名歌名句鑑賞のblog

心に残る名言、名歌・名句鑑賞。

2020年08月


田を売りて いとど寝られぬ 蛙かな 

                     立花北枝

(たをうりて いとどねられぬ かわずかな)

意味・・春の蛙は田んぼなどで雄が雌を求めてやかましく
    鳴きたてる。夜になってあたりが静かになると、
    門田で鳴きたてる蛙の声が耳に入って寝付かれない
    ほどである。それでも自分の田である場合は文句も
    いえずがまんもしたが、他人に売り渡してしまうと
    その鳴き声がうるさくて眠れない。

    自分の失敗で痛い目に会うのは我慢が出来るが、人
    のせいで痛い目に会うのは我慢出来ないものである。

 注・・いとど=ますます、いよいよ。
    門田=家の前の田。

作者・・立花北枝=たちばなほくし。?~1718。刀研ぎ業。
    芭蕉に師事。
 
 出典・・小学館「近世俳句俳文集」


人ならば 待てといふべきを 時鳥 まだ二声を 

鳴かで行くらむ
                 藤原元真
            
(ひとならば まてというべきを ほととぎす まだ
 ふたこえを なかでゆくらん)

意味・・ほととぎすが人なら、待てと言いたいのだが。
    まだ二声を鳴かないのに何故行ってしまうのか。

作者・・藤原元真=ふじわらのもとざね。生没年未詳。
    966年従五位下・丹波介。

出典・・家集「元真集」。


五月やみ 狭山の峰に ともす火は 雲のたえまの
星かとぞ見る
                 藤原顕季 

(さつきやみ さやまのみねに ともすひは くもの
 たえまの ほしかとぞみる)

詞書・・照射。

意味・・梅雨どきの闇夜、狭山の峰に火がちらつくと、
    久しぶりに雲が切れて星が現れたのかと思っ
    てしまう。鹿が射たれる哀れを忘れて。

 注・・照射=火串(ほぐし)を立てて、鹿が灯りに誘い
     出されて来た所を弓で射る。明治の始め頃ま
     で行われた。
    五月やみ=現在の6月下旬頃。梅雨の夜の暗さ。
    狭山=武蔵国の歌枕。

作者・・藤原顕季=ふじわらのあきすえ。1055~1123。
     正三位・白河院の近臣。

出典・・千載和歌集・195。

薮入りや 何も言わずに 泣き笑い   
                   
(やぶいりや なにもいわずに なきわらい)

意味・・奉公人が主人から休みをもらって、喜び勇んで
    帰って来た。親と対面したものの、楽しい思い
    出より辛く苦しいことばかり。話せば親を悲し
    ませると思うと何も言えない。只泣き笑いする
    ばかりだ。

    一方、息子の帰りを首を長くして待っている両
    親、特に親父は朝からソワソワ、いえ、前の晩
    から、いやいやそのず~っと前からソワソワ。
    有り金を叩いて、ああしてあげたい、こうして
    あげたい、暖かい飯に、納豆を買ってやって、
    海苔を焼いて、卵を茹でて、汁粉を食わせてや
    りたい。刺身にシャモに、鰻の中串をご飯に混
    ぜて、天麩羅もいいがその場で食べないと旨く
    ないし、寿司にも連れて行きたい。ほうらい豆
    にカステラも買ってやりたい・・。
    そして三年ぶりに息子とのご対面は、「薮入り
    や何も言わずに泣き笑い」・・落語「薮入り」
    の一節です。

 注・・薮入り=商家で住み込んで働いている奉公人が
     年に二度、一月と七月の16日、一日だけ家
      に帰るのが許された。奉公始めは三年間は
      休みを貰えなかった。

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清滝や 波に散り込む 青松葉    
                    芭蕉

(きよたきや なみにちりこむ あおまつば)

