名歌名句鑑賞のblog

心に残る名言、名歌・名句鑑賞。

2020年04月

イメージ 1


たのしみは 昼寝目ざむる 枕べに ことことと湯の
煮えてある時
                 橘曙覧

(たのしみは ひるねめざむる まくらべに ことことと
 ゆの にえてあるとき)

意味・・私の楽しみは、昼寝から目がさめると、枕の
    そばの火鉢にかけた鉄瓶が、ことこと、こと
    ことと煮え立った音を立てている時だ。夢の
    中の恍惚感を、この湯の音が呟(つぶや)いて
    いるよに感じせれる。

    「盧生一炊の夢」を念頭に詠んでいます。
    中国の唐の盧生という青年が立身を志して、
    旅先の邯鄲(かんたん)という町で仙人に枕を
    借りて一眠りする間に一生の富貴栄華の夢を
    見るが、目覚めると宿の主人が炊(かし)いで
    いた黄粱(こうりょう・粟飯)はまだ煮えてい
    なかったという故事。人間の一生は短く、栄
    枯盛衰のはかないことのたとえであるが、自
    分が立身出世する夢を見ることは楽しいもの
    です。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。紙
    商の長男に生れるが、家業は異母弟に譲り隠
    棲。福井藩主に厚遇された。

出典・・岡本信弘著「独楽吟」。

1079


雨の日は ともに雨きく 晴れし日は 庭に下りたち 
樹の緑見る
                  青木穠子 

(あめのひは ともにあめきく はれしひは にわに
 おりたち きのみどりみる)

意味・・雨の日は、共に、しっとりとその雨音に耳を
    傾け、また、晴れの日には、共に、庭に下り
    立って、明るく輝く木々の緑を見て楽しむの
    である。

    平凡な日常生活の中における、愛の心がさり
    げなく詠み込まれています。
    この歌から、人生の「雨の日」、人生の「晴
    れし日」をも感じとる事も出来る。「雨の日」
    には「雨の日」の風情を、「晴れし日」には
    晴れの日の風情を楽しむ二人の人生が感じら
    れます。    

作者・・青木穠子=あおきじょうこ。1884~1971。大口
    鯛二に師事。

出典・・新万葉集・巻一。

0823


花にうき世我酒白く飯黒し

                芭蕉

(はなにうきよ わがさけしろく めしくろし)

詞書・・憂へて方に酒の聖を知り、貧して始めて
    銭神を覚る。

意味・・世間は花に浮かれて楽しむ春だが、貧し
    い自分には心憂える世の中だ。飲む酒は
    濁り酒、飯は粗食の玄米食という暮らし
    では。

 注・・憂へて方に酒の聖を知り、貧して始めて
    銭神を覚る=憂いにある時には酒の尊い
     事が分るし、貧乏している時には銭の
     ありがたさが分る。
    うき世=「浮き世」と「憂き世」を掛ける。
    酒白く=濁酒(どぶろく)。安物の白酒。
    飯黒し=麦飯や玄米食の粗食。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

出典・・蕉翁句集

イメージ 1


大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち
国見をすれば 国原は 煙立ち立つ       
                       舒明天皇

(やまとには むらやまあれど とりよろう あまのかぐやま
 のぼりたち くにみをすれば くにはらは けむりたちたつ)

意味・・大和の国には多くの山々があるけれど、中でも立派に
    そなわり整った天の香具山よ。その山に登り立って国見
    をして見ると国の広い所には煙があちらに立ちこちらに
    立ちしている。

    高い所から見下ろした壮大な景観が描かれ、炊飯の煙に
    庶民の繁栄が賛美されています。

 注・・群山=たくさん群がっている山々。
    とりよろふ=山としてりっぱにそなわり整っている。
    天の香具山=奈良県桜井市にある山。標高152m。
    国見=高い所に登って国の形勢や民の生活を望み見る事
    国原=国土の広く平らな所。大和平野のこと。
    煙立ち立つ=煙があちらからもこちらからもしきりに立
             ちのぼる。「煙」は炊事をする煙。炊煙が多いのは、
     施政が行き届いて、民が富み栄えている事を示す。

