名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

2020年05月


 
夕立ちや 法華飛び込む 阿弥陀堂
                     大仏次郎

(ゆうだちや ほっけとびこむ あみだどう)

意味・・急に降って来た大降りの雨。阿弥陀堂には侍や、
    旅役者、町人の先客が雨宿りをしながら、誰かま
    わずにわいわい言っている。そこに坊主が飛び込
    んで来て一枚加わった。

    「ひどい雨ですなあ、どこまで行かれます?・・
    どこどこは物騒、お役人が誰々をお縄にした・・」
    知らぬもの同士でも話がはずむ。

 注・・法華=法華宗。ここでは僧、坊主。
    阿弥陀堂=阿弥陀仏を本尊とする仏堂。

作者・・大佛次郎=おさらぎじろう。1897~1973。東大卒。
    小説家、鞍馬天狗や赤穂浪士が有名。

出典・・大仏次郎著「小説・鞍馬天狗」。


 
およぎゆかん 入江の向こうの 岸遠し はだかとなれる 
小学生徒
                   木下利玄

(およぎゆかん いりえのむこうの きしとおし はだかと
 なれる しょがくせいと)

意味・・入江で泳ごうとして裸になろうとしている小学生
    がいる。向こう岸までは遠いのだが、そこまで泳
    ぐらしい。

    向こう岸まで泳いで渡って見せる、と大きな目標
    に向かって気合が入った小学生の姿です。

作者・・木下利玄=きのしたりげん。1886~1925。東大
    国文科卒。 


 
その海が しやべってくれた 気がしたの 私に向かって
「まだ出来るよ」と
                    岩上詩織

(そのうみが しやべってくれた きがしたの わたしに
 むかって 「まだできるよ」と)

意味・・広く遠くまで続く青い海原を眺めていると、気持ち
    が落ち着き辛いことも忘れさせられる。雄大な海は、
    私に話しかけてくれる。あなたはまだまだ気が小さ
    い、これから大きくなれるよ、これからは何でも出
    来るよ、諦めないで!と私に向かってエールを送っ
    てくれた。

作者・・岩上詩織=いわがみしおり。生没年未詳。'11年当時
    埼玉久喜北陽高校一年生。

出典・・同志社女子大学編「31音青春のこころ・2012」。
    


 
逢坂を うち出でて見れば 近江の海 白木綿花に
波立ちわたる
                  詠み人知らず

(おうさかを うちいでてみれば おうみのみ しらゆう
 ばなに なみたちわたる)

意味・・逢坂山を越え出てみると、近江の海には白木綿花
    のように、美しい波が一面に立っている。

    山部赤人の歌(万葉集・321)「田子の浦ゆうち出で
    てみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける」と
    同じ技法で詠まれています。

 注・・逢坂(山)=京都府と滋賀県の堺にある逢坂(山)。
    近江の海=琵琶湖。
    白木綿花(しらゆうばな)=楮(こうぞ)の木の皮の
     繊維を糸として織った布を、曝(さら)して白く
     したものを白木綿といい、それで作った造花。

出典・・万葉集・3238。


 
人問はば 山を川とも 答ふべし 心と問はば
如何に答えん
                放牛

(ひととわば やまをかわとも こたうべし こころと
 とわば いかにこたえん)

意味・・人々がいろんな事を尋ねて来る時がある。場合
    によっては、山を指してあれは川だと言う事も
    出来る。生きて行く為には、私もウソをつく事
    もある。このように苦しい生活をしていれば、
    それも仕方がない事である。しかし、私の本心
    はと聞かれれば何と答えようか。

    地蔵菩薩を路傍に建立するのは、全ての人々が
    極楽浄土に往生するようにと願っているもので
    ある。しかし、本当は政治がよくなり、人々の
    暮しが楽になる事を願っているのである。

    放牛という僧は1722年から11年間に107体の
              地蔵菩薩を、熊本市を中心に菊池・玉名・阿蘇
              近辺に建立した。その地蔵の多くに、この歌の
             ような道歌が彫られている。