意味・・清滝川の流れは、その名が示すとおり清らかな急流で
    その青い波の上に、松の青葉が散り込んでいく。
    何と清涼なことだ。

    青松葉は、美しく清らかな流れを強調するための心象
    風景です。

 注・・清滝=滝ではなく地名の清滝川のこと。洛北高雄を経
     て嵐山の上流で大堰川(おおいがわ)に合流する。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

出典・・笈日記。

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わがやどの 梢の夏に なるときは 生駒の山ぞ 
みえずなりぬる
                 能因法師

(わがやどの こずえのなつに なるときは いこまの
 やまぞ みえずなりぬる)

意味・・私の家の庭の木の梢が夏を迎えた時は、その茂った
    葉にさえぎられて、生駒山は見えなくなっこてしまう
    ものだ。

    若葉の茂るさわやかな夏です。

出典・・後拾遺和歌集・167。


目には青葉 山ほとどぎす はつ鰹
    
                    山口素堂

(めにはあおば やまほとどきす はつがつお)

意味・・目には青葉がさわやかに、耳には山ほとどぎす
    の鳴く声が聞こえ、口には初がつおの味覚が
    初夏の到来を告げている。

    かつおが名産である鎌倉の地の初夏を詠んだ
    句です。

作者・・山口素堂=やまぐちそどう。1642~1716。

出典・・江戸新道。


信濃なる 須我の荒野に ほととぎす 鳴く声聞けば
時過ぎにけり
               信濃の国の防人の歌
               
(しなのなる すがのあらのに ほととぎす なくこえ
 きけば ときすぎにけり)

意味・・ここは信濃の須我の荒野、この人気のない野で
    時鳥の鳴く声を聞くようになった。あの人が帰
    ると言った時期はもう過ぎてしまうのだ。

    時鳥が鳴く初夏は農繁期なので人手の欲しい時
    期である。防人として出て行った夫の帰りを待
    ちこがれた歌です。

 注・・信濃=長野県。
    須我=小県(ちいさがた)郡菅平あたり。
    ほととぎす=時鳥。初夏にやって来る渡り鳥で
     農耕民への「時告げ鳥」となっていた。
    時=防人として賦役などで旅に出た夫が帰ると
     言った時期。

出典・・万葉集・3352。

朝露によごれて涼し瓜の泥
                  芭蕉 

(あさつゆに よごれてすずし うりのどろ)

意味・・夏の朝、裏の畑に出てみると、露がしっとりと
    降りている。地面にころがっている瓜も露に濡
    れて、肌に黒い泥が少しついて汚れているが、
    かえってそれが涼しげである。

    冷たい西瓜は味覚に涼しい。風鈴は聞いて涼し
    い。視覚に涼しいのは氷の塊とか流水、洗い立
    ての肌着、果物、朝顔の花・・。それに朝の露。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

出典・・笈日記。


片岡の 杜の木かげに 立ち濡れて  待つとも知らぬ

ほととぎすかな
                  後鳥羽院 

(かたおかの もりのこかげに たちぬれて まつとも
 しらぬ ほととぎすかな)

意味・・その朝のほととぎすよ。お前は鳴いたのか、そ
    れとも鳴かなかったのか。
    今も片岡の森には、木陰に立って雫に濡れなが
    らお前の声を待つ人がいるかも知れないのに。
    気ままなお前はしかし、そうとも知らず、森を
    留守にして鳴かないこともあるのであろう。

 注・・片岡の杜=京都市北区上賀茂神社の境内の森。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。「新古今
    和歌集」の撰集を命じる。鎌倉幕府の倒幕を
    て失敗し隠岐に流される。

出典・・日吉三十首。


朝顔は下手の描くさへ哀れなり

                   
                   芭蕉 

(あさがおは へたのえがくさえ あわれなり)