作者・・舒明天皇=じょめいてんのう。641年没。第37代天皇。

出典・・万葉集・2。

1524

 
相思はぬ 人を思ふは 大寺の 餓鬼の後に 
額づくがごと
               笠女郎

(あいおもわぬ ひとをおもうは おおでらの がきの
 しりえに ぬかずくがごと)

詞書・・笠女郎、大伴家持に贈る歌。

意味・・互いに思わない人を一方的に思うのは、大寺
    の餓鬼を後から額をこすりつけて拝んでいる
    ようなものだ。

    片思いは仏ならぬ餓鬼に、しかも後から拝む
    ようなもの。何のかいもないことだと、我が
    恋を自嘲したものです。

 注・・相思はぬ=片思いのこと。
    後(しりえ)に=後から。

作者・・笠女郎=かさのいらつめ。生没年未詳。万葉
    集に28首、大伴家持に贈った歌を残している。

出典・・万葉集・608。

1521

 
親しからぬ 父と子にして 過ぎて来ぬ 白き胸毛を
今日は手ふれぬ      
                   土屋文明

(したしからぬ ちちとこにして すぎてきぬ しろき
 むなげを きょうはたふれぬ)

意味・・あまり親しくない父と子として、我々親子は
    今日まで過ごして来た。その父も今は重い病
    で臥床(がしょう)している。そのような父の
    白くなった胸毛に今日は手を触れた。思えば
    こんなこともしたことのない私だった。親子
    の縁(えにし)などというものは不思議なもの
    だ。

    「父なむ病む」の題で詠んだ歌です。
    父は農民であったが多くの事業に手を出して
    失敗ばかりした。あげくの果て家を売り村を
    捨てた。そのような父であったのでやさしく
    してもらえず親しみを持てなかった。

作者・・土屋文明=つちやぶんめい。1890~1990。
    東大哲学科卒。明治大学教授。

出典・・学灯社「現代短歌評釈」。

0891


世の憂きめ 見えぬ山路へ 入らむには おもふ人こそ
ほだしなりけれ
                   物部吉名 

(よのうきめ みえぬやまじへ いらんには おもう
 ひとこそ ほだしなりけれ)

意味・・世間のつらさにあわないですむ山中に入いろ
    うと思うにつけても、何をおいても愛する人
    がさし障りとなって、出家を妨げている。

    三十一文字の中に同字のない歌です。
    
 注・・憂きめ=つらいこと、せつないこと。
    山路=山。山に入って仏道修行すること。
    ほだし=絆し。人を束縛するもの。ここでは
     修行の妨げ。

作者・・物部吉名=もののべのよしな。伝未詳。

出典・・古今和歌集・955。

東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて
蟹とたわむる
              石川啄木

(とうかいの こじまのいその しらすなに われ
 なきぬれて かにとたわむる)

意味・・東海の小島の磯のあたり、後から後からと
    寄せては返す波うち際の、白々とした砂の
    上に、自分は涙に泣きぬれて、可憐な小蟹
    と遊び戯れている。


        文学で身を立てようとする啄木であるが、
             まだそれで生活が出来るには程遠い。
     希望がゆらぎ心ではいつも泣いている。
        東海の白砂で蟹の横ばいを見て、人と違った
        生き方をしても許されるのではないかと希望
             をつなぐ。

 注・・東海=東方の海。日本もさす。
    磯=岩の多い海岸。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。
     26歳。盛岡尋常中学校中退。与謝野夫妻
     に師事するために上京。

出典・・一握の砂。

たよりあらば いかで都へ 告げやらむ けふ白河の 
関は越えぬと            
                   平兼盛

(たよりあらば いかでみやこえ つげやらん きょうしらかわの
 せきはこえぬと)

意味・・機会があるならばどうかして都へ伝えやりたいものだ。
    あの有名な白河の関を今日越えたということを。

    はるばる都からの旅立ちであったから、東国の要所の白河
    の関にたどり着いた感慨もひとしおのものであったであろう。
    東国から都へ折りよい便のありようはずはなく、はるか遠
    くに来た旅、そして時間の長さが旅愁を誘っています。

