名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

2019年10月

2206

 
七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに 
なきぞあやしき       
                兼明親王
            
(ななえやえ はなはさけども やまぶきの みのひとつだに
 なきぞあやしき)

意味・・山吹は七重八重と花は咲くけれど、実が一つも無い
    のが不思議だが、その山吹と同じように我が家にも
    蓑一つさえないのです。

    雨の降る日、蓑を借りる人がいたので山吹の枝を
    与えたところ、その意味が分からないと言ったので
    この歌を詠んで贈ったものです。

    贈られた人は太田道灌で、蓑を借りようとして山吹
    の枝を差し出されたが、意味がわからなかったのを
    恥じ、発奮して和歌を学んだという逸話があります。

 注・・みの=「実の」と「蓑」を掛ける。
    あやしき=不思議だ。神秘的だ。

作者・・兼明親王=かねあきらしんのう。914~987。醍醐天
    皇第16皇子。左大臣。

出典・・後拾遺和歌集・1154。

1339 (2)


 
堀江漕ぐ 棚無し小舟 漕ぎかへり おなじ人にや 
恋ひわたりなむ          
                 詠み人知らず

(ほりえこぐ たななしおぶね こぎかえり おなじ
 ひとにや こいわたりなん)

意味・・小さな棚無し舟は堀江を行ったり来たりしている。
    私は私で何度も同じ人とよりを戻そうとしている。

    姑のいじめ、夫の浮気、暴力ざた・・などで夫婦が
    一度は別居したものの、離れてお互いが冷静になる
    と、どちらからともなく折れてまたよりを戻すとい
    うような場面。
    
 注・・堀江=人工的に掘った川。
    棚無し小舟=舷側につける板の無い小舟。
    わたりなむ=ある期間ずっと・・を続ける。

出典・・古今和歌集・732。 
 

2122

 
桃の花 君に似るとは いひかねて ただうつくしと
愛でてやみしか 
                 金子薫園
             
(もものはな きみににるとは いいかねて ただ
 うつくしと めでてやみしか)

意味・・桃の花を、君のようだとは言えなくて(恥ずか
    しくて)、ただ綺麗だなあと賞(ほ)めるだけで
    終わってしまった。

    桃の花といえば桃の節句を、そして万葉集の
    「春の苑くれない匂ふ桃の花下照る道に出で
    立つ乙女」を連想し、若い女性をたとえるの
    に相応(ふさ)しい花です。
    (歌の意味は下記参照)

 注・・うつくし=かわいい、いとしい、きれいだ。
    愛づ=心ひかれる、褒める、愛する。

作者・・金子薫園=かねこくんえん。1876~1951。
 
出典・・歌集「片われ月」。

参考歌です。
春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に
出で立つ少女
             大伴家持
        
(はるのその くれないにおう もものはな したてる
 みちに いでたつおとめ)

意味・・春の庭園に紅の色が美しく映える桃の花、その
    木の下までも照り輝いている道に出て立って
    いる娘さんよ、ともに美しいなあ。

 注・・苑=庭園。
 
作者・・大伴家持= おおとものやかもち。718~785。
    少納言。万葉集の編纂をした。
 
出典・・万葉集・4139 。


 
かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山
おもひでの川
                石川啄木
             
(かにかくに しぶたみむらは こいしかり おもいでの
 やま おもいでのかわ)

意味・・とにかくも故郷の渋民村が恋しい。あの思い出の
    岩手山と姫神山よ。あの思い出の北上川の清流よ。

    少年時代、朝夕仰いだ岩手山と姫神山の麗峰と北
    上川の清流は、たえず啄木の脳裏にあって、東京
    時代の都会の苦しい現実にあえぐ心を慰めてやま
    なかった。

 注・・かにかくに=とにかくも。
    おもひでの山=岩手山(岩手富士の愛称を持つ、
     2041m)と姫神山(1125m)。
    おもひでの川=北上川。延長369キロ。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26
    歳。岩手県生まれ。盛岡中学を中退後上京。代用
    教員や地方の新聞記者を経て朝日新聞の校正係り
    の職につく。

