名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

2019年11月


世の中の 遊びの道に すずしきは 酔ひ泣きするに
あるべかるらし
                 大伴旅人
           
(よのなかの あそびのみちに すずしきは えいなき
 するに あるべかるらし)

意味・・世の中の遊びの道で清々しく快いのは、酔って
    泣いたりするのにあるようだ。

    世間の遊びの道が面白くなければ、いっそ酒を
    飲んで泣き上戸にでもなるほうがいいらしい。

    作者は大宰府まで伴った妻と死別して悲嘆のど
    ん底にあった頃詠んだ歌です。

 注・・すずしき=涼しき。気持がさっぱりしている。
     さわやかである。

作者・・大伴旅人=おおとものたびと。665~731。従二
    位大納言。大伴家持の父。

出典・・万葉集・347。
 


 
忘らむて 野行き山行き 我来れど 我が父母は
忘れせぬかも
                 商長首麻呂 

(わすらんて のゆきやまゆき われくれど わがちち
 ははは わすれせぬかも)

意味・・忘れようとして、野原を眺め山を眺め私はやっ
    て来たけれども、我が父母のことは・・・。
    忘れられない。

    防人の歌です。駿河国(静岡県)から難波(大阪)
    に向かう途中の野と山を詠んだ歌です。防人達
    は、野を越え山を越えはるばる難波までやって
    来て集結。それから海路筑紫(福岡県)に向かっ
    た。
    兵役につくわけだから、いつまで経っても父母
    のことばかりを思って、めそめそしているわけ
    にはいかない。だから、忘れようとして、野原
    を通っている時には野原を眺め、山を通ってい
    る時には山を眺め、やって来たけれども、父母
    の事は忘れられないのである。だから、ひたす
    ら歩くしかなかった。

 注・・忘らむて=苦しさを忘れようと努める。「て」
     は「と」の訛り。

作者・・商長首麻呂=あきのおさのおびとまろ。生没年
    未詳。駿河の防人。

出典・・万葉集・4344。


 
淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 情もしのに
古思ほゆ
                柿本人麻呂

(おうみのみ ゆうなみちどり ながなけば こころも
 しのに いにしえおもほゆ)

意味・・近江の湖の夕べの波の上を飛ぶ千鳥よ、お前が
     鳴くと、心もしおれて昔のことが(繁栄していた
     頃の都が)思われることだ。

    壬申の乱後、荒れた近江の都を過ぎる時に詠んだ
    歌です。

 注 ・・淡海の海=近江の海、すなわち琵琶湖のこと。
    情(こころ)もしのに=心もしおれなびくように。
    古思ほゆ=昔のことが思われる。「古」は、今は
     廃墟と化したこの地に、壮麗な大津の宮があっ
     た時代をさしている。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとのひとまろ。生没年未詳。

出典・・万葉集・266。


 
目に嬉し恋君の扇真白なる
                   蕪村

(めにうれし こいぎみのおうぎ ましろなる)

意味・・大勢が一座する場所に、ひそかに思いをよせる男性
    がいる。その人は真っ白な扇を手にしてゆったりと
    風をいれている。いかにも品格のある、清潔な人柄
    がしのばれる。

    やや離れた場所から、相手の姿をほれぼれと頼もし
    く眺めている女性の心情を詠んでいます。

 注・・恋君(こいぎみ)=女性から見て男性の恋人をさす。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。

出典・・蕪村全句集・1298。


1480 (2)

 
髪しろく なりても親の ある人も おほかるものを 
われは親なし           
                 橘曙覧

(かみしろく なりてもおやの あるひとも おおかる
 ものを われはおやなし)

意味・・髪が白くなっても両親がそろっている人も大勢
    いるといのに、私の親は父も母もいない。

    父の17年忌に詠んだ歌です。
    曙覧は母を2歳で、父を14歳の時に亡くして
    います。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く
    父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。

1479

 世の中を 何に譬へん 弥彦に たゆたふ雲の
風のまにまに
               良寛
           
(よのなかを なににたとえん いやひこに たゆたう
 くもの かぜのまにまに)