作者・・放牛=ほうぎゅう。生没年未詳。1722年頃に
           活躍した僧。

出典・・インターネット「放牛地蔵」より。


 
捨てし身を いかにと問はば 久方の 雨降らば降れ
風吹かば吹け
                  良寛 

(すてしみを いかにととわば ひさかたの あめふらば
 ふれ かぜふかばふけ)

意味・・俗世間を捨てた身は、どのようであるかと尋ね
    られたならば、雨が降るならば降るのにまかせ、
    風が吹くならば吹くのにまかせて過ごしている
    と、答えよう。 

    参考歌です。

   「うろ路よりむろ路に帰る一休み 雨降らば降れ
   風吹かば吹け」 一休

   (意味は下記参照)

 注・・捨てし身=俗世間を離れて出家した身。
    久方の=「雨」の枕詞。

作者・・良寛=1758~1831。

出典・・良寛歌集・493。


参考歌です。

うろじより むろじへ帰る 一休み 雨降らば降れ
風吹かば吹け
                一休宗純

(うろじより むろじへかえる ひとやすみ あめふらば
 ふれ かぜふかばふけ)

意味・・人生というのは、この世からあの世へと向かう、
    ほんの一休み。雨が降ろうが風が吹こうが、気に
    しない気にしない。
  
    人生というのは、一休みするほどの短さだ、心の
    こだわりを捨てて、からりとした気持ちで生きる
    ことだ。
  
    「一休」の名の由来の歌です。

 注・・うろじ=有漏路。煩悩(ぼんのう・悩ます迷いの
     心)を持ち悟れない人。この世、現世。
    むろじ=無漏路。煩悩のない悟りの境地。あの世。  
    
作者・・一休宗純=いっきゅうそうじゅん。1394~1481。
     頓知でお馴染みの一休さんです。


 
鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる
                      蕪村

(ふなずしや ひこねのしろに くもかかる)

意味・・鮒ずしをつまみながら、茶店でゆっくりと旅の
    疲れを癒(いや)していると、さきほどまで無か
    た白雲が彦根城の天守閣あたりに一筋かかって
    いる。

    青い空にぽっかり浮いた白雲が、夏のさわやか
    を印象づけています。

 注・・彦根城=江戸初期に琵琶湖湖畔の彦根に築かれ
     た。現在もなお存在している。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。17161783。
    池大雅とともに南宗画の大家。

出典・・新花つみ(福武書店「名歌名句鑑賞事典」)

1959


 平坦な 道は少なき 人生という 長き坂道
あと少しなり
                槿

(へいたんな みちはすくなき じんせいという ながき
 さかみち あとすこしなり)

意味・・70年という人生を顧みると、平坦な道を歩いて
    来たという事は少なかったように思える。これか
    らも苦労の多い人生だろうが、それも長いように
    は思えない。

    古希を過ぎて40数年ぶりに二人の親友に会って
    詠んだ歌です。
    ホテルで会って話していると、40年と言う空白
    は嘘のように埋まり、昔の面影が懐かしく蘇って
    来る。それぞれに歩いて来た道は、大きく違うけ
    れど、青春時代を共に過ごした絆はちゃんと結ば
    れていた。
    また会う約束をしたが、元気で会えるのは、あと
    どのくらいだろうか。

    子育ての苦労が終われば姑の介護。そして我が身
    の病。私だけではなかった。

作者・・槿=むくげ。ブログ上の名前。

出典・・インターネット。

1956 (2)

 
寝ても見ゆ 寝でも見えけり 大方は うつせみの世ぞ
夢にはありける
                  紀友則

(ねてもみゆ ねでもみえけり おおかたは うつせみの
 よぞ ゆめにはありける)

詞書・・藤原敏行が死んだ時にその人の遺族に贈った歌。

意味・・寝ても亡き人は夢に見えます。寝なくても面影は
    目に見えます。よく考えてみますと、現実のこの
    世は、夢のようなものと思うのです。

    この世は夢幻だという事を、体験を通じて詠んで
    います。
    眠っている時も起きている時も、変わる事無く亡
    き友の面影が見えて来る。すでに、現実の人では
    ないと思うと、現実に生きている者も、また同じ
    く夢の中の存在だと思われてくる心です。

