名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

2020年01月


 
あはれなり わが身の果てや 浅緑 つひには野辺の
霞と思へば
                 小野小町

(あわれなり わがみのはてや あさみどり ついには
 のべの かすみとおもえば)

意味・・あはれだなあ、私の亡きがらは荼毘に付せられ、
    浅緑色の煙と立ち昇り、お終いには野辺に立ち
    なびく霞になってしまうと思うと。

    辞世の句と言われています。
    いずれは霞となってしまう身、だから小さな事
    にくよくよせずに、前向きに生きて行って欲し
    い。
    
 注・・浅緑=霞の色をいう。
    野辺の霞=火葬されて立ちなびく煙を暗示。

作者・・小野小町=生没年未詳。六歌仙。

出典・・新古今和歌集・758。


 
命一つ 身にとどまりて 天地の ひろくさびしき
中にし息す
                窪田空穂

(いのちひとつ みにとどまりて あめつちの ひろく
 さびしき なかにしいきす)

意味・・命一つ、他のものはすべて、老いたがゆえに無く
    なっているが、最後に大切な命だけは残っている。
    欲望、志、目標といったものも無くなり寂しいが、
    この広い天地自然の中に静かに自分は生きている
    のだ。

    77才の時に「老境」という題で詠んだ歌です。
    命一つ以外何も無い。もう失う物は無い。気楽な
    気持ちで老境を楽しもう。あるがまま、思うまま
    に生きて行こう。

    命一つ以外に何も無い状態にするのは困難がつき
    まといます。常に「断捨離」と念仏のように唱え
    ていなければ出来ません。

    断:入ってくるいらない物を断つ。     
    捨:家にずっとあるいらない物を捨てる。    
    離:物への執着から離れる。

    不要な物を断ち、捨てることで、物への執着から
    離れ、自身で作り出している重荷からの解放を図
    り、身軽で快適な生活を心掛けることです。

作者・・窪田空穂=くぼたうつぼ。1877~1967。早稲田
    大学卒。国文学者。

出典・・歌集「丘陵地」(実業之日本社「現代秀歌百人一
    首」)


 
一夜寝ば 明日は明日とて 新しき 日の照るらむを
何か嘆かむ
                 半田良平 

(いちやねば あすはあすとて あたらしき ひのてる
 らんを なにかなげかん)

意味・・つらい苦しいことの連続の日だか、一晩寝たら
    明日は明日で新しい日が照るであろう。だから
    どうして嘆いたりしょうか。    
 
    作者には三人の息子がいた。昭和17年に次男を
    昭和18年に長男を肺結核で失う。昭和20年には
    三男を戦死で失い、自分も肋膜を病んで病臥し
    ていた。この頃に詠んだ歌です。明るさのない
    苦難の続く日々であるが、それでも明日を信じ
    て「新しき日の照る明日」と希望を持って生き
    抜く。「明日は明日の風が吹く」明日は明日で
    なるようになるのだから、くよくよしても始ま
    らない。嘆いたりはしないぞ。

作者・・半田良平=はんだりょうへい。1887~1945。
     生涯私立東京中学に勤務。窪田空穂に師事。
     
出典・・歌集「幸木」。


 
後世は猶 今生だにも 願はざる わがふところに 
さくら来て散る
                山川登美子

(ごせはなお こんじょうだにも ねがわざる わが
 ふところに さくらきてちる)

意味・・もう残り少ない私の命。この世の幸せどころか、
    来世の極楽さえも願うことはありません。今、
    療養している床の中に、私を慰めるように、桜
    の花びらが、心の中で散っています。

    結核が進行し、身体が蝕(むしば)まれて助かる
    見込みがない時、床に臥せて詠んだ歌です。

    もう直に私は死ぬことでしょう。でも今は、桜
    の花が散りかかっているような安らかな気持ち
    です。それで何ももう望んではいません。

 注・・後世=来世。
    今生=この世、この世に生きている間。

作者・・山川登美子=やまかわとみこ。1879~1909。
    大阪梅花女学校卒。鉄幹を慕っていたが親の
    勧めた人と結婚。夫は翌年死亡。結核が元で
    死亡、29歳の若さであった。

出典・・岩波文庫「山川登美子歌集」。


 
思ふにし 死にするものに あらませば 千たびぞわれは
死にかへらまし
                   笠女郎

(おもうにし しにするものに あらませば ちたびぞ
 われは しにかえらまし)