意味・・この世の中を過ごして行く態度として、何に譬え
    たらよいだろうか。それは、弥彦山に漂う雲が風
    の吹くのに従っているのに譬えたらよい。

    人の言うことは、否定を少なくして肯定する事を
    多くすれば人間関係は良くなる・・・。

 注・・弥彦=新潟県にある弥彦山。
    たゆたふ=漂う。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。
 
出典・・良寛歌集・495。

5525
        歌川広画・小夜の中山

越え行くも 苦しかりけり 命ありと またとはましや
小夜の中山
                  後深草院二条 

(こえゆくも くるしかりけり いのちありと また
 とわましや さやのなかやま)

意味・・越えて行くのも苦しい小夜の中山です。もし命
    があるとしも、またここに来て越える事がある
    でしようか。あの西行のように、その歌のよう
    に。

    後深草院の寵愛を受けた二条は、また同時に他
    の男性達と関わりをもち、宮廷女性として華や
    かな、しかし悩み多い生活をした。30歳頃宮廷
    を出て尼姿になり、憧れていた旅と歌に生きた
    西行の生活を自らも送り、後にその愛欲と旅の
    半生の記録を「とはずがたり」に綴る。
    旅の途次、小夜の中山に至って、西行の「年た
    けてまた越ゆべしとおもひきや命なりけり小夜
    の中山」を思い出して詠んだ歌です。

 注・・小夜の中山=静岡県掛川市にある坂路。古く東
     海道が通じ、歌枕として有名。

作者・・後深草院二条=ごふかくさいんのにじょう。12
              58~?。幼時より後深草院の許に育つ。恋愛に
    悩み、のち出家し諸国遍歴の旅に出る。半生の
             記録「とはずがたり」。
 
出典・・とはずがたり。

参考歌

年たけて また越ゆべしと おもひきや 命なりけり
小夜の中山
                   西行 

意味・・若かった日、小夜の中山を越えた折、年老いて
    再び越えることがあると思っただろうか。命が
    あるから今越えて行くのである。

    東大寺再建のため、砂金勧進を目的として、藤
    原秀衝(ひでひら)を平泉に訪ねた時の歌。
    「命なりけり」に求道の年月を経て今日に至っ
    た自分の命によせる、激しく、しかもしみじみ
    と深い思いが、よく表現されている。

出典・・新古今・987。

 

1476

 
おろかさを 老いてくやまん 人はあらじ 学びにいらぬ
童なければ
                    裕
               
(おろかさを おいてくやまん ひとはあらじ まなびに
 いらぬ わらわなければ)

意味・・愚かである事を年老いて後悔するような人はある
    まい。学びの道に入らない子供などはいないので。

    明治5年に学制が公布され小学校が設置された。
    この時に詠まれた歌です。

作者・・裕=ゆたか。伝未詳。
 
出典・・明治開花和歌集。

1475

 
こんなにも 湯呑み茶碗は あたたかく しどろもどろに
吾はおるなり
                   山崎方代
             
(こんなにも ゆのみちゃわんは あたたかく しどろ
 もどろに われはおるなり)

意味・・湯飲み茶碗の手ざわりというより、茶碗にお茶
    を注いでもらった、その温かさにしどろもどろ
    になっている。

    方代は定職を持たず、家庭を持たず援助者の好
    意で生活をして一生を終えている。孤独の生活
    は、その裏返しの温かさをかみしめる生活の累
    積でもあった。たった一碗のお茶の温かさに心
    が揺れるほど、現実は孤独。自分の人生を振り
    返ればしどろもどろ。この先もしどろもどろ。

作者・・山崎方代=やまさきほうだい。1914~1985。
    尋常高等小学校卒業。
     
出典・・歌集・右左口(うばぐち)(東京堂出版「現代短

    鑑賞事典」)

1474
    香具山(152m)・畝傍山(199m)・耳成山(139m) 遠景は金剛・葛城

香具山と 耳成山と 闘ひし時 立ちて見に来し
印南国原
               中大兄皇子
          
(かぐやまと みみなしやまと あいしとき たちて
 みにこし いなみくにはら)