出典・・一握の砂。


 
真帆ひきて よせ来る舟に 月照れり 楽しくぞあらむ
その舟人は
                  田安宗武
             
(まほひきて よせくるふねに つきてれり たのしくぞ
 あらん そのふなびとは)

意味・・帆をいっぱいに広げて、こちらに近づいて来る舟に
    月が美しく照っている。楽しいことであろう、その
    舟に乗る人は。

 注・・真帆=帆をいっぱいに広げること。
    舟人=舟に乗っている人。

作者・・田安宗武=たやすむねたけ。1715~1771。八代将
    軍吉宗の次男。松平定信の父。従三位中納言。

出典・・天降言(あもりごと)(東京堂出版「和歌の鑑賞事典」)


 
かくしつつ とにもかくにも ながらへて 君が八千代に
あふよしもがな
                    仁和帝
              
(かくしつつ とにもかくにも ながらえて きみが
 やちよに あうよしもがな)

詞書・・仁和の御時、僧正遍照に七十の賀たまひける
    ときの御歌

意味・・今日はこうして宴席を設けてあなたの七十の
    賀をともに祝っているが、自分もこれから何
    とか生きながらえて、さらにあなたの八千代
    の賀宴に会いたいものと思う。

 注・・仁和の御時=光孝天皇の仁和年間(885年)。
    かくしつつ=こうすること。70歳を祝う宴会
     を開いて楽しむこと。
    八千代=八千年。きわめて長い年代。

作者・・仁和帝=にんわのみかど。831~887。光孝
    天皇。

出典・・古今和歌集・347。


 
野に生ふる 草にも物を 言はせばや 涙もあらむ
歌もあるらむ
                  与謝野鉄幹
            
(のにおうる くさにもものを いわせばや なみだも
 あらん うたもあるらん)

意味・・野に生えている、物を言わない草にも出来れば
    物を言わせたいものだ。そうすれば草にも涙も
    あるだろうし、歌もあるであろう。

    野の草は表情を外に出さないが、その身になる
    と喜びや悲しみもあり、物に感じて流す涙を持
    つだろうし、感動して歌いだしたくなる歌を内
    にたたえているであろう、と想像して詠んでい
    ます。

 注・・言はせばや=言わせたいものだ。「ばや」は
     希望を表す助詞。

作者・・与謝野鉄幹=よさのてっかん1873~1935。
    与謝野晶子と共に浪漫主義文学の運動の中心と
    なる。

出典・・歌集「東西南北」。


 

つくづくと 春のながめの 寂しきは しのぶに伝ふ
軒の玉水
                  大僧正行慶
         
(つくづくと はるのながめの さびしきは しのぶに
 つたう のきのたまみず)

意味・・ぼんやりと物思いにふけりながら春の長雨の降る
    外を見ていると、軒端に生えた忍ぶ草の葉末を伝
    わる雨の雫が玉となってしたたり落ちている。
    この寂しさよ。

    昔を思わせる忍ぶ草に伝わる玉水は、出来ては消
    えて、見ていて寂しくまた美しい。
    
 注・・つくづくと=しんみり、しみじみ、ぼんやりと。
    ながめ=「長雨」と「眺め」を掛ける。「眺め」
     は物思いにふけりながりぼんやりと見ること。
    しのぶ=忍ぶ草。シダの一種。「偲ぶ」を掛ける。
    軒の玉水=軒端に生えた忍ぶ草に伝わる玉になっ
     た雫。

作者・・大僧正行慶=だいそうじょうぎょうけい。1103~

    1165。白河天皇の皇子。大僧正。

出典・・新古今和歌集・64。

1423 (2)


滑川 ふかき心を たづぬれば やがてわが身の
宝なりけり
               熊谷直好

(なめりがわ ふかきこころを たずぬれば やがて
 わがみの たからなりけり)

