名歌名句鑑賞のblog

和歌・俳句の意味を解説します。

2020年08月

0265

 朝に行く 雁の鳴く音は 我がごとく 物思へかも
声の悲しき
                  詠み人知らず

(あさにゆく かりのなくねは わがごとく もの
 おもえかも こえのかなしき)

意味・・朝早く空を飛んで行く雁よ。お前も私と同じ
    ように、つらい物思いをしているからなのか、
    その声が何とも悲しく聞こえる。

    つらい思いは、病気なのかそれとも恋の思い
    に沈んでいるからなのか・・。

出典・・万葉集・2137。

0264

さを鹿の 胸別けにかも 秋萩の 散りに過ぎにける
盛りかも去ぬる
                大伴家持

(さおしかの むなわけにかも あきはぎの ちり
 すぎにける さかりかもいぬる)

意味・・野に来て見れば、萩の花は散ってしまっていた。
    男鹿が、胸で群れ咲く花を押し分けて通ったのだ
    ろうか。それとも、それは男鹿のせいなどではな
    くて、季節が過ぎて、花の盛りが終わったのであ
    ろうか。

    風景歌としてだけではなく、なんとなく恋のはか
    なさを歌ったような哀愁が漂います。
    男鹿が萩の花を花嫁として連れて行ったのだろう
    か。それならいいのだが。もう盛りが過ぎてしま
    って、相手にされないまま、散ってしまったのだ
    ろうか。

 注・・さを鹿=男鹿。「さ」は接頭語で語調を整える。

作者・・大伴家持=大伴家持。718~785。大伴旅人の長男。
    越中(富山)守。万葉集の編纂を行う。

出典・・万葉集・1599。

0263

 つれづれと 空ぞ見らるる 思ふ人 天降り来む
ものならなくに
                 和泉式部

(つれずれと そらぞみらるる おもうひと あま
 くだりこん ものならなくに)

意味・・恋人の魂がそこに宿る空を、式部は、今日も
    仰ぎつつ思う。あの方が、天降っていらっし
    ゃればいいのに・・。だが、それは夢。夢と
    知りつつ、なお、心はあきらめきれない。

    亡くなった夫の敦道親王を偲んだ歌です。

意味・・何をするという事もなく物思いをしながら空を
    仰いでいます。恋しく思っているあの方が空か
    ら天降るというわけでもありませんのに。

    深い嘆きを心に秘めながらも、ただ空を眺める
    という、静かな動作に、叶えられない恋を懐か
    しむ女性の姿を詠んでいます。

 注・・つれづれ=所在ない状態を示す語。はかなさ、
     わびしさ、哀愁といった心が底にただよう
     状態。
     るる=自発の助動詞。自然と・・してしまう、
     ・・せずにはいられない。
    天降り=天から降る。
    ならなくに=・・というわけでもないのに。

作者・・和泉式部=いずみしきぶ。年没年未詳、977
        年頃の生まれ。

出典・・和泉式部歌集。

0256

 別れむと する悲しみに つながれて あへばかはゆし
すてもかねたる
                  前田夕暮

(わかれんと するかなしみに つながれて あえば
 かわゆし すてもかねたる)

意味・・今では冷めた間柄でも、やはりいざ別れると
    なると、寂しさが胸をよぎる。きっぱりゼロ
    の関係になる前に、少し会ってもいいかなと
    いう気になる。それは、未練というほどはっ
    きりしたものではなく、単に「別れ」という
    イベントによる感情のさざ波だ。そして会っ
    てみると、意外とかわいいところが見えてき
    て、なんだか捨てるには惜しいような気がし
    てくる。

    今起きている感情は、すべて「別れ」を前提
    にしたものだからこそ、どうせ別れる相手と
    思えば、多少の欠点は今更気にならない。半
    分思い出になりつつあるから、楽しかった事
    や相手のいいところが、クローズアップされ
    てくる。あれ、本当に別れてしまっていいの
    かな、という迷いまで湧いてくる。しかし、
    じやあ、やり直そうというほどのファイトは
    もちろんない。

作者・・前田夕暮=まえだゆうぐれ。1883~1951。尾
    上柴舟に師事。

出典・・歌集「収穫」(俵万智著「あなたと読む恋の歌
    百首」)

0255

帚木の 心を知らで 園原の 道にあやなく
まどひぬるかな
              光源氏
 
(ははきぎの こころをしらで そのはらの みちに
 あやなく まどいぬるかな)

