名歌名句鑑賞のblog

心に残る名言、名歌・名句鑑賞。

2020年09月

秋風や しらきの弓に 弦はらん   
                   向井去来

(あきかぜや しらきのゆみに つるはらん)

意味・・さわやかで身のひきしまるような秋風の吹く日、白木の
    弓に弦を張って、的に向ってみようか。

     あれほど酷かった猛暑も、四季の巡りを得て秋風の吹く頃
    となった。
さあ、武道稽古を始めよう。白衣に着替えて道
          場に端座し、弓に弦をはる。
秋風と、白木と、弓と、そし
         て白衣とが、これから稽古に臨むという清々しくも緊張した
         心持ちによってさわやかにさせられる。


 注・・しらきの弓=白木の弓、木地を削ったまま、塗りや飾りを
          していない弓。

作者・・向井去来=むかいきょらい。1651~1704。芭蕉の門人。
    蕉風の代表句集「猿蓑」を編纂。

この秋は何で年よる雲に鳥
                    芭蕉

(このあきは なんでとしよる くもにとり)

前書・・旅懐

意味・・今年の秋はどうしてこんなに身の衰えを感ずる
    のだろう。なんだか急に年を取ったかのような
    気がする。秋の空を寂しく眺めやると、遠く雲
    に飛ぶ鳥の姿が目に入るが、その頼りなげな様
    は、あたかも旅に病む私の心のようで、旅の愁
    いをひときわ深く感ずることである。

    芭蕉の健康のすぐれなかった頃、秋の空に浮か
    んでいる白い雲、その雲のかなたに遠く飛んで
    いる鳥を詠んだものです。
   
    夏が去り、秋が来る、雲が行き、木の葉が移り、
    子供の背丈が伸び、そうして我が身のうちには、
    否定しょうもなく老いが沈殿してゆくのが感じ
    られる。(上田三四二のことばより)
    上の句を詠んだ三か月後に芭蕉は亡くなってい
    ます。

 注・・雲に鳥=雁が北へ帰る時雲に見えつ隠れつする
     姿で寂しさが表現される春の季語となってい
     る。ここでは鳥は雁ではなく普通の鳥である
     が寂しさは引き継いでいる。
    
作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

出典・・笈日記(小学館「松尾芭蕉集」
   

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                              静岡県・堂ヶ島

雁なきて 菊の花さく 秋はあれど 春の海辺に 
住吉の浜

                 在原業平

(かりなきて きくのはなさく あきはあれど はるの
 うみべに すみよしのはま)

意味・・雁が鳴き菊の花が咲きかおる秋もよいが、この
    住吉の浜の春の海辺は実に住み良いすてきな浜
      だ。

 注・・秋はあれど=秋は面白くあれど、の意
    住吉の浜=大阪市住吉区の浜。地名に「住み良
     い浜辺」を掛けている。

作者・・在原業平=ありわらのなりひら。825~880。
    美濃権守・従四位上。六歌仙の一人。

出典・・伊勢物語・68段。

1215

山守よ 斧のをと高く ひびく也 みねの紅葉は

よきてきらせよ

                源経信
               
(やまもりよ おののおとたかく ひびくなり みねの
 もみじは よきてきらせよ)

意味・・山守よ斧の音が高く響いている。山の峰の
    紅葉は避けて手斧で切るようにさせよ。

    紅葉の美しさを間接的に詠んだ歌です。

 注・・山守=山を守る人。山の番人。
    よきて=「避きて」と「斧(よき)」を掛ける。

作者・・源経信=みなもとのつねのぶ。1016~1097。
    正二位大納言。

出典・・金葉和歌集・249。



秋さらば 見つつ偲べと 妹が植えし やどのなでしこ
咲きにけるかも          
                  大伴家持

(あきさらば みつつしのべと いもがうえし やどのなでしこ
 さきにけるかも)

意味・・秋になったら、花を見ながらいつも私を偲んで
    下さいね、と妻が植えた庭のなでしこ、そのな
    でしこの花が咲きはじめた。

    亡くなった妻を偲んで詠んだ歌です。

 注・・妹=男性から女性を親しんでいう語。妻、恋人。
    やど=宿、屋敷内の庭。

作者・・大伴家持=おおとものやかもち。718~785。従
    三位中納言。大納言・大友旅人の子。

出典・・万葉集・464。
  

5185


初雁の なきこそ渡れ 世の中の 人の心の 
あきし憂ければ   
                紀貫之
   
(はつかりの なきこそわたれ よのなかの ひとのこころの
 あきしうければ)