詞書・・嵐雪が描きしに、賛望みしに。

意味・・はかない物としてしばしば和歌や漢詩に
    詠まれる朝顔であるだけに、下手な人が
    描いた絵であっても、哀れを感じさせる
    ものだ。

    朝顔は、朝咲いて夕方にはしぼむので儚
    (はかな)いイメージが、次の漢詩や歌のよ
    うに、平安朝から持たれるようになった。
 
    白居易の漢詩には、

   「松樹千年終(つい)にこれ朽ちぬ、槿花(
    きんか)一日己づから栄をなす」があり、

    (松は千年の齢をたもつというけれども、
    朽ちはてる時がある。朝顔の花は悲しい
    花だとはいうけれども、自然彼らなりに
    一日の栄えを楽しんでいる。他をうらや
    まず己の分に安ずべきことをいう。)

    また、藤原道信は拾遺和歌集に次の歌を
    詠んでいる。

   「朝顔を なにはかなしと 思ひけむ 
    人をも花は いかが見るらむ」

    (朝顔の花を人はどうしてはかないものだ
    と思っていたのだろう。人間こそはかな
    いものではないか、花はかえって人間を
    どのように思って見るだろうか。)

    このように、花の命の短さは無常観とが
    結びつき「哀れなり」のイメージとなる。

    嵐雪が描いた朝顔の絵は優しく、はかない
    朝顔の本情をのがさず見事に捉えている
    ので、下手でも味わいのある絵だと褒め
    た画賛句です。
 
 注・・嵐雪=服部氏。蕉門十哲の一人。1707年没。

作者・・芭蕉=ばしよう。1644~1695。

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杜鵑・池上秀畝画

ほとどぎす 一声なきて 片岡の 杜の梢を 今ぞ過ぐるなる

                     藤原為世

(ほとどぎす ひとこえなきて かたおかの もりのこずえを
 いまぞすぐるなる)

意味・・待っていたほとどぎすがやっと一声鳴いて、片岡の
    森の梢の上を、今飛び過ぎていく。

    早朝の明るくなる頃、木の梢も美しく見え始め、鳥
    の鳴き声も聞きたいところと心待ちしている時に、
    一羽鳴きながら飛んで行った情景です。

作者・・藤原為世=ふじわらのためよ。1250~1338。正二
    位権大納言。

出典・・続後拾遺和歌集。

水なしと 聞きてふりにし 勝間田の 池あらたむる 
五月雨の頃 
                  西行

(みずなしと ききてふりにし かつまたの いけあら
 たむる さみだれのころ)

意味・・水が無いということで長い年月言いつがれて
    きた勝間田の池でも、五月雨が降り続き、池
    の様子もすっかり変ってしまったものだ。

    五月雨が降りようやっと池に水が貯まった喜
    びを歌っています。

 注・・ふりにし=「古り」と「降り」の掛詞。
    勝間田=奈良県生駒郡。
        あらたむる=新しくなる。

作者・・作者・・西行=さいぎょう。1118~1191。
    俗名佐藤義清。下北面の武士として鳥羽院に
    仕える。1140年23歳で財力がありながら出
    家。出家後京の東山・嵯峨のあたりを転々と
    する。陸奥の旅行も行い30歳頃高野山に庵を
    結び仏者として修行する。

出典・・家集「山家集・225」。

1520


みじか夜や 伏見の戸ぼそ 淀の窓    
                     蕪村

(みじかよや ふしみのとぼそ よどのまど)

意味・・夏の夜も明けきらぬうちに、伏見から淀川
    下りの一番船に乗る。伏見の町はまだ固く
    戸を閉ざして静まりかえっていたが、淀堤
    にさしかかる頃には夜も明け、両岸の商家
    は窓を開け放ち、忙しそうに往来する人の
    姿も見られる。

    京都伏見の京橋は大阪の八軒屋との間を往
    複する三十石船の発着点であった。伏見か
    ら淀の小橋まで5.5キロの下りで、淀の
    両岸には商家が軒を連ねていた。
    
 注・・戸ぼそ=家の雨戸。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。
    南宗画も池大雅とともに大家。