 注・・大方は=たいていの場合は。一般的には。
    藤原敏行=「秋来ぬと目にはさやかに見えねども
     風の音におどろかれぬる」と詠んだ歌人。

作者・・紀友則=きのとものり。907年頃没。古今和歌集
    の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・833。

1955

 
生きて我 還らざらむと、うたひつつ、兵を送りて
家に入りたり
                  釈迢空

(いきてわれ かえらざらんと、うたひつつ、へいを
 おくりて いえにはいりたり)

意味・・「生きて我還らざらん」などと軍歌を歌いながら、
    戦場に出征する兵士を駅頭に見送って、家まで帰
    りついた。心が重いことだ。

    時局はまさに戦争拡大へと向かって、暗く重苦
    しい情勢は日増しに強くなりつつある昭和12年
    に詠まれた歌です。「生きて我還らざらん」と
    壮行の軍歌を歌いながら戦場に行った兵士を思
    う時、作者の心を責めるものがあり、同時に世
    をあげてそのような雰囲気を漂わせている周囲
    に、憂いの思いを歌っています。

 注・・生きて我還らざらんと=自分は生きたまま再び
     この故国には戻るまい。これは当時出征兵士
     を送る際に必ず歌われた歌です。

作者・・釈迢空=しやくちょうくう。1887~1953。本名
    折口信夫。国学院大学卒。古典学者・民俗学者。

出典・・学灯社「現代短歌鑑賞」。

1954

 
命はも 淋しかりけり 現しくは 見がてぬ妻と
夢にあらそふ
                    明石海人
 
(いのちはも さびしかりけり うつしくは みがてぬ
 つまと ゆめにあらそう)

意味・・私は何とも言い得えないほど侘(わび)しいもの
    だ。現実には逢えない妻と夢で逢えたというの
    に、その夢はいさかいの夢だったのだ。

    昭和10年頃の当時はハンセン病は不治の病と言
    われ、その療養所の中で詠んだ歌です。
    仲睦まじく暮らしていた妻、もう逢う事の出来
    ない妻、その妻の夢が、あらそいの夢だったと
    は、淋しいものだ。

 注・・はも=上接する語を特に強くとりたてて示す語。

作者・・明石海人=あかしかいと。1901~1939。本名は
     野田勝太郎。会社勤めの後、ハンセン病の為、
     長島愛生園で一生を終える。

出典・・歌集「白描」。

1953

若き日に 思い描きし 暮らしとは 何かが違う 
流れに任せ
                 槿

(わかきひに おもいえがきし くらしとは なにかが
 ちがう ときにまかせ)

意味・・若い時に夢見ていた暮しと今の暮らしは何かが
    違っている。それは年月の流れが生き方を変え
    たのだろうか。

    若い頃に何となく漠然と思い描いていた自分の
    未来像とはどんなものだっただろうか。
    気が付けば、もう古希を過ぎ、私の歩いて来た
    70年の足跡などどこにもない。

    可もなく不可もない、平凡な人生。
    こんなはずではなかったと、時に思うこともあ
    り、これでいいのだと自分に言い聞かせる自分
    もいる。自分は特別な人間でもなんでもない。

    人生も終わりが見え隠れするようになった今、
    野に咲く草花のように、誰にも気に留められず、
    誰をも傷つけず、普通に生きることの尊さが、
    少しだけ分かって来たような気がする。

作者・・槿=むくげ。ブログ上の名前。

出典・・インターネット。
 


 
家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 
椎の葉に盛る
                有馬皇子

(いえにあれば けにもるいいを くさまくら たびに
 しあれば しいのはにもる)