意味・・信州の園原に生えている帚木は、遠くから見える
    けれど、近づいていくと見えなくなる木といいま
    す。あなたは帚木のような方。あなたの心をはか
    りかねて、迷いに迷って、道にたたずんでいる私
    です。

    光源氏の恋を、夫がいるばかりに受け入れられな
    い空蝉を口説いている歌です。この歌に対して「
    いやしい私ゆえ、あなたがお近づきになれば消え
    てしまうのです。どうか私のことはお忘れくださ
    い」ときっばりとした拒否の歌を歌いますが、光
    源氏を思う情念は強く、夫がいるばかりに好きだ
    と言えない空蝉は悩みます。

 注・・帚木=遠くから見れば箒を立てたように見えるが
     近寄ると見えなくなるという木で信州の園原に
     あるという。
    園原=長野県伊那郡にある台地。
    あやなく=筋がとおらない、訳が分からない、い
     われがない。

作者・・光源氏=ひかるのげんじ。源氏物語の主人公。

出典・・源氏物語・空蝉。


 時雨るるや 黒木つむ屋の 窓あかり
                    野沢凡兆

(しぐるるや くろきつむやの まどあかり)

意味・・寒中の用意に軒近くまで薪(たきぎ)を高々と
    積み上げた農家などのさまである。外は時雨
    が降っていて、室内は寒々と薄暗い。積み上
    げた黒木の間に小窓の部分だけは開けてあり、
    そこから射し込む光が薄暗い室内をほのかに
    明るくしている。

    冬を迎えて、ひっそり寄り添うような人間の
    生業(なりわい)のさまを感じさせる句です。

 注・・黒木=生木をいぶして黒くなった薪。

作者・・野沢凡兆=のざわぼんちょう。?~1714。
    金沢より京に出て医を業とする。芭蕉に師事。
    去来とともに「猿蓑」を編集。

出典・・句集「猿蓑」。


 年の一夜 王子の狐 見にゆかん

                 山口素堂

(としのひとよ おうじのきつね みにゆかん)

意味・・大晦日の夜ともなれば、世間の人達はなにかと
    多忙をきわめている。しかし隠者の身には格別
    あらたまった用もない。王子の狐でも見にでか
    けようか。

    素堂は儒学を学び和歌・書道・茶道・能などに
    素養があり、官職を務めていたが辞めて隠棲し
    た。多芸に遊ぶ高踏の隠士であった。
    俗心とは関わらない風狂の心を詠ん句です。

 注・・年の一夜=大晦日の夜。
    王子の狐=東京都北区にあり、王子稲荷がある。
     関八州の稲荷の棟梁とされ、大晦日の日に八
     州の狐が集まり、おびただしい狐火が見える
     という。この火によって豊作の吉凶が占われ
     た。
    高踏=俗世間を抜けて上品に構えること。
    隠士=俗世間を捨てて、静かな所に隠れ住んで
     いる人、また、そういう生活態度の人。隠者。
    風狂=風雅を強く求めること。

作者・・山口素堂=やまぐちそどう。1642~1716。芭
    蕉と交流。

出典・・小学館「近世俳句俳文集」。


 ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれないに 
水くくるとは
                 在原業平

(ちはやぶる かみよもきず たったがわ からくれないに
 みずくくるとは)

意味・・こんなことは神代の話にだって聞いたことがない。滝田
    川の水を韓紅(からくれない)に絞り染めにするとは。

    真っ赤な紅葉が点々として浮かぶ、滝田川を真紅の絞り
    模様のついた絹地を晒(さら)したところに見立てたもの。
    華麗な歌です。

 注・・ちはやぶる=凶暴な、猛々しい、転じて「神」の枕詞。
    神代=不思議なことが起こった神々の時代。
    滝田川=奈良県生駒郡に流れる川。
    からくれない=鮮やかな紅色。韓紅。
    水くくる=水を反物にみたてて、水に浮かんだ紅葉の葉
     をくくり染め(絞り染め)に見立てたもの。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。従四位・
    蔵人頭。六歌仙の一人。伊勢物語が有名。

出典・・古今和歌集・294、百人一首・17。

0252

 秋風の いたりいたらぬ 袖はあらじ ただわれからの
露の夕暮
            

(あきかぜの いたりいたらぬ そではあらじ ただ
 われからの つゆのゆうぐれ)