出典・・おうふう「蕪村全句集」。
 

48


夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづこに
月やどるらむ      
                  清原深養父

(なつのよは まだよいながら あけぬるを くもの
 いずこに つきやどるらん)

意味・・今夜はまだ宵の口だと思っていたら
    そのまま空が明るくなってしまったが
    これでは月が西に沈む暇があるまい。
    進退窮まった月は、どの雲に宿を借り
    ているのだろうか。

    暮れたと思うとすぐに明るくなる夏
    の夜の短い事を誇張したものです。

 注・・宵=夜に入って間もないころ。

作者・・清原深養父=きよはらのふかやぶ。
    九世紀末が十世紀前半の人。清少納言
    の曾祖父。

出典・・古今和歌集・166、百人一首・36。

1132


五月雨や 大河を前に 家二軒     
                    蕪村

(さみだれや たいがをまえに いえにけん)

意味・・何日も降り続く五月雨のために、水かさを
    増して荒れ狂うように流れる大河。
    対岸には、今にも押し流されそうな二軒の
    小さな家が寄り添うように建っている。

 注・・五月雨=陰暦五月に降る雨。梅雨。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。
    南宗画も池大雅とともに大家。

出典・・おうふう社「蕪村全句集」。

1134


香具山の 尾上にたちて みわたせば 大和国原
早苗とるなり            
                  上田秋成

(かぐやまの おのえにたちて みわたせば やまと
 くにはら さなえとるなり)

意味・・香具山の山頂に立って見渡すと、大和の
    平原では田植え仕度に苗代田から早苗を
    取っている。

    初夏の風物を大きく伸びやかに描いています。

    万葉集の「大和には群れ山あれどとりよろふ
    天の香具山、登り立ち国見をすれば国原は煙
    立ち立つ」を念頭に置いています。

    (大和の国には多くの山々があるけれど、
     中でも立派に整っているのは天の香具山だ。
     その山に登り国見をしてみると、国の広い
     所には炊飯の煙があちらこちらに立って、
     民が安泰な生活をしている)      

 注・・香具山=奈良県桜井市にある山。
    尾上(おのえ)=山の上。
    早苗取る=田植えする。

作者・・上田秋成。

夏草や 兵どもが 夢の跡      芭蕉

(なつくさや つわものどもが ゆめのあと) 

意味・・夏草がぼうぼうと茂っている。その夏草を見て
    いると、ここがかって武士たちが栄華を求め戦
    った場所とは思われず、ひとときの夢のあとの
    ように感じられることだ。

    杜甫の「国破れて山河あり、城春にして草木深し」
    を念頭に詠んでいます。
    私たちの今日も、後世の人たちから見たら「兵ども
    が夢の跡」なのかも知れません。

 注・・夢の跡=その昔、武士たちが栄華を求め戦ったこと
     も今となっては夢のようなものだ。人生のはかな
     さと、天地の悠久(ゆうきゅう)さへの感慨が、こ
     の言葉に秘められています。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。

出典・・おくの細道。
    

1161
                 復元された氷室

日のあたる 夢をよく見る 氷室守     
                     武玉川

(ひのあたる ゆめをよくみる ひむろもり)

意味・・氷を管理している私は、氷室に日が当たりだすと
    あわてまわっている夢をよくみるものだ。

    氷り屋さんも冷蔵庫もなかった昔は、氷を夏まで
    貯蔵しておくために、特別の室を作っていました。
    この氷室を守るのが氷室守です。
    盗人番に日当たりの番。夏の日差しが強くて解け
    ましたでは済ませられない氷室守です。

 注・・氷室=氷を夏まで貯える部屋や穴。

作者・・武玉川=むたまがわ。1761年没。江戸時代の俳諧師。


石切の 鑿冷したる 清水かな   
                  蕪村

(いしきりの のみひやしたる しみずかな)