意味・・ああ、ここが、香具山と耳成山とが争った時、
    阿菩大神(あぼのおおかみ)が立って、見に来た
    という印南国原だ。

    大和三山の妻争いの伝説を歌ったもの。大和平
    野には香具山(男山)・畝傍(うねび)山(女山)・
    耳成山(男山)が向い合い、この三山が妻争いを
    したという伝説。阿菩大神が仲裁に来たという。
    神代の時代からこんなふうであり、昔もそうだ
    から、今の世でも妻を求めて争うものだと嘆い
    た歌。

 注・・印南国原=明石から加古川あたりにかけての平
     野。

作者・・中大兄皇子=なかのおおえのおうじ。後の天智
    天皇。
 
出典・・万葉集・14。
 

1473

 
何事も 修行と思ひ する人は 身のくるしみは
きえはつるなり
               至道無難

(なにごとも しゅぎょうとおもい するひとは みの
 くるしみは きえはつるなり)
 
意味・・人間は生きてゆく時、苦しい事の方が多い。その
    困苦を修行と受け止めて人生に立ち向かうならば、
    身の苦しみというのは消えてしまうのだ。
 
    現在は修行の文字は死語になっているが、鍛錬・
    訓練と同じことです。
 
 注・・修行=鍛錬、訓練。財産・名誉・性欲といった
     人間的な欲望(相対的幸福)から解放され、
     生きていること自体に満足感を得られる状態
    (絶対的幸福)を追求すること 。能力・技術の
     向上を目指した訓練。

作者・・至道無難=しどうぶなん。1603~1676。江戸
            時代の僧侶。
 
出典・・鎌田茂雄著「禅とはなにか」。

1470

 
ながき夜に まよふ闇路の いつさめて 夢を夢とも
思ひあわせん
                   藤原為子 

(ながきよに まようやみじの いつさめて ゆめを
 ゆめとも おもいあわせん)

意味・・暗闇をさまようようなこの世の煩悩もいつか
    覚め、その時には、夢は夢だと思いあたる事
    でしょう。

    煩悩はこの世における人間の持つさまざまな
    欲。人間はその持てるもののために迷い苦し
    むのである。
    為子は伏見院の中宮の永福門院に仕えた。当
    時は北条家の全盛。武家と皇室との対立の時
    代。皇室も南朝と北朝で対立していた。和歌
    の道でも、京極・二条・冷泉三家が対立する
    複雑な時代であった。見定め難い人の世に、
    醒めた眼で行く末を思い詠んだ歌です。

 注・・ながき夜にまよふ闇路=「闇路」は心の迷い・
     煩悩・悩み。煩悩のために苦界を脱し得な
     い事。

作者・・藤原為子=生没年未詳。京極為兼の姉。伏見
     天皇の中宮・永福門院に仕える。「玉葉和
     歌集」の撰集に携わる。
 
出典・・風雅和歌集・1909。


 
遅き日の つもりて遠き むかしかな    
                      蕪村

(おそきひの つもりてとおき むかしかな)

詞書・・懐旧。

意味・・日の暮れの遅い春の一日、自然と思いは過去に
    向う。昨日もこんな日があり、一昨日もこんな
    日であった。こんな風にして、過去の一日一日
    も過ぎていった。やがて来る残り少ない未来の
    ある一日も、このようにして昔となってゆくだ
    ろう。

    心は遠い昔にはせ、老いの寂しさを詠んだ句です。

    白居易の漢詩、参考です。
    
     「懐旧」   

    往時渺茫として全て夢に似たり 
    旧遊零落して半ば泉に帰す

    おうじ ぼうぼうとして すべてゆめに にたり
    きゅうゆう れいらくして なかば せんにきす

    過ぎ去った昔のことはぼおっとかすんでしまって、
    全てが夢のようだ。かって良き遊び友達の半ばは、
    木の葉が落ちるように欠けていって、半分は泉下
    に帰してしまって嘆かれる。

 注・・つもり=積り、一日一日が積って過去になる。
    渺茫(ぼうぼう)=水の広大なさま。
    旧遊=旧友。
    零落=草木の葉が落ちること。

作者・与謝蕪村=よさぶそん。1716~1783。池大雅と共
   に南宗画の大家。

出典・・おうふう社「蕪村全句集」。

    遅き日のつもりて遠きむかしかな  蕪村

    (春日遅々、昨日もこんな日であり、一昨日も
    こんな日であった。こうした日を幾年となく
    重ねて、昔も遠くなってしまったことだ)