意味・・秋風の吹き及ぶ袖、吹き及ばない袖の区別は
    ないであろう。それなのに、私の悲しさ故に
    私の袖は涙の露となって濡れる寂しい秋の夕
    暮れである。

    秋風は誰の袖にも吹くのに、夕暮れに露が置
    くように、自分の袖だけが哀感の涙で濡れて
    くる。

    本歌は古今集の次の歌です。

   「春の色のいたりいたらぬ里はあらじ 咲ける
    咲かざる花の見ゆらん」 (詠み人知らず)

   (春はどこでも同じように来るもので、春の及
    ぶ里、及ばない里の区別はないであろう。そ
    れなのにどうして、里によって、咲いている
    花、咲いていない花の区別が見えるのであろ
    うか。)

 注・・われから=我から。自分ゆえ、自分が原因で。

作者・・鴨長明=かものちょうめい。1155~1216。
     「方丈記」。

出典・・新古今和歌集・366。

0251

 人生は もっと幸福で あっていい ある時はさう考へて
その気にもなる
                 矢代東村

(じんせいは もっとこうふくで あっていい あるときは
 そうかんがえて その気にもなる)

意味・・人間は幸福になっていいはずなのに、どうして、
    こんなに不幸な思いをしなければならないのか、
    いつもそう思うことだ。

    病気やいじめなど不幸の原因は多くあるが、自
    分の努力で解決出来ない不幸は、こんな事がな
    ければ楽しく暮らせるのに、と思うものです。

作者・・矢代東村=やしろとうそん。1889~1952。日大
    法科卒。弁護士。

出典・・桜楓社「現代名歌鑑賞事典」。

0247

いたつきの 癒ゆる日知らに さ庭べに 秋草花の
種を蒔かしむ
                   正岡子規

(いたつきの いゆるひしらに さにわべに あきぐさ
 ばなの たねをまかしむ)

詞書・・しひて筆をとりて。

意味・・自分の病気は、いつになったら治るのか、それ
    すら分からないが、庭には秋咲きの草花の種子
    を蒔いてもらった。

    いくばくの命もなく、秋までは生きられないだ
    ろうと覚悟はしているが、何としても生き抜い
    て、この花の咲くのを見たいものだと、種を蒔
    いてもらった。

    死が近づき、気力も弱まった頃「しひて筆をと
    りて」詠んだ歌です。
    子規はその年の9月19日に没しました。
    
 注・・いたつき=労。骨折り、病気。

作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。35歳。
    東大国文科中退。脊髄カリエスで腰痛のため歩行
    困難になり長年病床に臥す。

出典・・歌集「竹の里歌」。

 


 いにしへの 難波のことを 思ひいでて 高津の宮に
月のすむらん       
                   源師頼

(いにしえの なにわのことを おもいいでて たかつ
 のみやに つきのすむらん)

意味・・往古のどんなことを思い出して、難波の
    高津の宮では月が澄んで光っているのだ
    ろうか。

    人は今の月しか見られないが、月は往古か
    らの人々の姿をを見続けている事を詠んだ
    歌です。
    高津宮神社には、民の竈(かまど)から炊飯
    の煙が立ち上らないのを見て、3年間課税を
    免じたという仁徳天皇を主祭神として祀ら
    れています。
    
 注・・難波=難波に「何」の意を掛ける。
    高津の宮=大阪市中央区にある神社で、仁
     徳天皇(五世紀前半の天皇)の皇居があっ
     た。
    すむ=「澄む」と「住む」を掛ける。

作者・・源師頼=みなもとのもろより。1068~1139。
    正二位大納言。

出典・・金葉和歌集・197。


 末の露 本の雫や 世の中の 後れ先立つ
ためしなるらん  
              僧正遍照

(すえのつゆ もとのしずくや よのなかの おくれ
 さきだつ ためしなるらん)

意味・・葉先から落ちる
露や根元にしたたり落ちる雫
    は、
この世の中では遅い早いの違いがあって
    も、すべてのものがいつかは滅びてゆくとい
    うことの実例であろうか。

    無常の真理を自然を鏡として確かめた歌です。

 注・・末の露本の雫=草木の先のほうの露と根元の
     ほうの雫。
    後れ先立つ=人が後れて死に、先立って死ぬ。
    ためし=実例。
    無常=全ての物が生滅変転してとどまらない
     こと、人の死。