意味・・日盛りの石切り場で、石切人夫が
    石を切り出していたが、夏の暑さ
    にのみも熱くなったので、かたわ
    らの清水にのみをつけて冷やして
    いる。いかにも涼しげそうだ。

    一仕事をすると、のみも熱くなる
    し汗もかく。一息入れるためのみ
    を冷やすのである。
 
作者・・蕪村=ぶそん。1716~1783。南宗
    画の大家。
 
出典・・あうふ社「蕪村全句集」。

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♪ さみだれの注ぐ山田に 早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ ♪

これは、唱歌で有名な「夏は来ぬ」です。

田植えしている早乙女の姿や、整然と苗が植えられた
田を見ると、やぁ今年も、若葉が薫るすかすがしい夏
が来たなぁと感じます。

この歌の原歌は。

さみだれの 注ぐ山田に 賎の女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる
                 佐々木信綱

(さみだれの そそぐやまだに しずのめが もすそ
 ぬらして たまなえううる)

この和歌は、田植えをする賎の女の姿を詠んでいます。
では、賎の女がどんな気持で田植えをしているのでし
ょうか。その中にこんな人もいます。

離別れたる 身を踏込んで 田植えかな  
                     蕪村

(さられたる みをふんごんで たうえかな)

意味・・田植えは共同作業である。離別された女が
    先夫の家の田植えの手伝いにやって来た。
    恥ずかしいやら、憎いやら、複雑な気持を
    押し切って泥田の中に足を踏み入れて、田
    植えをしている。

    あわれな農村の女性の姿を描いていますが、
    屈辱に耐え抜いて生きていく素晴しい女性
    の姿として詠んだ句です。

   注・・さみだれ=五月雨、梅雨のこと。
    山田=山間の田。
    賎(しず)の女=身分のいやしい女。
    玉苗=金銀玉に匹敵する大切な苗。
 注・・離別(さら)れたる=去られたる、離婚さ
     れて。
    踏込(ふんご)んで=踏み入れて。

作者・・佐々木信綱=ささきのぶつな。1872~1963。
    東京帝大古典科卒。文化勲章受章。
作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。池
    大雅とともに南宗画の大家。

0717


討ちはたす梵論つれ立ちて夏野かな 
                    蕪村

(うちはたす ぼろつれだちて なつのかな)

意味・・長い年月探し求めていた虚無僧姿の敵にめぐ
    り合い、果し合いの場所を決めて、二人連れ
    合って夏野を歩いて行く。

    徒然草115段の文章を句に詠んだものです。
    115段の内容です。
    宿河原(神奈川県川崎)という場所で、虚無僧
    (乞食僧)が多数集合して九品の念仏を唱(と)
    なえているところに、外から虚無僧が入って
    来て「もしや、この中にいろおし坊と申す梵
    論(ぼろ)僧はおられますまいか」と尋ねたの
    で、群集の中から「いろおしは私です。そう
    言われるのはどなたですか」と答えた。する
    と虚無僧は「自分はしら梵字(ぼじ)という者
    です。私の師匠の某という人が、東国でいろ
    おしという人に殺されたと聞いていますから、
    そのいろおしという人に会って仇を取りたい
    と尋ねております」と言う。すると、いろお
    しは「よくも尋ねて来た。たしかにそんなこ
    とがありました。ここでお相手をいたしては、
    道場を汚すおそれがありますから前の川原で
    立会いましょう。どうぞ、皆の衆、どちらへ
    にも加勢はご無用に願いたい。多人数の死傷
    があっては仏事の妨害になりましようから」
    と言い切って、二人で川原に出かけ合って、
    思う存分に刺し傷つけ合って、両人とも死ん
    だ。

    虚無僧は世を捨てたようでいて、我執が強く、
    仏道(平和)を願っているようでありながら、
    闘争(戦争)にふけっている。生を軽んじて生
    死に拘泥しない事を皮肉った徒然草・蕪村で
    す。
 