意味・・初雁が鳴いて空を飛ぶのは秋が悲しいからなのだが、
    私が泣き暮らすのは世の人の心に飽きられたことを
    悲しむからなのだ。 

   ここでは、「飽きられる」ことは失恋を指している
   のだか、その他に人に飽きられることについて、
   漱石は次のようにいっています。

  「知に働けば角が立つ、情に棹させば流される
   意地を通せば窮屈だ、とかくこの世はすみにくい」

  (理性のみで事にあたると、他人との間に角が立って
   気まずくなり、かといって、感情に走って行動する
   と、とんでもないことになってしまう。だからとい
   って、自分の意地を押し通すと窮屈な思いがする。
   人間社会は住みずらいものだ)

注・・初雁=「なき」の枕詞。
   なきこそ渡れ=空を鳴いて渡る事と、歌の作者
    が泣き暮らす事を掛けている。
   あき=「秋」と「飽き」とを掛ける。
   憂し=悲しい。

作者・・紀貫之=きのつらゆき。866~945。古今和歌集
    の撰者。

出典・・古今和歌集・804。

    

1198


夕月夜 をぐらの山に 鳴く鹿の 声のうちにや 
秋は暮るらむ  
                紀貫之

(ゆうづきよ おぐらのやまに なくしかの こえの
 うちにや 秋はくるらん)

意味・・夕月夜を思わせるなんとなく暗い小倉山で鹿が
    寂しそうに鳴いている。あの声とともに秋は暮
    れて行くのだろうか。

    秋の終わりの寂しさを鹿の声で表わしています。

 注・・夕月夜=小倉山の枕詞。
    小倉山=京都大堰川の北にあり嵐山と対をなす。
    声のうちにや=声のしているうちに。
 
作者・・紀貫之=きのつらゆき。868~945。従五位・
    土佐守。古今和歌集の選者。古今集の仮名序を
    著す。
 
出典・・古今和歌集・312。
 

1141 (2)


露涼し 形あるもの 皆生ける 
                村上鬼城

(つゆすずし かたちあるもの みないける)

意味・・玉となった朝露をみていると清々しい気持に
    なってくる。この露を得た草花は生き生きと
    している。虫たちも嬉しげに露を吸っている
    ことだろう。

    露の一滴が、縁の下の力持ちとなって、草や
    花、虫たち、そればかりでなく万物を生かして
    いるのだと感動して詠んでいます。

吹く風の 涼しくもあるか おのづから 山の蝉鳴きて
秋は来にけり
                   源実朝
            
(ふくかぜの すずしくもあるか おのずから やまの
 せみなきて あきはきにけり)




意味・・吹く風は涼しいことだ。いつのまにか山の蝉が
    鳴き出して秋はやってきたのだなあ。


 注・・おのづから=自然と、いつしかと。


作者・・源実朝=みなもとのさねとも。1192~1219。
    28歳。鎌倉幕府三代将軍。
    
出典・・金槐和歌集・189。


むざんやな甲の下のきりぎりす
                  芭蕉

(むざんやな かぶとのしたの きりぎりす)

詞書・・多田神社の宝物としてある実盛の甲を拝して、
    憐れになったので。

意味・・多田神社の宝物となっている実盛の甲を見て
    いると往時のことが思われるが、実盛が白髪
    を染めこの甲を被(かぶ)って勇戦して討たれ
    たことは、なんといたわしいことであろう。
    しかし、それも過ぎ去った昔話となって今は
    その甲の下で、秋の哀れを誘うようにきりぎ
    りすが鳴くのみである。

    実盛が被って頭が入っていた甲だが、討たれ
    空洞になっている。無惨やなあという思いの
    中に、きりぎりすが挽歌を歌っている。
    はかない人生をさらにはかなくする戦争を好
    む人間の愚かさを見つめています。
    
 注・・多田神社=石川県小松市本折町の多田八幡。
    実盛=斉藤別当実盛。1183年平家が源義仲
     を討つ折、73歳で白髪を染めて平家に従
     軍して討ち死にした。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1695。