詞書・・大伴家持に贈る歌。

意味・・片思いの辛さがつのって死んでしまうもので
    あるなら、私は千回も思いつめて死ぬことを
    繰り返しているでしょう。

    身分違いで叶えられない恋の嘆き悲しみです。

    恋で苦しんでいる気持ちは分る、分るよ、笠
    女郎さん。私も何度も経験しましたよ、と慰
    めてやりたいものです。

 注・・大伴家持=718~785。少納言。万葉集の編纂
    を行う。

作者・・笠女郎=かさのいらつめ。伝未詳。家持と交際
    のあった女流歌人。


 
中々に とはれし程ぞ 山ざとは 人もまたれて
さびしかりつる
                木下長嘯子

(なかなかに とわれしほどぞ やまざとは ひとも
 またれて さびしかりつる)

意味・・かえって訪問されていた時の方が、もしかして
    人が来るかもしれないと自然と待たれて、山里
    は寂しいものだなあ。

    寂しさの中でも、「自分は見捨てられている」、
    「誰からも相手にされない」と思う寂しさが
    一番辛いものです。
    人が全く訪ねて来なかったら、誰からも顧みら
    れないという寂しさが湧いて来て辛いものです
    が、いつしか諦めてしまう。
    ところが、時たま人が訪ねて来ていると、私は
    まだ忘れられた存在ではないと安心する。だが、
    もう訪ねて来る頃だと思っていても人は誰も来
    ない。すると自分は見捨てられたのかなあ、と
    寂しさが募って来る。
    なまじっか期待しがいのある方が寂しいと詠ん
    だ歌です。
    
 注・・中々に=なまじっか、かえって。
    程=時分、頃、時。
    つる=・・してしまう。

作者・・木下長嘯子=きのしたちょうしょうし。1569~
    1649。秀吉の近臣。若狭の城主。関ケ原の戦い
    を前に逃げ、武将としての面目を失い、京の東
    山に隠棲。

出典・・家集「挙白集」(小学館「近世和歌集」)

 
秋風の 千江の浦廻の 木屑なす 心は依りぬ
後は知らねど
                詠み人しらず

(あきかぜの ちえのうらみの こつみなす こころは
 よりぬ のちはしらねど)

意味・・秋風の吹く千江の浜辺に、木の屑や貝殻や海藻
    などの小さな塵芥が流れ寄っています。それら
    は波のまにまに打ち寄せられて、いつしか、そ
    の浜辺にたまったもの。私の恋の思いも、ちょ
    うど塵芥のようなもので、あなたに対する慕情
    は、絶え間なく私の心の浜辺に打ち寄せ続け、
    高まり、つのるばかり。でも、この思いがかな
    えられるかどうか、その行く末を知ることは出
    来ないけれど。
    
 注・・秋風の=「吹く」などの述語が省かれている。
    千江の浦廻=所在未詳。「浦廻」は海岸の湾曲
     したところ。
    木屑(こつみ)=木積とも。木の屑。海岸に打ち
     寄せられる諸々の塵。
  
出典・・万葉集・2724。

1634 (3)

 
故郷を 秋しもよそに わかれ来て 雁の涙や
空にしぐるる
                後水尾院

(ふるさとを あきしもよそに わかれきて かりの
 なみだや そらにしぐるる)

意味・・秋になってから遠い故郷から別れ来て、望郷の
    念に雁の流す涙が時雨となって降るのだろうか。

    雁の鳴き声は悲しく聞こえるのだろうか。雁の
    泣き声と捉えて、泣く涙が雨として降って来た
    と発想した歌で、和歌では中世から歌われてい
    ます。
    いずれにしても、作者は望郷の念を雁に比喩し
    ています。

 注・・し=上接する語を強調する語。
    よそ=余所。他の所。かけ離れた所。
    雁の涙=雁の鳴き声を泣き声と捉えたその涙。

作者・・後水尾院=ごみずのおいん。1596~1680。百
    八代天皇。

1633

 
あけぬるか 河瀬の霧の たえだえに をちかた人の
袖の見ゆるは
                              大納言経信母
            
(あけぬるか かわせのきりの たえだえに おちかた
 ひとの そでのみゆるは)