 注・・討ちはたす=一刻後に討ちはたすべき相手。
    梵論(ぼろ)=虚無僧(こむそう)のこと。髪は
     そらず、僧衣はつけず、深い編み笠をかぶ
     り、袈裟をかけ、尺八を吹いてまわる人。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。1716~1783。池
    大雅とともに南宗画でも有名。

出典・・句集「新花摘」(河出書房新社「日本の古典「
    蕪村・良寛・一茶」)


夕立の 雲もかからず 留守の空  
                  向井去来

(ゆうだちの くももかからず るすのそら)

補注・・京都に妻を残し、長崎の里に帰る時の句。

意味・・今は夏だ。いつ夕立が来るか分からない。
    夕立が来る時は、必ず青い空がにわかに
    曇って入道雲がモクモクトと湧き立って
    来る。しかし、今見る京都には雲一つ無
    い。空よ、どうかいつまでもこのままで
    いてほしい。留守の家族に激しい風や雨
    を降らせるようなことのないようにして
    ほしい。

    夕立は自然現象だけではない。女所帯に
    襲いかかるいろいろな悪漢や暴行などに
    襲われないように、去来はひたすら祈り
    続けた。

作者・・向井去来=むかいきょらい。1651~17
    04。芭蕉門下10哲の一人。野沢凡兆と
   「猿蓑」を編む。
 

1060


五月闇 みじかき夜半の うたた寝に 花橘の

袖に涼しき
                   慈円 

(さつきやみ みじかきよわの うたたねに はなたちばなの
 そでにすずしき)

意味・・五月闇の短い夜、うたた寝をしていると、花橘の
    香りが、袖のあたりに涼しく漂ってくることだ。

    湿ったむさ苦しい暑さの中で熟睡も出来ない夜半、
    さわやかな涼しい風が花橘の香りを乗せて来た。

 注・・五月闇=五月雨(さみだれ。梅雨)の降り続く頃の
     暗闇。この時分は夜が短かい。

作者・・慈円=じえん。1154~1225。大僧正。天台座主。

出典・・新古今和歌集・242。

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消えはつる 時しなければ 越路なる 白山の名は 
雪にぞありける
                  凡河内みつね

(きえはつる ときしなければ こしじなる しろやま
  のなは ゆきにぞありける)

意味・・あの山頂の雪が消えてなくなる時がないので、
    それで越国(こしのくに)の白山という名前は、
    雪にちなんだものだったということが分かった。
 
    夏になった今でも雪で真っ白になっている山を
    見て「あれが山の名前の起源だったのか」と大
    げさに感心してみせたものです。

 注・・時しなければ=「し」は上接の語を強調する副
     詞。時といものがないのだから。
    越路=越国(現在の越前・越後)の方面。
    白山(しろやま)=石川・岐阜の県境の白山(は
     くさん)2702m。富士山・立山と並び三大
     名山といわれている。

作者・・凡河内みつね=古今集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・414。

1196



道のべの 清水流るる 柳陰 しばしとてこそ 
立ち止まりつれ             
                                         西行

(みちのべの しみずながるる やなぎかげ しばしとてこそ
 たちどまりつれ)

意味・・清水が流れている道のほとりに大きな柳の樹陰。
    ほんの少し休もうと立ち止まったのに、涼しさに
    つい長居をしてしまった。

    この柳のことを知って、芭蕉は次の句を詠んで
    います。

田一枚 植えて立ち去る 柳かな       芭蕉

意味・・この柳のところで西行の昔をしのびながら休んで
    いると、いつのまにか前の田では早乙女がもう田
    を一枚植えてしまった。自分も意外に時を過ごし
    たのに驚いて、この柳の陰を立ち去ったことだ

作者・・西行=さいぎょう。11181190。俗名佐藤義清。
    下北面の武士として鳥羽院に仕える。114023
    で財力がありながら出家。出家後京の東山・嵯峨
    のあたりを転々とする。陸奥の旅行も行い30歳頃
    高野山に庵を結び 仏者として修行する。