出典・・奥の細道。

行く水の 渕瀬ならねど あすか風 きのふにかはる
秋は来にけり
                 頓阿法師
            
(ゆくみずの ふちせならねど あすかかぜ きのうに
 かわる あきはきにけり)

意味・・流れ行く水の渕瀬ではないけれど、飛鳥の里に
    吹く風は昨日に変り、今日は秋が訪れたよ。

    飛鳥川は昨日まで渕であった所が今日は浅瀬に
    なっているように、移り変わりが早い。このよ
    うに昨日まで夏の風が吹いていたのに、今日は
    もう秋風に変わっている。

    参考歌です。
   「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の渕ぞ今日は
    瀬になる」

 注・・あすか=飛鳥の里。奈良朝以前に都が置かれた
     所。

作者・・頓阿法師=とんあほうし。1289~1372。二条
    為世に師事。同時代の浄弁・兼好・慶雲ととも
    に和歌四天王と称された。

出典・・頓阿法師詠(岩波書店「中世和歌集・室町篇」)

参考歌です。

世の中は なにか常なる 飛鳥川 昨日の渕ぞ
今日は瀬になる         
                詠み人しらず
             
(よのなかは なにかつねなる あすかがわ きのう
 のふちぞ けふはせになる)

意味・・この世の中は、いったい何が変わらないのか、
    不変のものは何一つない。飛鳥川の流れも昨
    日渕であった所が今日はもう浅瀬に変わって
    いる。

    世の中の移り変わりが速いことを詠んだもの
    です。

 注・・あすか川=奈良県飛鳥を流れる川。明日を掛
     けている。
    渕=川の深く淀んでいる所。
    瀬=川の浅く流れの早い所。

出典・・ 古今和歌集・933。

家ありや 芒の中の 夕けむり  
                  童門冬二

(いえありや すすきのなかの ゆうけむり)

意味・・家の周りは通常、田や畑であって作物が
    育っているはずなのだが、ここは薄に被
    われて生活をしていることだ。

    作句の動機、状況。
    貧困の部落のため、堤の修理もままなら
    ず、そのために毎年水害が発生するよう
    になった。その結果投げやりになって本
    業をやめて、遊びや博打も含めて他の余
    業に精を出すようになった。その結果、
    田や畑は薄や茅(かや)が茂るようになっ
    だ。村人の心に薄が生い茂っているのだ。
    心の中の薄や茅を刈り取らねばと言った
    ものです。
       
 注・・夕けむり=夕煙、夕食の炊飯の煙。
 
作者・・童門冬二=どうもんふゆじ。1927~ 。
    東海大学付属中学卒。歴史小説家。
 
出典・・童門冬二著「小説・内藤丈草」。

秋風に あへず散りぬる もみじ葉の ゆくへさだめぬ 
我ぞ悲しき                 
                  詠み人知らず

(あきかぜに あえずちりぬる もみじばの ゆくえ
 さだめぬ われぞかなしき) 

意味・・秋風に耐え切らないで散っていった紅葉の行方が
    知れなくなるように、行く末のわからないわが身
      が悲しいことです。
 
   「うらぶれた状態」すなわち、落ちぶれたり不幸に
    あったりして、みじめになった状態を詠んでいま
    す。
 
    フランスの詩人、ヴェルレーヌの詩「落葉」、
    参考です。
              上田敏訳詩・清川妙詩訳

    秋の日の     秋風が     
    ギオロンの    バイオリンの音のように
    ためいきの    すすりなき
    身にしみて
    ひたぶるに 
    うら悲し

    鐘の音に     鐘が鳴ると、
    胸ふたぎ     私は思い出に
    色かへて     胸ふさがれる。
    涙ぐむ
    過ぎし日の
    おもひでや

    げにわれは    そのとき    
    うらぶれて    私の心も萎(しお)れて
    ここかしこ    さながら散り落ちる
    さだめなく    落葉のように・・・。 
    とび散らふ
    落葉かな 


    儚(はかな)い人生。昨日まで幸せに暮らしていた
    のに、辛いことが降りかかって来たら、これから
    どうしたものか。今までのように幸せに生きて行
    きたい、と思う。
 
    ある日、知人が話していた。
    子育てが終わりやっと楽になるかと思っていると、
    義母の介護の生活が始まった。長年介護の生活が
    続き、その後義母は亡くなった。ホットしたとこ
    ろ今度は主人が,脳梗塞で倒れて介護に追われて
    いると。
 