    白河の関は有名で、能因法師は「都をば霞とともに立ち
    しかど秋風ぞ吹く白河の関」と詠んでいます。

 注・・たより=機会、ついで、伝て。
    いかで=何とかして。
    白河の関=福島県白河市付近に設けられた関所。

作者・・平兼盛=たいらのかねもり。991没。駿河守。

出典・・拾遺和歌集・339。

0658

たのしみは つねに好める 焼豆腐 うまく烹たてて
食わせけるとき
                 橘曙覧

(たのしみは つねにこのめる やきどうふ うまく
 にたてて くわせけるとき)

意味・・焼き豆腐は私の好物である。今夜は妻が焼き豆腐
    を味付けして、美味しく煮込んで私に食べさせて
    くれた。うまい、こんな時は楽しい気分になり、
    幸せに感じるものだ。

    自分の好きな料理を妻が作ってくれた。当たり前
    だと思うのではなく、こんな美味い料理が食べら
    れるなんて、なんと幸せなことだろうか、と小さ
    な喜びや楽しみを発見しては、ああ生きていて良
    かったと感動しています。

 注・・烹(に)る=調味して煮る。「煮る」は炊く、沸か
     すの意。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早
    く父母と死別。家業を異母兄弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と交流。

出典・・独楽吟。

0333
                                                   網代

 網代には しづむ水屑も なかりけり 宇治のわたりに
我やすままし
                  大江以言

(あじろには しずむみくずも なかりけり うじの
 わたりに われやすままし)

意味・・網代には沈む水屑さえもないのだなあ。宇治
    の辺りに私は住もうかなあ。

    「しづむ水屑」は身が沈む事を意味されており、
    うだつがあがらない、落ちぶれる事を意味して
    いる。
    また、宇治は次の歌により、憂し・辛いとされ
    る地を意味されている。

    「我が庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と
    人は言うなり」     (意味は下記参照)

    宇治に住めば落ちぶれずに今まで通りの事が出
    来るので、いっそ宇治に住もうかと思うが、し
    かしそこは「憂し」の地。さて、住んだものか、
    どうしたものかと迷ってしまう。

 注・・網代=川に竹や木を組み立てて網の代わりにし、
     魚を捕らえる仕掛け。
    しづむ=身が沈むの意が含まれている。うだつ
     があがらない事。
    水屑=川に流れる屑、ゴミの類。
    宇治=憂し・辛い地の意を含む。

作者・・大江以言=おおえのもちこと。生没年未詳。従
    四位下・文章博士。
   
出典・・詞花和歌集・366。

参考歌です。

わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 
人はいふなり           
                 喜撰法師

(わがいおは みやこのたつみ しかぞすむ よをうじ
 やまと ひとはいうなり)

意味・・私の庵(いおり)は都の東南にあって、このよう
    に心のどかに暮らしている。だのに、私がこの
    世をつらいと思って逃れ住んでいる宇治山だと、
    世間の人は言っているようだ。
    
 注・・庵=草木で作った粗末な小屋。自分の家をへり
     くだっていう語。
    たつみ=東南。
    しかぞすむ=「しか」はこのように。後の「憂
     し」に対して、のどかな気持というていどの
     意。
    うぢやま=「う」は「宇(治)」と「憂(し)」を
     掛ける。

作者・・喜撰法師=きせんほうし。経歴未詳。

出典・・古今集・983、百人一首・8。

1130


由良の門を 渡る舟人 梶を絶え 行へも知らぬ 
恋の道かな
                曾禰好忠

(ゆらのとを わたるふなびと かじをたえ ゆくえも
 しらぬ こいのみちかな)

意味・・由良の瀬戸を漕ぎ渡っていく舟人が、梶がなく
    なって行く先も分からずに漂よううに、これから
    の行く末の分からない恋の前途だなあ。

    ただてさえ潮流の激しい海峡で、梶を無くして
    しまった舟人が、どうすることも出来ずに翻弄
    (ほんろう)されてしまう。それと同じように、
    自分の恋もこれからの先のことがまるで分から
    ない、というものです。