    この句には昔の良き時代を懐かしみ、自分の
    良き時代を懐かしむ気持ちも含まれています。

    良き時代の一例。
    あをによし奈良の京は咲く花の薫ふがごとく
    今盛りなり

    (奈良の都は、咲いている花が色美しく映える
    ように、今真っ盛りである)


    毎日を平々凡々と過ごしているように見えま
    すが、自分のこの一年間を振り返るとあの時
    は良かったと思う時があるもです。10年前、
    20年前を振り返って見ても、その間にも良き
    時代があったと思い出されるものです。頑張
    っていた良き時代があります。
    そういう昔も、遠くなったものだという昔を
    懐かしむ気持ちが含まれる蕪村の句です。

    現在の自分は杖を頼りに歩く状態だとします。
    特になすべき事もなく平々凡々と日々を過ご
    している。生産性のある事もしてもいない。

    この状態を何年か後の身体がもっと弱った時
    に思い
浮かべたらどうでしょう。
    あの時は杖を頼りながらでも公園まで歩き、
    美しく咲いた花を楽しんだものだ。よく頑張
    って散歩に出かけたものだ、と思うかも知れ
    ない。
    後から見ると、当時は何でもない事を、頑張
    っていたとか、楽しんでいたと思うものです。
    後日になってあの時は良かったと思うのでは
    な
く、その日にその日が良かっと思うように
    な
りたい。すなわち、「日々是好日」を味わい
    たく思う。


 
花に来ぬ 人笑ふらし 春の山   
                杉木望一

(はなにこぬ ひとわらうらし はるのやま)

意味・・春の山はどこか明るく、山全体がなんだか
    笑っているようであるが、それはきっと、
    この山の美しい満開の桜を見に来ない人を
    笑っているのであろう。

作者・・杉木望一=すぎきもいち。1586~1643。
    伊勢神宮の神職の家に生まれた。盲目で
    あるが伊勢俳諧の有力な指導者となる


 
唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてぞ来ぬや 
母なしにして 
              国造小県郡他田舎人大島

(からころも すそにとりつき なくこらを おきてぞ
 きぬや ははなしにして)

意味・・唐衣の袖に取りすがって泣きじゃくる子ら、
    ああ、その子らを置き去りにして来てしまっ
    た。母親もいないままに。
  
    死別か何かの事情で母のいない子供達を無理
    やりに残してきた悲痛な心情を詠んだ歌です。
    防人という公務が個人的事情を全く考慮され
    ない強制力の強いものであったことがうかが
    われます。
 
 注・・防人=東国から送られて北九州の要地を守った
     兵士。
    唐衣=外国風にしたてた服。防人としての官給
     の服。
    置きて=後に残して。
    母なしにして=母親もいなくて。
    国造(くにのみやつ)=地方の豪族。防人の中で
     最上位の地方長官。
    小県郡=長野県上田市のあたり。

作者・・他田舎人大島=おさたのとねりおおしま。防人。

出典・・万葉集・4401。


 
さざなみの 志賀の大わだ 淀むとも 昔のひとに 
またも逢はめやも                 
                  柿本人麻呂

(さざなみの しがのおおわだ よどむとも むかしの
 ひとに またもあわめやも)

意味・・志賀の大わだ、この大わだが昔のままにいくら
    淀んでいても、ここで昔の大宮人に再びめぐり
    逢えようか。逢えはしない。

    近江の荒れた都を通り過ぎる時に詠んだ歌です。
    近江は壬申の乱で焼失し荒廃した。

    変わらない自然に人生のはかなさを対比させて
    います。

 注・・さざなみ=志賀の枕詞。
    大わだ=湾曲して水の淀む所で、舟遊びの適所。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没年未詳。
    710年頃死亡。

出典・・万葉集・32。

1469

 
ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の
荒れまく惜しも
                  柿本人麻呂
           
(ひさかたの あめみるごとく あおぎみし みこの
 みかどの あらまくおしも)