意味・・家にいる時は器に盛って食べる飯を、旅の途中
    なので椎の葉に盛って食べている。

    反逆の罪に問われて行く時の旅で詠んだ歌です。

 注・・笥(け)=竹などで編んだ食べ物を入れる器。
    草枕=「旅」の枕詞。

作者・・有馬皇子=ありまのみこ。640~658。18才。蘇我
    赤兄の謀略にかかって反乱を企てたため捕らえられ
    絞殺された。

出典・・万葉集・142。


 
うつしみは 影もちている 山がはの 渚の白き
石の一つに
                  片山貞美 

(うつしみは かげもちている やまがわの なぎさの
 しろき いしのひとつに)

意味・・清流の川辺に来て見ると、私の影は白い石に
    くっきりと映し出した。自分が生きていると
    いう存在を示すように。

    山歩きをしている途中で、清流の山川にたど
     り着いた時に詠んだ歌です。
    明るく照っている川原の白い石に、自分の
    影が映っているのをふと見て、生きている
    自分の証しとしての影、自分の存在をはっ
    きり感じさせる影に、心地よく山歩きをし
    ている自分を見つめています。

 注・・うつしみ=現身。「うつせみ」と同じ。この
     世、現世。この世に生きている身体。
    うつしみは影もちている=自分という生きて
     いる我が身を形づくっている影。そこにい
     る自分の存在感をはっきり感じさせる影。
    渚=川や海の波うちぎわ。

作者・・片山貞美=かたやまていび。1922~2008。
    国学院大卒。

出典・・歌集「つりかはの歌」(東京堂出版「現代短歌
    鑑賞事典」)。


み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど
直に逢はぬかも
                柿本人麻呂 

(みくまのの うらのはまゆう ももえなす こころは
 もえど ただにあわぬかも)

意味・・み熊野の浦に咲く浜木綿の葉が、百重に重なって
    いるように、自分が彼女を思うこの恋の思いも、
    決して単純なものではない。積もり積もって苦し
    いばかり。だが、恋しい人には、逢うことも出来
    ない。

 注・・み熊野=「み」は接頭語。「熊野」は三重県紀伊
     半島南部のあたり。
    浜木綿=ひがん花科の常緑多年草。剣の形の葉か
     ら白い花を抜き出したように付ける。
    百重なす心=恋人のことを、ああ思い、こうも思
     い、昨日も今日も思う。その心の重なりをいう。

作者・・柿本人麻呂=生没年未詳。710年頃亡くなった万葉
     歌人。

出典・・万葉集・496。
 

1952


生きて来し 幸せの量は 同じかと 尽きせぬ話に
落ちをつけたり
                槿

(いきてこし しあわせのりょうは おなじかと つきせぬ
 はなしに おちをつけたり)

意味・・親友三人と長い間おしゃべりをしていたが、最後は
    お互いは幸せであったのかという話になり、生まれ
    てから今までの受けた幸せの量は皆同じだという事
    で落ちがついたのであった。

    高校時代の親友三人とホテルに泊まり夜が更けるの
    も忘れておしゃべりをした。近況報告に共通の人の
    話。身体の具合や食事の事。子供や孫の事と女性の
    会話は尽きない。

    親友の話を聞いていると羨ましいと思うのだが本人
    は満足していない。私の置かれた立場は好きではな
    いのにいい身分だと言う。
    結局幸せというものは人いろいろであって気持ちの
    持ち方次第のように思えた。

    隣の人の芝生は綺麗に見えるけど中に入ってみない
    と分からない。隣の人もこっちの芝生が綺麗に見え
    ているのかも知れない。

 注・・落ち=おわり、結末。

作者・・槿=むくげ。ブログ上の名前。

出典・・インターネット。

 


 植えてみよ 花の育たぬ 里はなし 心からこそ
身は癒しけれ
            福沢諭吉 (良寛?)