 注・・門(と)=海峡。
    由良の門=丹後国の歌枕。京都府宮津市の由良
     川河口。流れが激しい。
    かじ=櫓(ろ)や櫂(かい)梶(かじ)などの操船に
    用いる道具。舵(かじ)ではない。

作者・・曾禰好忠=そねのよしただ。11世紀後半の人。
    丹後掾(じょう)。

出典・・新古今和歌集・1071、百人一首・46。


軒しろき 月の光に 山かげの 闇をしたひて 
ゆく蛍かな
               宮内卿 

(のきしろき つきのひかりに やまかげの やみを
 したいて ゆくほたるかな)

意味・・軒端を明るく月が照らしているので、今夜の
    蛍は山かげの闇の方に行っている。暗い所が
    好きなのだなあ、お前たちは。

    あの人はもう戻ってくれないのですね、こち
    らには・・と言っている様です。

作者・・宮内卿=くないきょう。生没年未詳。1205年
    頃に20歳で没。後鳥羽院に仕える若き女官。

出典・・玉葉和歌集。

0877


馬は足 扇はかな目 舟は舵 人は心を

用いこそすれ
              細川幽斎 

(うまはあし おうぎはかなめ ふねはかじ ひとは
 こころを もちいこそすれ)

意味・・皆それぞれに大切なものがあり、それがなけ
    れば何の値打ちもなくなるものである。馬で
    言えば足であり、扇では要である。舟では舵
    がなければ用をたさない。人も同じで真心が
    なければ人として生きられないのだ。

作者・・細川幽斎=ほそかわゆうさい。1534~1610。
    熊本細川藩の祖。剣術・茶道・和歌など武
    百般に精通。

出典・・幽斎掟公御。


 
我が恋は 千引きの石を 七ばかり 首に懸けむも
神のまにまに
                 大伴家持 

(わがこいは ちびきのいしを ななばかり くびに
 かけんも かみのまにまに)

意味・・私の恋心は、千人が力を合わさないと動かな
    い石を、七つばかり首に掛けるほど、ずしり
    とこたえてこの身をさいなむでいます。
    あらがえぬ神の定めのままに。

    家持の妻となった坂上大嬢(さかのうえのおお
    いらつめ)に贈った歌で、自分の恋心を、大き
    さとか、重さに譬えて詠んだ歌です。

 注・・千引の石=千人がかりで引くほど重い石。
    七ばかり首に懸けむも=石を緒に通した首飾
     りの玉に見立てたもの。
    さいなむ=悩ます、苦しめる。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。

出典・・万葉集・743。

1807

 
あたらしき パン屋に隣る 小鳥店 いろいろ聞こえ
小さくさわがし
                 片山貞美

(あたらしき パンやにとなる ことりてん いろいろ
 きこえ ちいさくさわがし)

意味・・パン屋の隣に新しく小鳥屋が出来た。さまざま
    な鳥の鳴き声が小さいながら騒がしくもまた心
    地よく聞こえて来る。

    昭和51年の作です。
    現在の大型スーパーが出現する前の時代です。
    通りには雑貨店があり魚屋があり八百屋あり、
    と店屋がずらっと並んでいた庶民の生活の匂い
    のある風景が詠まれています。

作者・・片山貞美=かたやまていび。1922~2008。国
    学院大卒。歌誌「短歌」を編集。

出典・・歌誌「短歌」(桜楓社「現代短歌鑑賞事典」)

1112


瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ

                 山上憶良

(うりはめば こどもおもおゆ くりはめば
 ましてしのはゆ)

意味・・瓜を食べると子供のことが思い出される。
    栗を食べるといっそういとしく思われる。

    親の子を思う気持は万葉の時代から同じ
    です。

 注・・偲(しの)はゆ=慕(した)わしく思う

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。
     遣唐使として渡唐。

出典・・万葉集・802。

0190

 花ぐはし 芦垣越しに ただ一目 相見し児ゆえ 
千編嘆きつ
                詠み人知らず

(はなぐわし あしかきごしに ただひとめ あいみし
 こゆえ ちたびなげきつ)