意味・・大空を見るように仰ぎ見ていた草壁皇子の御殿が
    荒れてゆくのは悲しいことだ。

    草壁皇子の父は天武天皇、母は持統天皇。天武天皇
    崩御後、ライバルの大津皇子に争い勝ち、持統天皇
    と供に天下を取ったが28歳の若さで亡くなった。
    その後の宮殿の荒れて行く姿を詠んだ歌です。

 注・・皇子=ここでは28歳で亡くなった草壁皇子をさす。
    御門=宮殿。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没年未詳。万
    葉時代の最大の歌人。

出典・・万葉集・168。


 
雲雀たつ 荒野に生ふる 姫ゆりの 何につくとも
なき心かな
                 西行
               
(ひばりたつ あらのにおうる ひめゆりの なんに
 つくとも なきこころかな)

意味・・雲雀が飛び立つ荒野に生えている姫ゆりの
    揺れる姿は、何事にもとらわれる事もなく
    無心に咲いた花、それは美しく見える。

    自然の姿は何事にも囚われない、執着心が
    ない。なんと美しいことだろうと歌ってい
    ます。

 注・・姫ゆり=「姫百合」と「揺り」を掛けている。
    何につくともなき心=何物にも囚われる事の
     ない自由な心。何事にも執着しない心。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。

出典・・山家集・866。

1468 (2)


あかねさす 日は照らせど ぬばたまの 夜渡る月の
隠らく惜しも
                   柿本人麻呂
             
(あかねさす ひはてらせど ぬばたまの よわたる
 つきの かくらくおしも)

意味・・日は照っているが(持統天皇はおられるが)夜空を
    渡る月が隠れてしまう(草壁皇子が亡くなった)の
    はつくづく惜しまれる。

    草壁皇子の父は天武、母は持統天皇で、天武崩御後、
    ライバルの大津皇子を謀反の罪で除き、持統天皇と
    供に政治を執っていたが草壁皇子は689年28歳で亡
    くなった。草壁即位の期待が空しくなり、嘆きを詠
    んだ歌です。

   注・・あかねさす=「日」の枕詞。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとひとまろ。生没年未詳。万
    葉時代の最大の歌人。
 
出典・・万葉集・169。

1467 (3)


家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥せる
この旅人あはれ
               聖徳太子
             
(いえならば いもがてまかむ くさまくら たびに
 こやせる このたびとあわれ)

意味・・家にいたならば妻の手を枕として休みもするだろうに、
    草を枕の旅に出て、こうして行き倒れに倒れてしまっ
    ている旅人よ。ああなんとあわれなことだ。

    「日本書紀」にも聖徳太子が行き倒れを悼む次のよう
    な長歌を詠んでいます。

    片岡山で、食べ物に餓えて横になっておいでになる、
    その旅人はお気の毒であることだ。親がないままに生
    まれ育ってきたのか、仕える主人はいないのか、そん
    なことはなかろうになあ。食べ物に餓えて横になって
    おいでになる。その旅人はお気の毒であることだ。

    (しなてなる 片岡山に 飯に餓えて 臥せる その
    旅人あはれ 親なしに 汝生りけめや さす竹の 君
    はや無き 飯に飢えて 臥せる その旅人あはれ)

  注・・臥(こや)せる=横になられる(尊敬語)。特に死者に対
     して用いる。

作者・・聖徳太子=しょうとくたいし。574~622。17条憲法
    制定、国史の編纂、大陸文化の導入に努める。法隆寺
    ・四天王寺を建立。
 
出典・・万葉集・415。
 

3122

 
時ありて 花ももみぢも ひとさかり あはれに月の
いつもかはらぬ
                  藤原為子 

(ときありて はなももみじも ひとさかり あわれに 
 つきの いつもかわらぬ)

意味・・花も紅葉もそれぞれに決まった時期があって盛り
    を見せるのに、あわれ深い月はいつも変わらぬ姿
    で空にあることです。

    春の花、秋の紅葉、それぞれ、一年の内の短い時
    期だけれど、思い切り美しい姿を見せる。
    それに比べて「月」はいつも変わらぬ存在である。
    そうした不変のものの「あはれ」の情趣がしみじ
    み心に沁(し)みるのであるが、それは、盛りの時
    を経てはかなくなってゆく花、紅葉、そして人生
    への愛惜でもある。