作者・・僧正遍照=そうじょうへんじょう。890年没、
    75歳。僧正は僧の一番上の位。素性法師の父。
    36歌仙の一人。

出典・・新古今和歌集・757。


 白飯を 器に盛りて あたらしき 箸はたてつつ 
嘆き足らはず
                明石海人

(しろめしを うつわにもりて あたらしき はしは
 たてつつ なげきたらわず)

意味・・我が子を悼(いた)んで、白飯を器に盛り、新し
    い箸をそこに立てながら、いくら嘆いても嘆き
    足りるということはない。

    三歳の無邪気で一番可愛い頃の幼子が亡くなっ
    た悲しみを歌っています。

 注・・白飯に箸をたてる=死者の枕元に供えるご飯に
     箸をたてること。死者の霊が極楽浄土への旅
     立をするために、旅路でたっぷり食べ、導き
     の搭に登って行かせたいという慣習。
    悼む=人の死を嘆き悲しむこと。

作者・・明石海人=19011939。ハンセン病を患い岡山
    県の愛生園で療養。手指の欠損、失明、喉に吸
    気管を付けた状態で歌集「白描」を出版。

出典・・松田範祐著「小説・瀬戸の潮鳴」。

秋の菊 にほふかぎりは かざしてむ 花よりさきと 
知らぬわが身を              
                  紀貫之

(あきのきく におうかぎりは かざしてん はなよりさきと
 しらぬわがみを)

意味・・この菊の花が美しく咲いている間は、挿頭(かざし)に
    さして、気持ちを引き立てることとしょう。花の散る
    のよりひと足先に死ぬかもしれないわが身と思いつつ。

    近親者の急死に遭(あ)って、人の運命のはかない事を
    感じていた時、菊の花を見て詠んだ歌です。

 注・・にほふかぎり=美しい色に咲いている間は。
    かざし=挿頭。草木の花を髪や冠にさすこと。樹木の
     霊と接触して生命力が強まるのを願うもの。
    てむ=強い意志を表す語。
    花より先と知らぬ=花より後まで生きられるかどうか
     分からない。

作者・・紀貫之=きのつらゆき。868~945。従五位・土佐守。
    古今和歌集撰者の一人。古今集の仮名序の作者。

出典・・古今和歌集・276。

 


 かからむと かねて知りせば 越の海の 荒磯の波も
見せましものを
                   大伴家持

(かからんと かねてしりせば こしのうみの ありその
 なみも みせましものを)

詞書・・長逝(ちょうせい)せる弟を哀傷(かな)しぶる歌。

意味・・こんな事になると前から分っていたなら、この越
    の国の、荒磯にうち寄せる波の有様も見せてやる
    のだったのに。

    海のない奈良の都に育った弟には、この日本海の
    荒々しい波はさぞ珍しかったであろう。一度ここ
    に連れて来て見せてやりたかった。越の海の荒波
    の風景をどんなに珍しがり、喜んでくれただろう
    に。

    参考歌です。

    かくありと 兼ねて知りせば せん術(すべ)も 
    ありなましもの かねて知りせば 
                      良寛

    世の中はこのようなものであると、前もって分かっ
    ていたならば、とるべき方法もあったろうになあ。
    前もってそれが分かっていたなら良かったのに。  

 注・・長逝=死去。
    弟=家持の弟の書持(ふみもち)。
    かからむと=こんな事になるとは。弟の死をさす。
    越の海=越中国府のそばの富山湾をさす。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。大伴
     旅人の長男。小納言。万葉集の編纂をした。

出典・・万葉集・3959。

もの思ふと 隠らひ居りて 今日みれば 春日の山は
色づきにけり
                   詠み人しらず

(ものもうと こもらいおりて きょうみれば かすがの
 やまは いろづきにけり)

意味・・恋の思いにふさぎこんで、ずっと家に引きこもっ
    ていたが、今日久しぶりに見ると、春日の山はも
    う見事に色づいていた。

    童謡「浦島太郎」参考です。

    昔々 浦島は 助けた亀に 連れられて
    竜宮城へ 来てみれば 絵にもかけない美しさ

    乙姫様の ご馳走に 鯛やヒラメの舞い踊り
    ただ珍しく 面白く 月日のたつのも 夢の中 
    ・・・・・ ・・・
    ・・・・・ ・・・
    心細さに 蓋とれば あけて悔しき 玉手箱
    中からぱっと 白煙 たちまち太郎は お爺さん