意味・・夜が明けてしまったのであろうか。川の浅瀬に
    たちこめていた朝霧がとぎれとぎれの中に、向
    こうの方にいる人の袖が見えるのは。

 注・・をちかた人の=遠方人の。向こうの方にいる人。

作者・・大納言経信母=だいなごんつねのぶのはは。生
    没年未詳。播磨守従四位下・源国盛の娘。源経
    信(1016~1097)の母。

出典・・後拾遺和歌集・324。

1632

茎折れて 水にうつぶす 枯蓮の 葉うらたたきて
秋の雨降る
                橘曙覧

(くきおれて みずにうつぶす かれはすの はうら
 たたきて あきのあめふる)

詞書・・敗荷。

意味・・茎が折れ、水面にうつぶしている枯れ蓮の
    裏返しになった葉に、秋の雨がたたくよう
    に降りそそいでいる。

    秋の枯れ蓮の荒涼たる風景を描写していま
    す。寂しい風景ですが、私には、蓮根を育
    て終えて力一杯戦い抜いた後の姿に感じら
    れます。

 注・・敗荷(はいか)=枯れて敗れた蓮の葉。荷は
     蓮の茎。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早
    く父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り
    隠棲。福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。

 

1631

 
求むれば 求むるるままに 月雪も 花も紅葉も
玉も錦も
                 作者未詳

(もとむれば もとむるままに つきゆきも はなも
 もみじも たまもにしきも)

意味・・欲しいと思うなら、世の中には月でも雪でも、
    花でも紅葉でも、はたまた玉でも錦でも、何
    でも手に入れることが出来るのだ。

    まず取ろうと努力することの大切さをいって
    います。

出典・・斉藤亜加里著「道歌から知る美しい生き方」。

1629

 
ひきよせて 寄り添ふごとく 刺ししかば 声もたてなく
くづれて伏す
                    宮柊二

(ひきよせて よりそうごとく さししかば こえも
 たてなく くずれてふす)

意味・・体を引き寄せてそれに添うようにして刺したところ、
    声もたてないでくずれるように倒れてしまった。

    戦争の凄惨(せいさん)なシーンで、日中戦争の戦場
    で相手の敵兵を銃剣で刺し殺した状態です。
    
    人権尊重の民主主義の国であっても、「敵」と見な
    した以上、相手を虐待してもよいのかと問うていま
    す。

作者・・宮柊二=みやしゅうじ。1912~1986。北原白秋の
    秘書。芸術院会員。

出典・・歌集「山西省」(実業之日本社「現代秀歌百人一首」)

1628

 
生きること 吹きつける雨に 濡れること みんな愉しい
生きてゆきたい
                   赤木健介

(いきること ふきつけるあめに ぬれること みんな
 たのしい いきてゆきたい)

意味・・生きること、それは色々な困難が待ち構えている
    だろうし、吹きつける雨に濡れるのは苦痛である
    が、それらに耐えて、また打ち勝って生きること
    は愉しいものだ。どんなことにも負けずに、前向
    きになって生きてゆきたい。

作者・・赤木健介=あかぎけんすけ。1907~1989。九大中
    退。新日本歌人協会に所属。

出典・・歌集「意欲」(東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」)

1627

 
山にては あけびや白く 熟れつらん 野には野菊の
花も咲くらん
                  野上巌

(やまにては あけびやしろく うれつらん のには
 のぎくの はなもさくらん)

意味・・昔、あの頃は山に行ってあけびを食べ、野原で遊
    んだものだ。今頃はあけびが熟れ白い実を見せて
    いることだろう。野には菊の可憐な姿も見られる
    ことだろう。

    野上照代の小説「母べえ」の中で、主人公が特高
    警察に捕まり拘置所で詠んだ歌です。

作者・・野上巌=小説の中の主人公。特高警察に捕まる。

出典・・野上照代著小説「母べえ」。

1626

 
もみぢ葉の 散りてつもれる わが宿に 誰を松虫
ここら鳴くらむ
                   詠み人知らず

(もみじばの ちりてつもれる わがやどに たれを
 まつむし ここらなくらん)

意味・・紅葉の葉が散って積り、埋もれるばかりの我が家の
    庭で、いったい、誰を待つと言って、松虫はこんな
    にしきりに鳴いているのであろうか。

    誰も訪ねて来る人もない、世間から全く遠ざかった
    我が家に、松虫だけは人待ち顔にしきりに鳴いてい
    いる。このことを通して、作者の人が恋しい気持ち
    を詠んでいます。