意味・・滑川が静かに流れているが、この滑川の言い伝えを
    聞いてみると、人の鑑(かがみ)となる教えがあり、
    このことは私の宝に相当するものだ。

    鎌倉を流れている滑川には青砥(あおと)藤綱の逸話
    があります。藤綱は鎌倉の武士で、訴訟などの審理
    に厳正で温かく、権力を笠に着る連中を決して許さ
    なかった人です。ある時、夜中に出仕する途中で誤
    って10文の銭を滑川に落します。藤綱はその時、
    50文の松明を買って来させて、自ら寒い川に降り
    て水底を照らし、銭10文を探し出します。この話
    を聞いた人々は10文のために50文も払うとは、
    と嘲(あざけ)ます。その時、藤綱はこう言ったと伝
    えられています。「たかが10文であっても、川底
    に沈んだままにするのは天下の損失である。しかし、
    50文の支出は、商人の手に渡って天下の役に立つ。
    拾った10文もまた、天下に回ってゆくのだ」と。

 注・・滑川(なめりがわ)=鎌倉の東部を流れる川。
    ふかき心=滑川に伝わる青砥藤綱の逸話。落した1
     0文を50文の松明を買って探したというお話。

作者・・熊谷直好=くまがいなおよし。1782~1862。香川
    影樹に師事。

出典・・尾崎小永子著「鎌倉百人一首を歩く」。
 

5113

 
うぐいすの 鳴くになみだの おつるかな またもや春に
あはむとすらん
                    藤原教良母
         
(うぐいすの なくになみだの おつるかな またもや
 はるに あわんとすらん)

詞書・・夫が亡くなった後の春、鶯の鳴くのを聞いて詠む。

意味・・鶯の鳴くのを聞いても涙が落ちることだ。生きて
    再び春に逢おうとしているのだろうか。

    夫を失って、生きてゆけそうもないほどの悲しみ
    の中でも、時は過ぎ春がめぐって来る事の感慨を
    詠んでいます。

 注・・あはむとすらん=春まで生きていられようとは思
    っていなかったのに、との意を含む。

作者・・藤原教良母=ふじわらののりよしのはは。子の教
    良は日向守・従五位上。夫は1141年11月没。
 
出典・・詞花和歌集・358。

1420

 
ちかづきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも
あらぬさびしさ
                    会津八一
 
(近づきて 仰うぎ見れども み仏の みそなはすとも
 あらぬ寂しさ)

詞書・・香薬師を拝して。

意味・・近寄って仰ぎ観ても、み仏が自分を認めてご覧
    下さることもないこの寂しさよ。

    古仏像の眼は焦点が合わない感じがするもので、
    香薬師の像も切れ長の瞳もやはりそうである。
    み仏が自分を見つめてくれない寂しさを詠んで
    います。

    「お偉いさん」に相談事をしたいと思っても、
    聞こえない振りをし、知らぬ顔して相手にして
    くれない寂しさと同じ感じです。
    
 注・・香薬師=奈良の新薬師寺堂内に安置する高さ
     70センチ程の金銅製の立像。ふくよかな
     顔つきに腫れぼったく細められた目つきを
     している。目は焦点が合わない感じがする。
    みそなはす=ご覧になる。

作者・・会津八一=あいづやいち。1881~1956。早大
    文科卒。文学士。美術史研究家。
 

7042


花の色を うつしとどめよ 鏡山 春よりのちの
影や見ゆると
                坂上是則
             
(はなのいろを うつしとどめよ かがみやま はるより
 のちの かげやみゆると)