    何かに集中して、充実していると、ああ、時間の
    経つのを忘れてしまったというような事もある。
    人生の時間というものは一定に流れるものではない。
    止まった時間、充実した時間を持つ事は素晴らしい
    事だ。         

 注・・物思(も)ふ=「ものおもふ」の約。思い悩む、物 
     思いにふける。恋に思い悩むとは限らない。

出典・・万葉集・2199

 

0246

天翔り あり通ひつつ 見らめども 人こそ知らね
松は知るらむ
                 山上億良

(あまがけり ありかよいつつ みらめども ひとこそ
 しらね まつはしるらん)
 
意味・・有馬皇子の魂は、翼を得て天空を飛び通いながら、
    常にご覧になっておりましょうが、人にはそれが
    分からない。しかし松はちゃんと知っていること
    でしよう。

    有馬皇子の死後、およそ70年後に歌ったものです。
    人知らずとも松は知ると述べて、皇子への理解と
    共感を示しています。

    有馬皇子の歌、参考です。

    磐代の 浜松が枝を 引き結び 真幸くあらば 
    また還り見む    (万葉集・141)

   (磐代の浜松の枝を結んで幸いを祈って行くが、もし
   無事であった時には、再び帰ってこれを見よう・・
   反逆を企てたという罪で捕らえられた時の歌です)

 注・・天翔(あまがけ)り=神や人の霊が天を飛び走る。
    あり通ひ=通い続ける。
 
作者・・山上憶良=やまのうえおくら。660~733。遣唐
    使として渡唐。大伴旅人と親密に交流

出典・・万葉集・145。

 

0244

 みぎはくる 牛飼ひ男 歌あれな 秋のみづうみ
あまりさびしき
                与謝野晶子

(みぎわくる うしかいおとこ うたあれな あきの
 みずうみ あまりさびしき)

意味・・湖の水際を、まっ黒な牛を牽(ひ)きつつ黙々と
    歩いてこちらにやって来る牛飼い男さんよ。
    せめて一節、牧童の唄う歌でも唄ってください
    ませんか。人影もなく、しんとして冷ややかに
    澄んだ秋の湖、この湖の雰囲気はあまりにも寂
    しくてそれに私は耐えられませんので。

 注・・あれな=「な」は終助詞で命令形を受けて優し
     く念を押す気持ちを添える語。

作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。堺女
    学校卒。与謝野鉄幹と結婚。「明星」の花形と
    なる。

出典・・歌集「みだれ髪」(荻野恭茂著「晶子の美学・
    珠玉の百首鑑賞」)

0243

 今宵より 後の命の もしあらば さは春の夜を
かたみとおもはむ
                源資通 

(こよいより のちのいのちの もしあらば さは
 はるのよを かたみとおもわん)

意味・・寿命というものは、いつ、果てるか分かりませが、
    今から後の私の人生に、春の夜が巡り来るたびに、
    あなたとお会いした夜を思い出す事でしょう。

    源資通が菅原孝標女(たかすえのむすめ)たちの女
    房(女官のこと)がいる所にやって来て「あなたが
    た、春と秋と、どちらがお好きですか」尋ねると、
    一緒にいる女房が「秋の夜が好き」と答えるのを
    聞いて、孝標女は次の歌を詠んだ。

    浅緑 花もひとつに 霞みつつ おぼろに見ゆる
    春の夜の月  (新古今・56)

         (浅緑の空とほのかな桜。それがひとつに霞わたっ
    た中の春のおぼろ月。私は春の夜に魅かれます)

    菅原孝標女は源資通の歌を聞いて胸をときめかせ
    たという。

 注・・さは=多は。たくさん、数が多い事を表す。
    かたみ=過ぎ去ったことを思い出させるもの。

作者・・源資通=みなもとのすけみち。1005~1060。従
            二位参議。
    菅原孝標女=すがわらのたかすえのむすめ。101
    0年頃の女性。更級日記が有名。

出典・・更級日記(著者・菅原孝標女)


 雨隠り 心いぶせみ 出で見れば 春日の山は 
色づきにけり
                大伴家持
            
(あまごもり こころいぶせみ いでみれば かすがの
 やまは いろずきにけり)

意味・・雨に閉じ込められて、気持がうっとうしいので、
    外に出てみると、春日の山はもう見事に色づい
    ていた。

    長雨の間に山がすっかり紅葉したことを見出し、
    雨ごもりの鬱情から開放された気持を詠んで
    います。

 注・・雨隠り=雨のため家に引きこもっていること。
    いぶせみ=気が晴れない、うっとうしい。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。
    大伴旅人の子。万葉の代表的な歌人。万葉集の
    編纂もする。