 注・・散りてつもれる=紅葉が散り重なって積もるという
     ので、訪れる人もない様をいう。
    誰を松虫=誰を待って松虫が。来ることを期待出来
     る人はないのに。松虫は、今の鈴虫。
    ここら=たくさん。

出典・・古今和歌集・203。

1625

 
足柄の 箱根の山に 粟蒔きて 実とはなれるを
粟無くもあやし
               詠み人しらず

(あしがらの はこねのやまに あわまきて みとは
 なれるを あわなくもあやし)

意味・・足柄の箱根の山に粟を蒔いて、無事実った
    というのに、粟がないー逢わないとは全く
    変だ。

 注・・足柄の箱根の山=神奈川県足柄の箱根の山。
    粟=雑穀。イネ科の一年草。
    実となれる=結実した、すなわち二人の仲
     が結ばれたことを暗示。
    粟無く=逢わなくを掛ける。
    あやし=不思議だ。

出典・・万葉集・3364。

1624

 
招くぞと 心許して 立ち寄れば 尾花が末に 
秋風ぞ吹く
                宗川儀八

(まねくぞと こころゆるして たちよれば おばなが
 すえに あきかぜぞふく)

意味・・招かれて喜んで行った所、そこにはもう秋風が
    吹いて尾花の葉を揺らしている。
    
    形だけの招待とは知らずに行ったところ、尾花
    が秋風で揺らいでいて、招待した相手は呆れか
    えっている。

 注・・尾花=ススキの別名。
    秋風=「秋」に「呆れ」が掛けられている。
 
作者・・宗川儀八=むねかわぎはち。生没年未詳。会津
    藩の武士。

3101_LI

 
きりぎりす いたくななきそ 秋の夜の 長き思ひは
我ぞまされる
                   藤原忠房
           
(きりぎりす いたくななきそ あきのよの ながき
 おもいは われぞまされる)

詞書・・人のもとにまかれりける夜、きりぎりすのなき
    けるをよめる。

意味・・こおろぎよ、そんなに悲しそうに鳴いてくれるな。
    秋の夜は長いけれど、それと同じように長くつき
    ない思いは、この私のほうがよほどまさっている
    のであるから。

    この家の主人の嘆き悲しむのを見て、私のほうが
    もっとつらいのですと、我が心の寂しさを詠んだ
    ものです。

 注・・まかれりける=訪ねて行った。
    きりぎりす=今のこおろぎ。
    な・・そ=禁止の意味の助詞。

作者・・藤原忠房=ふじわらのただふさ。928年没。遣唐使。
    山城守・正五位下。

出典・・古今和歌集・196。

1623

 
斯くつねに 胸の騒がば ひろめ屋の 太鼓うちにも 
ならましものを
                  若山牧水

(かくつねに むねのさわがば ひろめやの たいこ
 うちにも ならましものを)

意味・・どうしてまあ自分の胸はこうもしよっちゅう
    騒ぎ波打ってばかりいるのだろうか。こんな
    ことならいっそのことチンドン屋の太鼓打ち
    にでもなってしまいたい、そしてドンドンと
    太鼓を叩いていたら、それに紛れて何もかも
    忘れてしまい、こんな胸の騒ぐこともあるま
    いに。

    恋愛にも仕事にも失敗した頃詠んだ歌です。
    心がひどく傷つき、胸に痛みを感じている時
    です。
    太鼓を力いっぱい叩いたなら気が紛れるだろ
    う。

 注・・さわがば=騒ぐならば、乱れるならば。
    ひろめ屋=広告屋、宣伝屋、チンドン屋。
    
作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
        早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。旅と酒を愛
            す。

出典・・大悟法利夫著「鑑賞・若山牧水の秀歌」。

1622

 
詠めこし 幾代の秋の うさならむ 我とはなしの
夕暮れの空
                 後水尾院

(ながめこし いくよのあきの うさならん われとは
 なしの ゆうぐれのそら)

意味・・どれほどの秋を繰り返し、物思いにふけって
    来た人々のつらさなのだろう。私と同じ身の
    上ではないその人々の思いのこもる夕暮れの
    空である。