意味・・花の色を、その名のように、鏡に映して、移し
    留めておくれ鏡山よ。春の過ぎ去った後も、花
    の影が見えるように。

    鏡に花の色を映して移し留め、後々までも花見
    る清々しさがあって欲しいものだ。

 注・・うつしとどめよ=「移す」に「写す」を掛ける。
    鏡山=滋賀県蒲生郡竜王町鏡にある山。鏡を連
     想させる。

作者・・坂上是則=さかのうえのこれのり。930年没。
    従五位下・加賀介。三十六歌仙の一人。
 
出典・・拾遺和歌集・73。

 


 
もも鳥の 鳴く山里は いつしかも 蛙のこへと
なりにけるかな
                 良寛
              
(ももとりの なくやまさとは いつしかも かわずの
 こえと なりにけるかな)

意味・・いろいろ多くの鳥が春になってさえずっていた
    この山里は、いつの間にか夏になって、蛙の声
    が耳に聞えるようになったものだなあ。

 注・・もも鳥=百鳥。数多くの鳥。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・良寛全歌集・83。


 
若竹の 風のそよぎに 磨る墨の 匂ひを立つる
朝の手習
                四賀光子 

(わかたけの かぜのそよぎに するすみの においを
 たつる あさのてならい)

意味・・お習字の稽古をしていると、机の向こうの庭先
    に茂っている若々しい竹の若葉をそよがす風が
    吹いて、磨っている墨の香が風とともに匂う朝
    です。

    落ちついた静かな環境の中で習字をする、さわ
    やかさを詠んでいます。

作者・・四賀光子=よつがみつこ。1885~1976。お茶の
    水女子大卒。歌人太田水穂と結婚。

出典・・歌集「朝月」。


 
色や香やいづれ劣らぬ桃桜
                  梅宿
                
(いろやかや いずれおとらぬ ももざくら)

詞書・・男女同権。

意味・・桃と桜、色も香りも、どちらが勝るとも
    劣らない素晴らしい花である。

    明治の初期に詠まれた俳句ですか、男女
    が法的・社会的に同等になったのは、昭
    和21年の憲法発布により実現された。

作者・・梅宿=ばいしゅく。伝未詳。

出典・・俳諧開花集。


今日までは ありと聞きても たのむなよ なほ行く末も
知らぬ命に
                    文貞公 

(きょうまでは ありとききても たのむなよ なおゆく
 すえも しらぬいのちに)

詞書・・元弘二年(1332)世の戦乱によって下総国に遷(うつ)
    された時、都にいる人に申し遣わしました歌。

意味・・今日までのように、世にあると聞いても頼りにして
    くれるなよ。やはりこれからのことはどうなるか分
    らない命なのだから。

    下総に配流される途中で斬られる可能性もあって、
    詠んだ歌です、都の家族に諦めるように諭(さと)し
    ています。
    この年十月に没する。

作者・・文貞公=ぶんていこう。1301~1332。32歳。花山院
     師賢(もろかた)。正二位大納言。元弘の乱の首謀
     者として下総に配流、その地で没。

出典・・新葉和歌集・536。
 

1418

 
み吉野の 高嶺の桜 散りにけり 嵐も白き
春のあけぼの
                後鳥羽院 

(みよしのの たかねのさくら ちりにけり あらしも
 しろき はるのあけぼの)

意味・・吉野山の高嶺の桜はこれですっかり散ってしま
    ったのだ。ほのかに高嶺が浮かび出る春のこの
    夜明け前に、吹き降ろす山風が真っ白に見える
    のであるから。

    京都の最勝四天王院の襖に描かれた吉野の絵を
    題にして詠まれた歌です。

    春の、まだ明けきらないほのかな明かりに、白
    い風がさあっと吹いてゆく。嵐、山風に色は無
    いのだが、白い花びらを巻き込んだ風。こんな
    風が吹き過ぎると、吉野の山の桜もすっかり散
    ってしまったにちがいない、と想像される。

 注・・み吉野=「み」は美称の接頭語。吉野は奈良県
     の吉野で桜の名所。
    嵐も白き=山風も桜の花びらを含んで白く見え
     る。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。1192年に
     源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時の天皇。承久
     の乱で倒幕を企てて破れ、隠岐に流された。
 