意味・・芦の垣根を隔てて、目と目を見交(か)わし、
    つかの間の恋に燃えたあの子のことを思って、
    私はいくたびも、恋しい思いをくり返し、歎
    きに沈んでいる。いったい、どうしたという
    のだろう。

    垣根越しに美しい乙女を見た。二人の視線は
    合い、お互いに微笑みを交わした。その時の
    笑顔が忘れられない。感じのいい人だなあ。

 注・・花ぐわし=花細し。芦・桜にかかる枕詞。繊
     細精巧な美しさ。
    芦垣=刈った芦で編んだ垣根。
    見し=合う、対面する。

出典・・万葉集・2565。

1723

 
しのぶへき 人もなき身は あるおりに あはれあはれと 
言ひやおかまし
                   和泉式部

(しのぶべき ひともなきみは あるおりに あわれ
 あわれと いいやおかまし)

意味・・死んだ後、哀れだと慕ってくれる人もない身は、
    この世に生きている間に、自分で自分を、哀れ
    哀れと言っておこうか。

    「世の中はかなき事を聞きて」と詞書があり、
    人の死を聞いた時の歌です。
    人の死を聞いて、自分の死を思うと、死後は誰
    一人として自分には、思い偲んでくれる人がな
    かろうと感じています。そのように思い至った
    時、我が身が限りなく愛しくなったのでしょう。
    自らを愛おしむ自愛の気持ちを歌にしています。

 注・・あるおりに=生きている間に。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。年没年未詳、977年
        頃の生まれ。朱雀天皇皇女昌子内親王に仕える。

出典・・和泉式部集。

1721

 
月ひとつ 大空にあり 寂しさは ひとりの胸に
をさむべきなり
                神谷昌枝

(つきひとつ おおぞらにあり さびしさは ひとりの
 むねに おさむべきなり)

詞書・・海外出張・ブェノアイレスなる夫へ。

意味・・見上げると、月が一つ暗い夜空の大空にかかっている。
    あんな広い大空にいつも一人ぽっちでいるではないか。
    孤独に耐えているではないか。それを思えば私のこの
    寂しさなど、辛いけれどやはり私の一人の胸にそっと
    収めておくべきでしょうね。いやそうしなければなり
    ません。お月様と比べれば、私たちは永遠に別れてい
    る分けでもないので。

    月の孤独を思いやることによって、同時に自分の心を
    も慰めています。また、寂しい・辛いと言って、異国
    で働く夫や家族の者達によけいな心配をかけることの
    ないようにとの心遣いが働いています。

 注・・ブェノアイレス=アルゼンチンの首都。

作者・・神谷昌枝=こうやまさえ。詳細未詳。

出典・・新万葉集。

1492

 
君をおもふて 岡のべに 行きつ遊ぶ をかのべ何ぞ
かくかなしき
                  蕪村

(きみをおもうて おかのべに ゆきつあそぶ おかのべ
 なんぞかくかなしき)

意味・・あなたを偲び、連れ立ってよく歩いたあの岡の
    辺をさまよいました。懐かしいはずの岡の辺の、
    なんという悲しさよ。

    蕪村と親交のあった俳人早見晋我(はやみしんが)
    が亡くなった時に詠まれた晩詩です。

 注・・早見晋我=はやみしんが。1745年75歳で没。蕪
     村はこの時30歳。其角に師事。代々酒造業。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。南宗画
    も池大雅とともに大家。

出典・・俳詩(竹西寛子著「松尾芭蕉集・与謝蕪村集」)

0890


み吉野の 山のあなたに 宿もがな 世に憂き時の

隠れがにせむ
                 詠み人知らず 

(みよしのの やまのあなたに やどもがな よにうき
 どきの かくれがにせん)

意味・・奥深い吉野の山のかなたに宿がほしい。憂き世
    に思い屈した時の隠れ家にしたいので。

出典・・古今和歌集・950。

白波の 浜松が枝の 手向けくさ 幾代までにか
年の経ぬらむ    
                川島皇子

(しらなみの はままつがえの たむけくさ いくよ
 までにか としのへぬらん)