    毎年繰り返す人々(民衆)の辛さとはどんな物
    なのだったのだろうか。水害や飢饉、疫病や
    思い年貢、物不足や物価の高騰・・、なのだ
    ろうか。

 注・・詠(なが)め=口ずさむ。眺め(もの思いに沈
     みながらぼんやり見やる)を掛ける。
    うさ=憂さ。つらいこと。
    我とはなし=我にして我でなきさま、自分自
     身を忘れているさま、私と同じ身の上ては
     ないさま。

作者・・後水尾院=ごみずおのいん。1596~1680。
    第108代天皇。

出典・・御着到百首(小学館「近世和歌集」)

1620

 
金色の 翅あるわらは 躑躅くはえ 小舟こぎくる
うつくしき川
                 与謝野晶子

(こんじきの はねのあるわらわ つつじくわえ おふね
 こぎくる うつくしきかわ)

意味・・金色の翅をつけた可愛い童子(どうじ)、すなわち
    愛の天使(エンジェル)・キューピットが紅い躑躅
    の花を口にくわえ、小さな舟を漕ぎつつこちらに
    近づいてきます。その川のなんと美しいことか。

    嬉しい恋愛成就の予感を詠んでいます。

 注・・金色の翅のあるわらは(童)=愛の天使、キューピ
     ット。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。堺女学校
    卒。与謝野鉄幹と結婚。「明星」の花形となる。

出典・歌集「みだれ髪」。

3113

 
月はやし梢は雨を持ちながら
                    芭蕉

(つきはやし こずえはあめを もちながら)

意味・・雨はやんだが、雲は飛ぶように早い。梢のあたり
    には、まだ先ほどの雨のしずくがそのまま残り、
    それに月の光があたって、美しくまたさわやかな
    ことだ。

    雲のことは一語も言っていないが、雲が去来する
    さまをみずみずしく思わせてくれる。

 注・・月はやし=月の面を雲が去来するのが早いので、
     月が早く走るように見える趣をいったもの。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。

出典・・鹿島紀行。

3121

 
我も人も うそも誠も 隔てなく 照らし貫きける 
月のさやけさ
                貞心尼
             
(われもひとも うそもまことも へだてなく てらし
 ぬきける つきのさやけさ)

意味・・自分も人も偽りも誠も、区別なく照らし貫いている
    月の光は、なんとさわやかなことでしょう。

    月の光は清く美しいので、私にも他の人にも、誠意
    ある人も、嘘をつく人にもへだてなく慈悲の心で照
    らしている。

作者・・貞心尼=ていしんあま。1798~1872。長岡藩士奥
    村五兵衛の娘。結婚したが夫と死別。無常を感じて
    尼となる。29歳で69歳の良寛の弟子となる。

出典・・歌集「はちすの露」。


 
引き分けて 見れば心の 刃なれ 寄れば忍の
もじなりけり
                
(ひきわけて みればこころの やいばなれ よれば
 しのぶの もじなりけり)

意味・・「忍」の文字を分解すると、「心」の上に「刃」を
     乗せたものである。ゆえに「忍」の文字は「心に
     刃物を突き付けても、じっとこらえる」という意
     味である。

       忍耐ということは刃物を突き付けられても耐える
      というように、難しいことである。でもでも、つい
                つい詰まらない事に腹を立てたり、少し苦しい事が
                あると音を上げてしまう。これではいけないので
               る。

出典・・山本健治著「三十一文字に学ぶビジネスと人生の極意」。


 
山の上に たてりて久し 吾もまた 一本の木の
心地するかも
                 佐々木信綱

(やまのうえに たてりてひさし われもまた いっぽんの
 きの ここちするかも)

意味・・山の上の雄大な自然に立っていると、循環を繰り返して
    自然の摂理に生きている一本の木の心地がするものだ。

    山の木は風で枝葉が吹き飛ばされることもあるし、日照
    りで泣かされることもあるだろう。がしかし、それでも
    若葉を茂らせ花を咲かせている。そして実を結んで行く
    のである。
    辛い事、楽しいことを織り交ぜて老いて行く私は、まさ
    に一本の木の心地がするのである。

作者・・佐々木信綱=ささきのぶつな。1872~1963。万葉集研
    究者。文化勲章受章。

出典・・歌集「豊旗雲」(実業之日本社「現代秀歌百人一首」)