出典・・新古今和歌集・133。

3136

 
つれづれと あれたる宿を ながむれば 月ばかりこそ
むかしなりけれ         
                   藤原伊周

(つれづれと あれたるやどを ながむれば つきばかりこそ
 むかしなりけれ)

意味・・なにもすることもなく、ぼんやりと荒れた家を
    眺めてみれば、なにもかも昔と変わってしまっ
    ているが、月の光だけは昔のままである。

    大宰権帥(だざいごんそち)に左遷され、一年後
    に許され帰京したが、元住んでいた家が荒れて
    しまっていたのを詠んだ歌です。
    泣くに泣けない気持ちです。

 注・・つれづれ=世間との交わりの無い閑居なさま。

作者・・藤原伊周=ふじわらこれちか。974~1010。
    正二位准大臣。内大臣より太宰権帥に左遷さ
    れた。

出典・・詞花和歌集・308。

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うちはへて 春はさばかり のどけきを 花の心や
なにいそぐらん
                   清原深養父
             
(うちはえて はるはさばかり のどけきを はなの
 こころや なにいそぐらん)

意味・・ずっと引き続いて春はこのようにのんびりして
    いるのに、花の心はどうしてあわただしく散ろ
    うと急ぐのだろうか。

 注・・うちはへて=打ち延へて。引き続いて。

作者・・清原深養父=きよはらのふかやぶ。生没年未詳。
    清少納言の曾祖父。

出典・・後撰和歌集・92。
 

1417

 
今日ここに 見にこざりせば 梅の花 ひとりや春の
風にちらまし
                  源経信

(きようここに みにこざりせば うめのはな ひとりや
 はるの かぜにちらまし)

詞書・・朱雀院に人々まかりて、閑庭の梅花といへる事
    を詠める。

意味・・今日、この院に私どもが見に来なかったならば、
    梅の花は誰にも賞美されず、一人さびしく春の
    風で散ってしまったのでしよう。
 
    人から見られるという事は、花ばかりでなく、
    人も励みになるものです。

 注・・朱雀院=平安時代の寝殿造りの宮殿。京都府中
     京区あたりにあった。

作者・・源経信=みなもとのつねのぶ。1016~1097。
    正二位大納言。

出典・・金葉和歌集・19。

6587

 
あせにける 今だにかかる 滝つ瀬の はやくぞ人は
見るべかりける      
                  赤染衛門

(あせにける いまだにかかる たきつせの はやくぞ
 ひとは みるべかりける)

詞書・・大覚寺の滝を見て詠みました歌。

意味・・衰えてしまった今でさえ懸かっている滝を、
    (すっかりなくなってしまわないうちに)早く
    人は見ておいたほうがよいと思いますよ。

    大覚寺の滝が枯れたあと公任が詠んだ歌が
    があります。「滝の音は絶えて久しくなり
    ぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」
             (意味は下記参照)

 注・・大覚寺の滝=京都市右京区嵯峨に遺跡として
    現存している。
    あせにける=褪せにける、衰えてしまった。
    かかる=「懸かる」と「斯かる」の掛詞。
    滝つ瀬=急流の意。「はやく」の枕詞。

作者・・赤染衛門=あかぞめえもん。生没年未詳。父
    は平兼盛。

出典・・後拾遺和歌・1059。

参考歌です。
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて
なほ聞こえけれ    
                  藤原公任

(たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそ
 ながれて なおきこえけれ) 
    
意味・・滝の水の音は聞こえなくなってから長い年月
    がたってしまったけれども、その名声だけは
    流れ伝わって、今でもやはり聞こえてくる
    ことだ。

    詞書によれば京都嵯峨に大勢の人と遊覧した
    折、大覚寺で古い滝を見て詠んだ歌です。

 注・・名こそ流れて=「名」は名声、評判のこと。
     「こそ」は強調する言葉。名声は今日まで
     流れ伝わって、の意。後世この滝を「名古
     曾(なこそ)の滝」と呼ぶようになりました。