出典・・万葉集・1568。


 ふるさとの 訛なつかし
  停車場の 人ごみの中に
  そを聴きにゆく
                   石川啄木

(ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの ひとごみ
 のなかに そをききにゆく)

意味・・都会に住んでいると、遠く離れた故郷の東北
    訛りが懐かしくてたまらないことがある。そ
    んな日、にぎやかな上野駅の人ごみの中へと、
    そのお国訛りを聴きに出かける。

    「訛」によって表されるものは、故郷の人間
    的、社会的関係である。それはいかにも泥臭
    く、愚かしく、みじめなものであるが、都会
    の人間関係にない、温かみと真実が、そこに
    あります。
    
 注・・停車場=ここでは上野駅。東北の玄関口なの
     でそこへ行けば必ず東北弁を聞く事が出来
     た。
    そ=「ふるさとの訛」をさす。 
    聴きにゆく=注意して耳を傾けて聞く。

作者・・作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886
    ~1912。26歳。岩手県生まれ。盛岡尋常中学
    校中退。与謝野夫妻に師事するために上京。

出典・・歌集「一握の砂」。

 


 風吹けば 黄葉散りつつ すくなくも 吾の松原
清くあらなくに
                詠み人知らず

(かぜふけば もみじちりつつ すくなくも あがの
 まつばら きよくあらなくに)

意味・・風が吹くたびに色づいた葉が盛んに散って、
    この吾の松原の眺めはちょっとやそっとの美
    しさではないのだ。

    紅葉の美しさを通して吾の松原を讃えた歌で
    す。

 注・・すくなくも=打ち消しの「なくに」と呼応し
     多いに・・だ、の意となる。
    吾(あが)の松原=三重県三重郡から四日市市
     付近の松原。
    清く=さわやかで気持ちがよい。

出典・・万葉集・2198。

0240

 紅の 薄染め衣 浅らかに 相見し人に 
恋ふるころかも

(くれないの あさそめころも あさらかに あいみし
 ひとに こうるころかも)

意味・・紅の薄染めの着物の色のように、ほんの淡い気持
    で逢った人なのに、その人に恋焦がれている今日
    この頃です。

 注・・浅らかに=心のこもらないさまを表す。
    見し=対面した、会った。

出典・・万葉集・2966。

0239

盲ひては もののともしく 隣家に 釘打つ音を
をはるまで聞く
                 明石海人

(めしいては もののともしく となりやに くぎうつ
 おとを おわるまできく)

意味・・目が見えなくなってから、些細な事にも心が
    ひかれるようになった。今、隣で家の修理が
    なされているのだろうか。釘を打つ音を最後
    まで聞き入っている。

 注・・ともしく=羨しく。めったにない物に心がひ
     かれる。

作者・・明石海人=1901~1939。ハンセン病を患い岡
    山県の愛生園で療養。手指の欠損、失明、喉
    に吸気管を付けた状態で歌集「白描」を出版。

出典・・歌集「白描」。 

0238

 天の川 水陰草の 秋風に なびくを見れば
時は来にけり

(あまのがわ みずかげくさの あきかぜに なびくを
 みれば ときはきにけり)

意味・・天の川のほとり、物陰に咲いた草が、秋風の
    中に静かに靡(なび)いているのを見ると、あ
    あ、やっとふたりの恋人の相逢える秋がやっ
    て来たなあ。

    万葉人は、牽牛星や織女(しょくじょ)星と同
    じ心で、秋の来る日をひたすら待っています。

    七夕伝説、参考です。

    天帝の子、織女は機織(はたお)り女で、天の
    川の東に住み、雲の錦、天の衣を織りなして
    いた。天帝は彼女の独り身を哀れんで、川の
    西の牽牛に嫁がせた。すると、織女はだんだ
    ん怠けはじめ、ついには全く織る業(わざ)を
    止めてしまった。天帝は大変怒り、織女を川
    の東に戻し、一年たった一夜、七月七日の夜
    だけ、二人を逢わせるようにした。

 注・・水陰草=水辺に生えている草。

出典・・万葉集・2013。


 柴や伐らむ 清水や汲まむ 菜や摘まむ 時雨のあめの
降らむまぎれに
                   良寛

(しばやこらん しみずやくまん なやつまん しぐれの
 あめの ふらんまぎわに)