出典・・新古今和歌集・262

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急ぎ行く足に踏まるる露の珠

                新渡戸稲造 

(いそぎゆく あしにふまるる つゆのたま)

意味・・時は夏、庭に生い茂った草に朝露が降りて、朝日に
    輝いて珠のように輝いている。生垣の外では人々が
    忙しげに往来している。あの人達は朝早くから活動
    しているのに、自分はむなしく病床にて何の役にも
    立たぬ。いま露の珠のような自分も、彼らに踏み倒
    されるばかりである。置く露の果敢(かかん)なさが
    ひしひしと胸にきざまれて無念でたまらない。

    35歳の時、医師から全快まで7,8年かかる、いっさい
    仕事をしないように言われて、札幌農学校に辞表を
    提出。「男盛りでこれが無念でならない。夜中にこれ
    を思い枕を濡らした」と述懐して詠んだ句です。

作者・・新渡戸稲造=にとべいなぞう。1862~1933。札幌農
     学校卒。札幌農学校教授。農学者、教育者。著書
     「武士道」「修養」。

出典・・修養。


 消えはつる 時しなければ 越路なる 白山の名は 
雪にぞありける
                  凡河内みつね

(きえはつる ときしなければ こしじなる しろやま
  のなは ゆきにぞありける)

意味・・あの山頂の雪が消えてなくなる時がないので、
    それで越国(こしのくに)の白山という名前は、
    雪にちなんだものだったということが分かった。
 
    夏になった今でも雪で真っ白になっている山を
    見て「あれが山の名前の起源だったのか」と大
    げさに感心してみせたものです。

 注・・時しなければ=「し」は上接の語を強調する副
     詞。時といものがないのだから。
    越路=越国(現在の越前・越後)の方面。
    白山(しろやま)=石川・岐阜の県境の白山(は
     くさん)2702m。富士山・立山と並び三大
     名山といわれている。

作者・・凡河内みつね=古今集の撰者の一人。

出典・・古今和歌集・414


真菰刈る 淀の沢水 深けれど 底まで月の

影は澄みけり 
               大江匡房

(まこもかる よどのさわみず ふかけれど そこまで
 つきの かげはすみけり)

意味・・ちょうど五月雨の時季で真菰を刈る淀川の沢の
    水は水量を増して深いけれど、その水の底まで
    月の光が美しく澄んでいることだ。

    増水した沢水に美しく月が映っているのを見て
    感動した歌です。

 注・・真菰=「淀」の枕詞。稲科の多年草。水辺に生
     え、葉・茎でむしろを編む。五月頃刈る。
    淀=京都市伏見区淀。木津川・宇治川・桂川の
     合流点で水郷だった。
    月の影=月の光。

作者・・大江匡房=おうえのまさふさ。1040~1111。
    大学者として知られる。

出典・・新古今和歌集・229。


都だに 寂しかりしを 雲はれぬ 吉野の奥の

五月雨のころ
                後醍醐天皇
           
(みやこだに さびしかりしを くもはれぬ よしのの
 おくの さみだれのころ)

意味・・五月雨の季節は都にいてさえも、陰鬱で寂しい
    思いがするのに、まして山里深く、雲が晴れる
    間もない吉野の奥にいる我が身には、いっそう
    侘(わび)しさが募るばかりだ。

    五月雨の陰鬱さを詠んでいるが、南北朝の対立、
    武家と朝廷との対立、そしてその後に都を追わ
    れた天皇の侘しい心を詠んでいます。

作者・・後醍醐天皇=ごだいごてんのう。1288~1339。
    96代の天皇(南朝)。北条氏(鎌倉幕府)を打倒し
    建武の新政を成立するが足利尊氏(室町幕府)に
    より吉野に追われた。

出典・・新葉和歌集・217。

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