(うえてみよ はなのそだたぬ さとはなし こころ
 からこそ みはいやしけれ)

意味・・種を植えてみれば花の育たない土地はない。
    心さえ込めれば花の命は満足に育つものだ。

    どこに住んでいても楽しい場所になるもの
    だ。いやな人だと思っていても、先ず心を
    込めて交際しなさい。きっと花は育つもの
    だ。花を見れば人々の笑顔があふれ、優し
    い心を取り戻すであろう。

 注・・癒し=病気、苦しみを治す。満足のいく物
     にする。

作者・・福沢諭吉=1834~1901。「西洋事情」。
     作者は良寛とも言われている。

出典・・菊池明著「幕末百人一首」。
    

鮎くれて よらで過行く 夜半の門
                    蕪村

(あゆくれて よらですぎゆく よわのもん)

意味・・鮎釣りの帰りに数尾を分けてくれた知人に、
    寄って休んではとすすめたが、もう夜も更
    けたからといって、門で別れを告げ立ち去
    って行った。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。17161783。
    池大雅とともに南宗画の大家。

出典・・蕪村句集。

 


 
刈り残す みつの真菰に 隠ろへて かげもち顔に
鳴くかはづかな        
                 西行
                
(かりのこす みつのまこもに かくろえて かげもち
 かおに なくかわずかな)

意味・・刈り残された御津(地名)の真菰の陰に隠れて
    自分は身を守ってくれる影を待っているぞと
    自慢げな顔で鳴いている蛙だなあ。

    頼りない真菰の陰で鳴く蛙がささやかな物に
    楽しみを感じる無邪気さを滑稽味をもって詠
    んでいます。

 注・・みつ=地名の御津(難波)又は美豆(山城)。
    真菰(まこも)=イネ科の多年草。水辺に生え
     葉、茎で莚(むしろ)を編む。
    かげもち顔=得意顔。「影を待つ」を掛ける。

作者・・西行=1118~1190。鳥羽院の北面の武士。23
     歳で出家。

出典・・山家集・1018。


 
殿原の 名古屋顔なる 鵜川かな      
                  蕪村

(とのばらの なごやがおなる うかわかな)

意味・・長良川の鵜飼見物の面々は、見るからに尾張藩士の
    名古屋顔といった顔付きで、大らかで鷹揚(おうよう)
    な態度をしている。

    岐阜県長良川の鵜飼は尾張藩の管轄であった。

 注・・殿原=身分の高い男の方々。 
    名古屋顔=名古屋者らしい顔つき。「名古屋」に「な
     ごやか」を掛ける。 
    鵜川=鵜飼をしている川、鵜飼見物の出来る川。
    鵜飼=飼いならした鵜を使って鮎などの魚をとる漁法。
     鵜匠が鵜舟に乗り、篝火(かがりび)をたき、鵜を操
     (あやつ)ってとる。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。17161783。池大雅ととも
    に南宗画の大家。

出典・・蕪村句集。

1944

 口にせぬ 思いを背負い あの人も この人もまた 
プールを歩く
                 槿

(くちにせぬ おもいをせおい あのひとも このひと
 もまた プールをあるく)

意味・・市営プールは安くて使い勝手が良いので多く
    の人が利用している。ウォーキング・レーン
    は高齢者が沢山おしゃべりをしながら楽しく
    歩いている。
    でも、あの人もこの人も口に出して言わない
    だけで、何か悩みを持ちながら歩いているの
    ではなかろうか。

    プールで歩いている知人の一人が、私に誰に
    でも言えないような家族の悩みを打ち明けて
    くれた。自分の意志ではどうにもならない事
    で苦しんでいる。話を聞いていると知人だけ
    ではないような気がする。私も持病で苦しん
    でいるし子供の事も心配だ。
    プールで歩いている他の人も、何か問題を抱
    えて生き抜いているのではあるまいか。

    人は重き荷を背負って坂道を登るが如し、と
    よく言ったものだ。

作者・・槿=むくげ。ブログのハンドルネーム。

出典・・インターネット。

1947

 
野毛山の 異人屋敷に 小米花 まばらに散りて
夏さやかなり
               太田水穂

(のげやまの いじんやしきに こごめばな まばらに
 ちりて なつさやかなり)