    為子の生きた時代、必ずしも華やいだ平安な日々
    ではなかった。北条氏全盛の時、為子が仕えてい
    た宮廷は揺れ、為子の兄弟である京極為兼は幕府
    によって流されたりもした。

    様々に咲き、散る人生を思う時、ひとり「月」の
    不変はいとしいのだ。
 
 注・・あはれ=しみじみと心をうつさま。いとしいさま。

作者・・藤原為子=ふじわらのためこ。生没年未詳。京極
     為兼の姉。伏見天皇の中宮(永福門院)に仕える。
 
出典・・風雅和歌集・1683。

1466

 
ただ一人の 束縛を待つと 書きしより 雲の分布は
日々に美し
                   三国玲子
             
(ただひとりの そくばくをまつと かきしより くもの
 ぶんぷは ひびにうつくし)

意味・・愛の束縛・・。結婚を前提にした交際を納得した
    日、手紙を書いている作者がいる。「ただ一人の
    束縛を待つ」という、絶対的な信頼をこめた手紙
    を書いた日から、仰ぐ空も雲の景色もずっと違っ
    た感情でとらえるようになった。

    「ただ一人の束縛を待つ」は愛の本質を言い当て
    います。

作者・・三国玲子=みくにれいこ。1924~1987。川村女
    学院卒業。
 
出典・・歌集「花前線」(東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」)

1465

 
あしびきの 山田のそほづ おのれさへ 我を欲してふ
うれはしきこと
                   詠み人知らず
             
(あしびきの やまだのそほず おのれさえ われを
 ほしちょう うれはしきこと)

意味・・山田の案山子さん、お前までが私をお嫁さんに
    したいという。ほんとうに困ったことだ。

    山田の案山子は、みすぼらしい男を極端に馬鹿
    にした呼びかたであり、そのような男に求婚さ
    れた女が、身震いするような調子でたまらない
    といって詠んだ歌です。

 注・・あしびき=山の枕詞。
    山田のそほづ=山田の案山子。ここでは相手の
     男を軽蔑していったもの。
    おのれさえ=お前までが。「さえ」は案山子以
     外からも求婚されている事を表す。
    我を欲してふ=私を妻に欲しいという。
    うれはし=憂はし。嘆かわしい。
 
出典・・古今和歌集・1027。


先立たぬ 悔いの八千度 悲しきは 流るる水の
かへり来ぬなり
                 閑院
            
(さきだたぬ くいのやちたび かなしきは ながるる
 みずの かえりこぬなり)

意味・・先に立たない後悔が、繰り返し繰り返し思い出
    されて悲しいのは、流れる水が元に戻ってこな
    いように、死んだ人が元に戻らないことです。

    親しい人が亡くなって弔問の時に詠んだ歌です。
    その人の為に何かをしてあげていれば良かった
    のに何もしてあげられなかった。その後悔は流
    れる水が元に帰らないように、してあげられな
    く残念でたまらなく思うのです。       

 注・・先立たぬ悔い=後悔先に立たず。すでに終わっ
     た事を、いくら後で悔やんでも取り返しがで
     きない。
    八千度=何千回も、「八」は数や量が多いこと。
    流れる水の帰り来ぬ=流水は再び元に帰らない、
     そのように悔い嘆いても元には戻らない。


作者・・閑院=かんいん。920年頃の女性。
 
出典・・古今和歌集・837。


 思い切れ 切らねば一個の 武者ならず 百まで生きぬ
人の世の中
                   
(おもいきれ きらねばいっこの むしゃならず ひゃくまで
 いきぬ ひとのよのなか)