 
梟よ 尾花の谷の 月明に 鳴きし昔を
皆とりかへせ
             与謝野晶子

(ふくろうよ おばなのたにの げつめいに なきし
 むかしを みなとりかえせ)

意味・・吹く風に靡(なび)き、月明かりに照らされた
    尾花は風情があるものだ。梟よ、その尾花が
    咲いている谷間で、若くして元気に鳴いてい
    た頃の日々を覚えているかい。お前もそんな
    昔に戻りたいだろうなあ。私も若々しい時に
    戻りいものだ。

    亡くなる前年の秋に、身の衰えを哀しみ元気
    であった頃の昔を回想して詠んだ歌です。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。18781942
    堺女学校卒。与謝野鉄幹と結婚。「明星」の
    花形となる。

出典・・歌集「白桜集」。


 
年々の わが悲しみは 深くして いよいよ華やぐ
いのちなりけり
                岡本かの子

(としどしの わがかなしみは ふかくして いよいよ
 はなやぐ いのちなりけり)

意味・・年々辛さや悲しみは多くなっているが、生きる
    力は更に強くなっている。

    人間関係のまずさや病気などの苦しみは中々なく
    なるものではない。でもこんな時でも作者は華や
    かな生き方をしていると歌っています。

    苦しい現状を見つめつつ、それを忘れるように、
    他の生き方に一途に没頭して生きていると言って
    いるのだろうか。

    「どのような道をどのように歩くとも、いのち
    いっぱいに生きればいいぞ」  相田みつお

作者・・岡本かの子=おかもとかのこ。1889~1939。跡見
    女学校卒。歌人・作家・仏教研究家。

出典・・岡本かの子著「小説・老妓抄」。


 
恋しけば 来ませわが背子 垣つ柳 末摘みからし
われ立ち待たん
                 詠み人しらず

(こいしけば きませわがせこ かきつやぎ うれつみ
 からし われたちまたん)

意味・・そんなに恋しいなら来て下さい、あなた。垣根
    の柳の枝先を枯らしてしまうほどに摘み取り摘
    み取りしながら、私はずっと門口に立ってお待
    ちします。

    男に答えた形をとりながら、切実に待つ女心を
    歌っています。

 注・・垣つ柳=垣根の柳。

出典・・万葉集・3455。


 
秋風に はつかりがねぞ 聞ゆなる 誰がたまづさを
かけて来つらむ
                 紀友則 

(あきかぜに はつかりがねぞ きこゆなる たが
 たまづさを かけてきつらん)

意味・・秋風に乗って初雁の声が聞こえて来る。
    遠い北国から、いったい誰の消息を携え
    て来たのであろうか。

    前漢の将軍蘇武(そぶ)が囚われ、数年過
    ぎた後、南に渡る雁の足に手紙をつけて
    放した。それが皇帝の目にとまり、無事
    帰国する事が出来たという故事に基づい
    て詠まれた歌です。

    飛んでいる雁を見て、別れた人々の消息、
    転勤で別れた人や結婚して独立した子供、
    あの人達は今どうしているだろうかと思
    って詠まれています。

 注・・かりがね=雁が音。雁の鳴く声。雁の異
     名。
    たまづさ=手紙、消息、使い。
    かけて=掛けて。掛けて、取り付けて。

作者・・紀友則=きのとものり。907年頃没。
     「古今和歌集」の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・207。


 
大空に ただよふ雲の しら雲の さびしき秋に
なりにけるかも
                石井直三郎

(おおぞらに ただようくもの しらくもの さびしき
 あきに なりにけるかも)

意味・・青い大空には白い雲が漂っている。ああ、もう
    さびしい秋がきたのだなあ。

    木々の梢が色づき、枯葉が落ちてくると晩秋の
    淋しさが感じられる。秋の涼しい風が冷たく感
    じられると晩秋であり冬が間近となる。青空に
    漂う白い雲を見ていると、今は清々しく気持ち
    の良いものだが、すぐに冬隣りとなってくるこ
    とを思うと淋しさが湧いて来る。

作者・・石井直三郎=いしいなおざぶろう。1890~19
    36。東大国文科卒。尾上柴舟らと歌誌「水瓶」
    を創刊。

出典・・歌集「青樹」(東京堂出版「現代短歌鑑賞事典」)

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