意味・・野毛山の赤い煉瓦の異人屋敷に、雪のように
    白い小米花がまばらに散り敷いていて、いよ
    いよ本格的な夏に入ろうとしている。

    異人屋敷の庭にひっそりと雪柳の花が散り敷
    いている。雨の中で白く咲いていた雪柳の花
    が、梅雨明けの頃の晴れた日、異人屋敷の赤
    煉瓦のさわやかに眺められる青空の下で点々
    とこぼれ散っている。それを眺めていると、
    しみじみ夏に入ったことが感じられて来る。

 注・・野毛山=横浜市中央の台地。港を俯瞰する景
     勝地にあり外人の邸宅が多かった。治外法
     権であった。
    異人屋敷=洋風の建物で赤い煉瓦造りが多か
     った。
    小米花=雪柳。バラ科の落葉灌木。晩春初夏
     に白い花を咲かせる。花がいっぱい散った
     あとの地面も雪がパラパラと 積もったよ
     うに見える。
    さやか=清か。はっきりして清らか。
    夏さやか=初夏になった。真夏を想像しては
     いけない。

作者・・太田水穂=おおたみずほ。1876~1955。長野
    師範卒。

出典・・学灯社「現代短歌評釈」。

1946

 
昔だに 昔と思ひし たらちねの なほ恋しきぞ
はかなかりける
                藤原俊成

(むかしだに むかしとおもいし たらちねの なお
 こいしきは はかなかりける)

意味・・昔でさえも、母と死別したのは、はるか昔の
    ことと思っていた。その母のことが年老いた
    今もやはり恋しく思うことである。

    死別した母を恋しく思う気持ちは、折にふれ
    て誰もが味わうことである。長い生涯の心の
    支えともなっていた母は年老いた今も忘れら
    れない。

    俊成は、10才の時に父に、26才の時に母に死
    別。77才の時に詠んだ歌です。

 注・・たらちね=母。
    はかなかかり=心細い、無常だ、むなしい、
     おおげさではない。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~1204。
    正三位皇太后大夫。千載和歌集を撰進。

出典・・新古今和歌集・1815。

3122

 
枝も葉も 数ふばかりに 月澄めば かげたしかなる
庭の常盤木
                 木下長嘯子

(えだもはも かぞうばかりに つきすめば かげ
 たしかなる にわのときわぎ)

意味・・枝も葉も数えられるくらいに明るく月が澄んで
    いるので、常盤木の枝葉をつけた影がくっきり
    と庭の上に映っている。

    明るい月が澄んで庭を照らし、風もなくて枝や
    葉の輪郭がはっきり見える。そして、照らしだ
    されている常緑樹の影が明るい庭にくっきりと
    黒い影となっている、という光景です。
    月光の美しさを詠んでいます。
    
作者・・木下長嘯子=きのしたちょうしょうし。1569
    ~1649。若狭国小浜城主になったが京の郊外
    に隠れ住んだ。

出典・・挙白集(東京堂出版「和歌鑑賞事典」)

2255

 
思い出の あるにもあらず 過ぎゆけば 夢とこそなれ
あぢきなの身や
                   一休宗純
 
(おもいでの あるにもあらず すぎゆけば ゆめと
 こそなれ あじきなのみや)

意味・・人生には思い出が沢山あっても、過ぎ去ってみれば、
    無いのと同じである。過ぎ去ったものは一切夢なの
    である。夢のまた夢である。何とはかない身であろ
    うか。

 注・・あぢきなの=せつない、情けない、耐え難い。

作者・・一休宗純=いっきゅうそうじゅん。1394~1481。
     頓知でお馴染みの一休さんです。

出典・・骸骨。


 
庵結ぶ 山の裾野の 夕ひばり 上がるも落つる 
声かとぞ聞く 
                     慶運

(いおむすぶ やまのすそのの ゆうひばり あがるも
 おつる  こえかとぞきく)

意味・・私が草庵に住んでいるこの山の、裾野で鳴く
    夕日ひばりは、空高く飛び上がる時の声も降
    りていく声かと聞こえるものだ。それほど我
    が庵(いおり)は高い所にあるのだ。