意味・・思い切るのだ、切らなければ一人前の武者(武士)では
    ない。どうせ100歳までも生きはしない、人の命なの
    だから。

    くよくよ考えていても始まらない。やってみる事が第
    一である。やってみて駄目だと思ったら、引き際も大
    切。全ての事は、思い切る事が大切なのである。

      未練、執着、迷い・・、こうした思いが渦巻いた時は、
    この言葉を思い返すのもいいだろう。

出典・・斎藤亜加里著「道歌から知る美しい生き方」。


 
たまゆらに 昨日の夕べ 見しものを 今日の朝に
恋ふべきものか
                  詠み人知らず 

(たまゆらに きのうのゆうべ みしものを きょうの
 あしたに こうべきものか)

意味・・昨日の夕べ、ほんのちらと、偶然めぐりあった
    あの人なのに、もう今朝は、あの人の面影が胸
    に棲(す)みついて、私はあの人を恋し始めてい
    る。こんな事があるものだろうか。

 注・・たまゆら=珠と珠が触れあつてかすかな音をた
     てるその瞬間の事。束の間の短い時間。

出典・・万葉集・2391。


 
人知れぬ 大内山の 山守は 木隠れてのみ 
月を見るかな
              源頼政 

(ひとしれぬ おおうちやまの やまもりは こがくれ
 てのみ つきをみるかな)

意味・・人に知れない大内山の山守である私は、木に
    隠れた状態でばかり月を見ることです。

    大内山の山守,つまり内裏守護番の私はいつも
    物陰からひっそりと帝を拝見するばかりです。

    内裏守護の役にありながら昇殿を許されない
    無念さを、帝を月に、我が身を賎(いや)しい
    山守になぞらえて表現しています。

    「平家物語」はこの歌によって頼政は昇殿を
    許されたという。

 注・・大内山=皇居、宮中。
    山守=山を守る事、山の番をする事。ここで
     は内裏の守護番。
    木隠れて=表立たない状態の比喩。
    昇殿=清涼殿の殿上の間の出入りが許される
     事。

作者・・源頼政=みなもとのよりまさ。1104~1180。
    平氏に叛(そむ)き宇治河合合戦に破れ自害。
    従三位。

出典・・千載集・978。


 
たらちめは かかれとてしも むばたまの わが黒髪を
なでずやありけむ
                    遍照 

(たらちめは かかれとてしも むばたまの わが
 くろかみを なでずやありけん)

意味・・私の母はよもやこのように出家剃髪せよと
    言って、私の黒髪を撫でいつくしんだので
    はなかったろうに。

    詞書により、出家直後に詠んだ歌です。
    出家直後の悔恨に近い複雑な心情が、母親
    へのいとおしさとともに詠まれています。

 注・・たらちめ=母の枕詞。母。
    かかれ=斯かれ。このような。
    出家=家庭生活をも捨てて仏門に入る事。
     仏門では5戒とも250戒とも言われる戒
     を修行して解脱への道を求める。

作者・・遍照=へんじょう。814~890。僧正。3
    6歳の時に出家。

出典・・後撰和歌集・1240。


 
小山田の さなへの色は すずしくて 岡べこ暗き 
杉の一村
                  永福門院

(おやまだの さなえのいろは すずしくて おかべ
 こぐらき すぎのひとむら)

意味・・山あいの田の早苗の色は涼しげな緑で、
    その向こうの岡のあたりには、杉木立が
    木暗く茂っている。

 注・・一村=一叢、群生している草木の一まとまり。

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
    伏見天皇の中宮。

出典・・岩波書店「中世和歌集・鎌倉篇」。


 
水なしと 聞きてふりにし 勝間田の 池あらたむる 
五月雨の頃 
                  西行

(みずなしと ききてふりにし かつまたの いけあら
 たむる さみだれのころ)

意味・・水が無いということで長い年月言いつがれて
    きた勝間田の池でも、五月雨が降り続き、池
    の様子もすっかり変ってしまったものだ。

    五月雨が降りようやっと池に水が貯まった喜
    びを歌っています。

 注・・ふりにし=「古り」と「降り」の掛詞。
    勝間田=奈良県生駒郡。
        あらたむる=新しくなる。

作者・・作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。
    俗名佐藤義清。下北面の武士として鳥羽院に
    仕える。1140年23歳で財力がありながら出
    家。出家後京の東山・嵯峨のあたりを転々と
    する。陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を
    結び仏者として修行する。家集「山家集」。

出典・・家集「山家集・225」。

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