作者・・藤原公任=ふじわらきんとう。966~1041。
    漢詩文・和歌・管弦の三才を兼ねたという。

出典・・千載和歌集・1035、百人一首・55。


 
百千鳥 さえづる空は 変らねど 我が身の春は
改まりつつ
                後鳥羽院
                
(ももちどり さえずるそらは かわらねど わがみの
 はるは あらたまりつつ)

意味・・いろいろな小鳥がさえずる空はなんの変わりも
    ないが、我が身に訪れる春は、今までと大きく
    相違してしまった・・・。

    隠岐に流されて詠んだ歌です。

 注・・改まりつつ=新しく変わっている。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。第82
    代天皇。承久の乱(1221)によって隠岐に流され
    た。「新古今和歌集」の撰集を命じる。

出典・・遠島御百首(岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」) 

2027

 
散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか
久しかるべき
                  詠み人知らず
                  
(ちればこそ いとどさくらは めでたけれ うきよに
 なにか ひさしかるべき)

意味・・散るからこそいっそう桜は素晴らしいのだ、
    このつらい世にいったい何が長く変わらず
    にあることが出来ようか。
 
    辛く思っている時も一時。世の中に何が久
    しくあろうか。嘆くこともないのだ。
    
    伊勢物語の82段にある歌で、桜の木の下で
    酒宴の時、桜の散るのを嘆いた次の歌に対
    して詠んだ歌です。

   「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心は
    のどけからまし」  (在原業平)

   (世の中に桜というものが全くなかったと
    したら、咲くのを待ち散るのを惜しんで
    心を動かすこともなく、どんなにか春の
    人の心はのんびりすることであろう)
 
出典・・伊勢物語・82段。

2385


 
風さそふ 花よりもなお 我はまた 春の名残を
いかにとやせむ
                   浅野内匠頭長矩
             
(かぜさそう はなよりもなお われはまた はるの
 なごりを いかにとやせん)

意味・・風に乗って最後の華やぎを舞うことが出来る桜よりも、
    同じ春に散る我が身の方が、なお一層、今生への想い
    が残っている。この想いをどうしたらいいのだろうか。
    
    風に吹かれて散る花よりも、急いで(天寿を全うする事
    なく)生涯を終えようとしている私は、この心残りをど
    うしたら良いのだろうか。

    桜の花が散っているこの庭から、遠く山の向こうの
    赤穂を想うと、わが世の春を楽しむ庶民の生活があ
    るだろう。私は、この春が終わった後はどうなるの
    かと心残りがする。

    浅野内匠頭が切腹する時に詠んだ辞世の歌です。
    赤穂では家中・家族・領民一同は今日一日が穏やか
    に暮れたように、明日も穏やかで平和の日々がある
    事を信じて、今日の終わりを迎えているだろう。
    家族や親しい者たちとの楽しい団欒やささやかな幸
    せ、それを自分の一瞬の激発が奪ってしまったのだ。
    
作者・・浅野内匠長矩=あさのたくみのかみながのり。1667
    ~1701。赤穂藩の藩主。忠臣蔵の発端になった人。

出典・松崎哲久著「名歌で読む日本の歴史」

7701

 
はつせ山 入相の鐘を きくたびに 昔の遠く 
なるぞ悲しき    
                  藤原有家

(はつせやま いりあいのかねを きくたびに むかしの
 とおく なるぞかなしき)

意味・・初瀬山に響く夕暮れ時の鐘の音を聞くたびに、昔が
    遠ざかっていくように思われるのが悲しいことだ。
    
    詞書によると、有家の父が亡くなった後、「懐旧」
    という心を詠んだものです。
    「去るものは日々に疎(うと)し」(死んだ者は日が
    たつにつれて人々から忘れられていくという意味)
    というように、長谷寺の夕暮れを告げる鐘が鳴るの
    を聞くたびに、亡き父をいたむ気持が遠くに去って
    いくように感じられ、そのことが悲しいとことだと
    詠んだ歌です。