意味・・白波の寄せる浜辺の松の枝に結ばれた
    この手向けのものは、結ばれてからも
    うどのくらい年月がたったのだろう。

    自分達と同じくここで旅の安全を祈っ
    た昔の人の手向けくさを見て、その古
    人に年月を越えて共感した心を詠んだ
    歌です。
    参考歌です。
    「岩代の浜松が枝を引き結び ま幸く
     あらばまた帰り見む」。
             (意味は下記参照)

 注・・手向けくさ=「手向け」は旅の無事を
     祈って神に幣を捧げること。「くさ」
     はその料、布、木綿、紙など。

作者・・川島皇子=かわしまのみこ。656~691。
    天智天皇の第二皇子。

出典・・万葉集・34、新古今和歌集。

参照歌です。

盤代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば 
また還り見む        
               有間皇子

(いわしろの はままつがえを ひきむすび まさきく
 あらば またかえりみむ) 

意味・・盤代の浜松の枝を結んで「幸い」を祈って行
    くが、もし無事であった時には、再びこれを
    見よう。

    有間の皇子は反逆の罪で捕えられ、紀伊の地
    に連行され尋問のうえ処刑された。
    松の枝を引き結ぶのは、旅路などの無事を祈
    るまじないです。

注・・盤代=和歌山県日高郡岩代の海岸の地名
   真幸(まさき)く=無事であったなら。

出典・・万葉集・141。


静かなる 夏のあしたの 雨聴けば せめては吾子の 

骨清くあれ
                 浅山富雄 

(しずかなる なつのあしたの あめきけば せめては
 あこの ほねきよくあれ)

意味・・夏の朝、静かに雨が降っている。この雨音を
    聴くと、せめて、亡くなった我が子の骨を、
    雨で洗い清めて欲しいと祈りたい。

    毎年やって来る夏、その八月六日の雨だった
    日に詠んだ歌です。
    作者の子供は原爆で命を断たれただけでなく
    肉体のことごとくが焼き去られ、我が子の見
    分けがつかなくなった姿となっていた。
    雨よ、せめて我が子の骨と分るように、洗っ
    て清めてほしい、と祈った歌です。

作者・・浅山富雄=あさやまとみお。伝未詳。

出典・・昭和万葉集。


咲く花は 移ろふ時あり あしひきの 山菅の根し
長くはありけり
                  大伴家持

(さくはなは うつろうときあり あしひきの やま
 すがのねし ながくはありけり)

意味・・はなやかに咲く花はいつか色褪(あ)せて散っ
    てしまう時がある。目に見えない山菅の根こ
    そは、ずっと変らず長く長く続いているもの
    である。

    花はいつか色あせて朽ちてしまう。しかしそ
    の根は土中深くしっかり生きながらえる。

    この歌は757年に詠まれており、藤原家との
    対立が激しくなっていた。その年は右腕の橘
    諸兄(もろえ)が死に、その前年に家持が頼り
    とする聖武天皇が亡くなっている。諸兄の子
    橘奈良麻呂は藤原仲麻呂に謀反を起こしたが
    失敗し、家持の知友の多くが捕らえられ処刑、
    配流される事件があった。貴族暗闘の時局を、
    これらの人々を心にしながら詠んだ歌です。

    栄耀栄華は一睡の夢、それに引き換えて山菅
    の根のような、細く長く着実に生きるあり方
    は目立たないが長く続くものだと詠んでいる。

 注・・咲く花は=知友達の悲運の哀傷や仲麻呂の栄
     達の憤懣(ふんまん)の気持がこもる。
    あしひきの=「あしびきの」とも。山の枕詞。
    山菅の根し・・=細く長く着実に生きていく
     ことへの意志がこもる。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
    大伴旅人の長男。少納言。万葉集の編纂をした。

出典・・万葉集・4484。

1801

 
かうしては いられぬと思ひ そんならば 如何にすべきか
苦しみて病む
                    小名木綱夫

(こうしては いられぬとおもい そんならば いかに
 すべきか くるしみてやむ)

