さまよう今日の私のように、あなたは、どのような思
    いで死に場所を思いながら来たのだろうか。
 
    この歌の前に長い詞書が付いています。
    昔、三人の男がいました。同時に一人の娘に結婚を申
    し込みました。
    蘰児(かづらこ)が嘆息して言うことには、「一人の女
    の身は露のように消えやすく、三人の男の意志は石のよ
    うに固く、変えがたいのです」。
    そして、蘰児(かづらこ)は、池のほとりにたたずんで、
    とうとう水の底に沈んでしまいました。
    残された男たちは、悲しみと落胆の気持ちに堪えられず、
    それぞれ思いを述べて作った歌三首。その歌の一首です。

 注・・あしびき=山の意。山の中をさまよう意が含まれる。
    隅=道の曲り角などの見えにくい場所。他界につながる
     場所とされ、死に場所の意に用いた。

出典・・万葉集・3790。


 
梅一輪 一輪ほどの 暖かさ   
                 服部嵐雪

(うめいちりん いちりんほどの あたたかさ)

意味・・梅が一輪だけ咲いた。まだ冬だけれども、どこか
    にほんの少し暖かさが感じられるようで、春の訪
    れがま近いと思われる。

    寒中にわずかながら春のいぶきを感じとって、梅
    の一輪に春への期待を詠んでいます。

    この句は「梅一輪。一輪ほどの・・」と切られて
    いるのだが、「一輪一輪ほどの・・」と続けて読
    んで「一輪つづ開くに連れて次第に暖かさを増し
    てくる」と解釈も出来ます。

作者・・服部嵐雪 =はっとりらんせつ。1654~ 1707。
    芭蕉に師事。

出典・・句集「庭の巻」(笠間書院「俳句の解釈鑑賞事典」)

このページのトップヘ