  注・・はつせ山=奈良県桜井市初瀬町にある山、長谷寺があ
    る。
   入相(いりあい)の鐘=日没を告げる長谷寺の鐘。 
   なる=「遠くなる」と「鐘が鳴る」を掛けている。
 
作者・・藤原有家=ふじわらありいえ。1155~1216。25才
    の時に父を亡くす。新古今和歌集の撰者の一人。
 
出典・・千載和歌集・708。 


 
今日はもし 人もやわれを 思ひ出づる われも常より
人の恋しき
                   永福門院 

(きょうはもし ひともやわれを おもいいずる われも
 つねより ひとのこいしき)

意味・・今日はもしかしたら、あの人も私のことを思い出
    しているのではないだろうか。私も、いつもより
    あの人のことが恋しく思われるので。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。伏見
    天皇の中宮。京極派の代表的歌人。

出典・・風雅和歌集。


 
山鳥の ほろほろと鳴く 声聞けば 父かとぞ思ふ 
母かとぞ思ふ
                 行基菩薩
            
(やまどりの ほろほろとなく こえきけば ちちかとぞ
 おもう ははかとぞおもう)

意味・・山鳥がほろほろと鳴く声を聞いていると、父が
    呼ぶ声かとも母が呼ぶ声かとも思われまことに
    なつかしい。

    今は亡き父や母の慈愛をしのぶ歌です。

 注・・山鳥=キジ科の野鳥。

作者・・行基菩薩=ぎょうきぼさつ。668~749。大僧正。

出典・・玉葉和歌集。


 
花散らで 月は曇らぬ よなりせば ものを思はぬ
わが身ならまし
                 西行
                
(はなちらで つきはくもらぬ よなりせば ものを
 おもわぬ わがみならまし)

意味・・花は散ることなく、月は曇ることのない夜-----
    そんな世であったならば、自分は何も思うことは
    ないであろうに。

    反実仮想で、花は散り月は曇るゆえにもの思いが
    絶えないという述懐の歌です。    

 注・・ものを思はぬ=思い悩まない。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。鳥羽院北面の武士。
    23歳で出家。 

出典・・山家集・72。


この憂さを 昔語りに なしはてて 花たちばなに
思ひ出でめや
                 西行
               
(このうさを むかしがたりに なしはてて はな
 たちばなに おもいいでめや)

意味・・この世の憂さはすべて昔語りにしてしまって、
    花橘の香に誘われて懐旧の念にひたろうよ。

    昔はこんな辛いこともあったことだ、と懐旧し
    昔物語にする。

 注・・昔語り=昔あったことの話。憂きことも時間
     の経過と共に美化される。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。俗名佐藤義
      清。下北面の武士として鳥羽院に仕える。
      1140年23歳で財力がありながら出家。出家
      後京の東山・嵯峨のあたりを転々とする。
      陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を結び
     仏者として修行する。

出典・・山家集・722。

 

2493


 
咲けばちる 咲かねば恋し 山桜 思ひ絶えせぬ
花のうへかな
                中務 

(さけばちる さかねばこいし やまざくら おもい
 たえせぬ はなのうえかな)

詞書・・子にまかりおくれて侍りけるころ、東山に
    こもりて。

意味・・花が咲けば散ってしまうかと心配し、咲か
    なければまたひたすらに恋しく思われます。
    亡くなった私の子供と同じように、花にも
    物思いが絶えません。
 
    這えば立て、立てば歩めの親心と言われる
    ように育てた我が子を偲んで詠んでいます。

作者・・中務=なかつかさ。本名・生没年未詳。父が
     中務卿であったので「中務」と呼ばれた。
     960年頃の歌人。
 
出典・・拾遺和歌集・36。

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