詞書・・病気で寝ながらの歌。

意味・・自分には、生活のためにも、その他いろいろな
    仕事のためにもしなければならない事が沢山あ
    る。じっと寝てなどはいられないのだが、病状
    が重く、寝ているしかない。

    必死に生きようとする気持ちがあるのだが、そ
    れが出来ないもどかしさを歌っています。

作者・・小名木綱夫=おなぎつなお。1911~1948。小
      学校を卒業後印刷工となったが、健康を害して
    仕事を転々とした。

出典・・歌集「太鼓」(桜楓社「現代名歌鑑賞事典」)

0889


世の中に いづらわが身の ありてなし あはれとや言はむ

あな憂とや言はむ
                   詠み人知らず 

(よのなかに いずらわがみの ありてなし あわれとや
 いわん あなうとやいわん)

意味・・我が身はどこにいる、この世にあれどもなしと言
    う事だ。そういう世の中が嬉しいと言おうか、そ
    れともつらいと言おうか。

    「常住不変」ではない、事を詠んだ歌です。
    
    もし、会社勤めで「あなたの存在は」と問われて、
    たとえその部所の長であっても、私がいなければ
    この部所はもちません、この部所で重要な位置を
    占めています、と言えるかどうか。病気をしたり
    長期出張すれば、変わりの人がその職務につき、
    今までと変わらずにやっていけます。
    その場合の「私の存在」はあったのか無かったの
    のか。
    今の幸せに有頂天にならず、不幸に対しても嘆き
    悲しまない、必ず物事は変って行くのだからと、
    言っているみたい。

 注・・いづら=何ら。どこに行ったのか。
    わが身のありてなし=常住不変でないの意。我が
     身はあるようで実際にはない。現実に存在しな
     がら、はかなく消え去るのでいう。
    あはれ=しみじみと心を打つさま。ここでは嬉し
     いの意。

出典・・古今和歌集・943。

吉野なる 菜摘の川の 川淀に 鴨ぞ鳴くなる
山陰にして         
               湯原王

(よしのなる なつみのかわの かわよどに かもぞ
 なくなる やまかげにして)

意味・・吉野にある菜摘の川の流れのよどみで、
    鴨の鳴く声が聞こえる。あの山の陰の
    所で。

    山の静寂感を詠んだ叙景歌です。

 注・・菜摘の川=吉野の宮滝の東方、菜摘の地を
      流れる吉野川。
    川淀=川の流れのよどんでいる所。

作者・・湯原王=ゆはらのおおきみ。生没年未詳。
    志貴皇子の子。万葉の後期の歌人。

出典・・万葉集375。

0909


貧しさに 妻のこころの おのづから 険しくなるを 

見て居るこころ
                  若山牧水 

(まずしさに つまのこころの おのずから けわしく
 なるを みているこころ)

意味・・この頃の暮らしのあまりの貧しさに、妻の心が
    とげとげしくなってゆくのを、ただ黙ってじっ
    と見ている、この何と苦しい私の気持ちである
    ことか。

    献身的な妻とはいえ、生活が窮乏をきわめ、そ
    れが長く続けば、愚痴の一つや二つはつい出て
    しまう。返す言葉もない牧水は、自分の苦しい
    心をみつめることしか出来ない。

作者・・若山牧水=わかやまぼくすい。1885~1928。
     早稲田大学卒。尾上柴舟に師事。

出典・・歌集「砂丘」。

0976


美しく 粧ふけふの 月の顔 詠めあかさで

ぬるはおしろい
              腹唐秋人

(うつくしく よそおうきょうの つきのかお ながめ
 あかさで ぬるはおしろい)

意味・・美しく化粧している今夜の明月の顔を、ながめ
    明かすこともしないで、早く寝るのはまことに
    惜しいことである。

    おしろいを塗ってきれいに化粧した顔にかかわ
    らず、風流を解しない心の持ち主を、あざけっ
    て詠んでいます。

 注・・ぬる=「寝る」と「塗る」を掛ける。
    おしろい=「白粉」と「惜し」を掛ける。

作者・・腹唐秋人=はらからのあきひと。1758~1821。
     日本橋の商家の番頭。洒落本作家。書家。

このページのトップヘ