意味・・山へ行って柴を切ろうか、谷で清水を汲もうか、
    野で菜を摘もうか、時雨の冷たい雨が降って来
    ない間に。

 注・・伐(こ)らむ=切ろうか。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。越後出雲崎に
       神官の子として生まれる。18歳で曹洞宗光照寺
       に入山。

出典・・谷川俊朗著「良寛歌集」。
 


秋風に あへず散りぬる もみじ葉の ゆくへさだめぬ 
我ぞ悲しき                 
                  詠み人知らず

(あきかぜに あえずちりぬる もみじばの ゆくえ
 さだめぬ われぞかなしき) 

意味・・秋風に耐え切らないで散っていった紅葉の行方が
    知れなくなるように、行く末のわからないわが身
     が悲しいことです。
 
   「うらぶれた状態」すなわち、落ちぶれたり不幸に
    あったりして、みじめになった状態を詠んでいま
    す。
 
    フランスの詩人、ヴェルレーヌの詩「落葉」、
    参考です。
              上田敏訳詩・清川妙詩訳

    秋の日の     秋風が     
    ギオロンの    バイオリンの音のように
    ためいきの    すすりなき
    身にしみて
    ひたぶるに 
    うら悲し

    鐘の音に     鐘が鳴ると、
    胸ふたぎ     私は思い出に
    色かへて     胸ふさがれる。
    涙ぐむ
    過ぎし日の
    おもひでや

    げにわれは    そのとき    
    うらぶれて    私の心も萎(しお)れて
    ここかしこ    さながら散り落ちる
    さだめなく    落葉のように・・・。 
    とび散らふ
    落葉かな 


    儚(はかな)い人生。昨日まで幸せに暮らしていた
    のに、辛いことが降りかかって来たら、これから
    どうしたものか。今までのように幸せに生きて行
    きたい、と思う。
 
    ある日、知人が話していた。
    子育てが終わりやっと楽になるかと思っていると、
    義母の介護の生活が始まった。長年介護の生活が
    続き、その後義母は亡くなった。ホットしたとこ
    ろ今度は主人が,脳梗塞で倒れて介護に追われて
    いると。
 
    鐘の音に 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ
    過ぎし日の おもひでや
    げにわれは うらぶれて ここかしこ
    さだめなく とび散ろう 落ち葉かな
  

 注・・あへず=耐え切れない。
    ギオロン=バイオリン
            げに=実に。現に、まのあたりに。
    うらぶれて=落ちぶれたり不幸にあったりして、
     みじめなありさまになること。悲しみに沈む
     こと。しおれる。
 
出典・・古今和歌集・286。 


 旅人の 袖吹きかへす 秋風に 夕日さびしき
山のかけ橋
               藤原定家

(たびびとの そでふきかえす あきかぜに ゆうひ
 さびしき やまのかけはし)

意味・・旅人の袖を吹き返している秋風の中で、夕日
    が寂しく射している山の掛け橋よ。

    旅人はどんな気持ちで旅をしているのだろう。
    恋しい故郷を思いつつ旅をしているのだろうか。

    参考です。

     旅愁    犬童球渓詞
 


     ふけゆく秋の夜  旅の空の
     わびしき思いに  一人なやむ
     恋しや故郷    なつかし父母
     夢路にたどるは  里の家路
     ふけゆく秋の夜  旅の空の
     わびしき思いに  一人なやむ  

 注・・山のかけ橋=険しい崖にかけた橋。桟道。

作者・・藤原定家=ふじわらのさだいえ。1162~1241。
    正二位中納言。「新古今和歌集」の撰者の一人。

出典・・新古今和歌集・953。


道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらさらに 
何をか思はむ
               詠み人知らず

(みちのべの おばながしたの おもいぐさ いま
 さらさらに なにをかおもわん)

意味・・道端に茂る尾花の下陰の思い草のように今
    さら何をひそかに思いわずらって、うちし
    おれたりしようか、そうはしないぞ。

    草に寄せて詠んだ恋の歌です。

 注・・尾花=すすき。秋の七草のひとつ。
    思い草=すすきの根に寄生する南蛮煙管(
     なんばんぎせる)。花の姿が首をうなだ
     れて物思いにふける姿に似ている。
    さらさらに=更々に。いまさら、あらため
     てまた。
    何をか=「か」は反語。

出典・・万葉集・2270。 

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