    大げさな表現だが、ひばりの鳴く春ののどか
    なゆったりした気分を詠んでいます。    

 注・・結ぶ=構える、構成する。

作者・・慶運=けいうん。1296頃の生まれ。和歌四
    天王と称された。

出典・・新後拾遺和歌集。


 
恋さまざま 願いの糸も 白きより 
                     蕪村

(こいさまざま ねがいのいとも しろきより)

意味・・少女たちが色さまざまの糸束を供えて、はなやかに
    七夕祭りをしている。願いの糸ももとは白い練り糸
    をさまざまに染めたものであるが、この少女たちも
    今は清純無垢であっても、やがては恋の道をたどる
    ことであろう。

 注・・願い=七夕祭には少女たちが諸芸の上達と恋の
     成就を祈るため竹竿の先に五色の糸束を飾っ
     て織姫星に供えた。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。17161783。池大
    雅とともに南宗画の大家

出典・・蕪村句集。


 
からたちの 垣根つづきの 野の小みち 淋しきわれを
みる野の小みち
                   狭山信乃 

(からたちの かきねつづきの ののこみち さびしき
 われを みるののこみち)

意味・・からたちの小さな白い花が咲き誇っている垣根。
    その垣根が続いている野の小道。それはそこに
    佇(たたず)む淋しい私を見る野の小道でもある。

    淋しきわれは恋人のいない自分。

 注・・からたち=蜜柑科の木。小さい白い花が4/10~
     4/30頃まで咲く。枝に刺があり垣根にされる。

作者・・狭山信乃=さやましの。1885~1976。昭和期の
    歌人。歌人、前田夕暮と結婚。

出典・・新万葉集・巻四。


 
朝露に 競ひて咲ける 蓮葉の 塵に染まざる 
人の尊さ
                 良寛

(あさつゆに きそいてさける はちすばの ちりに
 そまざる  ひとのとおとさ)

意味・・朝の露と、その清らかさを競っている蓮の花の
    ように、世俗の塵に染まらない人の尊いことよ。

 注・・競ひ=張り合うこと。
    塵=人の道にそむく心や行い、怠け心、遊び心、
     道楽、一時しのぎの楽しみ。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。

出典・・谷川俊朗著「良寛全歌集」。

1937

それぞれの 運命斯くも 違いしか 百歳の老いと
四十九歳の母
                 槿

(それぞれの うんめいかくも ちがいしか ひゃくさい
 のおいと しじゅきゅうさいのはは)

意味・・100歳で元気な人もいるし49歳で亡くなった
    母のような人もいる。運命とはこんなにも違うの
    だろうか。

    義姉の母が100歳の誕生日会の時に詠んた歌で
    す。私が25歳の時に母は49歳で亡くなった。
    つい、若くてこの世を去った自分の母と義姉の母
    を比べてしまう。

    義姉の母は由緒ある家付き娘でおっとりと育った。
    子供の苦労も全く頓着せず、まず自分の事を優先。
    いい物を身に付け、食べたいものを食べ、言いた
    い事を言う。そういう義姉の母。人から悪口を言
    われても何を言われても、それはその人の問題で
    あり私の問題ではない、言いたいことを言わせて
    おこうと気に掛けない義姉の母。反省して悪いと
    思えば直せばよいと思いのままに生きて来た人生。

    母と義姉の母の生き方が違い過ぎたのだろうか。
    神様は何かの意図があって運命をそれぞれの人に
    割り振ったのであろうか。
    長い人生も、短い人生もそれまでに十分役目を終
    えてもうこの世の役目は卒業したのだろうか。
    そして人生は短かかろうと長かろうと完結したも
    のだと。
    それでも、娘として母親には長生きをして欲しか
    った。

 注・・違いしか=違うのだろうか。「しか」は大分地方
     の方言。

作者・・槿=むくげ。ブログのハンドルネーム。

出典・・インターネット・ライブドアーブログ。

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