    鐘の音に 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ
    過ぎし日の おもひでや
    げにわれは うらぶれて ここかしこ
    さだめなく とび散ろう 落ち葉かな  

 注・・あへず=耐え切れない。
    ギオロン=バイオリン
              げに=実に。現に、まのあたりに。
    うらぶれて=落ちぶれたり不幸にあったりして、
     みじめなありさまになること。悲しみに沈む
     こと。しおれる。
 
出典・・古今和歌集・286。 

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             不運な人生でしたが花を咲かせました。
                     諦めたら終わりですよ!

さりともと 思ふ心も 虫の音も よはりはてぬる
秋のくれかな
                藤原俊成 

(さりともと おもうこころも むしのねも よわり
 はてぬる あきのくれかな)

意味・・「そうであっても」と期待する心も、虫の鳴
    く声もすっかり衰弱してしまった秋の暮れで
    ある。

    不運な人生の自覚はあるが、いくら何でも少
            しはいい事(叙位任官など)もあるだろうと期
    待していたのだが・・、悔しいがその気力も
    衰えてしまった。

 注・・さりともと=然りとも。そうであっても。
    虫の音=生命力・気力をたとえている。
            叙位=五位以上の位を貰うこと。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1114~12
    04。正三位・皇太后宮大夫。「千載和歌集」
    を撰出する。1176年出家。

出典・・千載和歌集・333。

1185


茨老い すすき痩せ 萩おぼつかな    
                                                                  蕪村

(いばらおい すすきやせ はぎおぼつかな)

意味・・夏の花である茨も秋になるとすっかり老残の姿と
    なっている。そのかたわらにある薄はやせてまだ
    穂をだしていない。萩もようやく花をつけはじめ
    たばかりで、なんともわびしい庭の眺めである。

    蕪村の家庭的境遇を詠んだものです。
    茨を蕪村自身、すすきを老妻に、萩を未婚の一人
    娘に例えています。
    蕪村は長く病を患い生活は困窮していた。

作者・・蕪村=ぶそん。1716~1784。

わがせこが 解き洗ひ衣も 縫はなくに 荻の葉そよぎ
秋風の吹く
                   土岐筑波子 

(わがせこが ときあらいごろもも ぬわなくに おぎのは
 そよぎ あきかぜのふく)

意味・・夫の、解いて洗い直しをした袷(あわせ)の着物も
    まだ縫ってないのに、もう荻の葉がそよいで秋風
    が吹いている。

    夏は暑いので単衣(ひとえごろも)だから、春に着
    た袷は夏になると一度解いて洗い張りをし、縫い
    直して、また着ていた。夏の間に縫い直しをして
    おこうと思っていたが、もう荻の葉がそよぐ秋が
    やってきた。

    江戸時代の生活の一端をうかがい知る事が出来ま
    す。

 注・・袷(あわせ)=裏のついている着物。

作者・・土岐筑波子=ときつくばこ。生没年未詳、江戸中期
     の歌人。賀茂真渕に師事。

出典・・筑波子歌集。

0957


秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 

七種の花 (その一)          
                山上憶良
            
(あきののに さきたるはなを およびおり かき
 かぞうれば ななくさのはな)

意味・・秋の野に咲いている花を、指折り数えて見ると、
    七種の花がある。

萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし
また藤袴 朝顔の花 (その二)
                山上憶良
             
(はぎのはな おばなくずばな なでしこのはな おみなえし
 またふじばかま あさがおのはな)

意味・・萩の花、尾花、葛の花、なでしこの花、おみなえし
    それから藤袴、朝顔の花。

    秋の七草は山上憶良が選定して今に至っている。

 注・・朝顔=今の桔梗のこと。

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。遣唐使。
    筑前守。

出典・・万葉集・1537、1538。


 真帆ひきて よせ来る舟に 月照れり 楽しくぞあらむ
その舟人は
                  田安宗武 

(まほひきて よせくるふねに つきてれり たのしく
 ぞあらん そのふなびとは)

意味・・帆をいっぱいに広げてこちらに近づいて来る
    舟に、月が美しく照っている。楽しいことで
    あろう。その舟に乗る人らは。

 注・・真帆=帆をいっぱいに広げること。

作者・・田安宗武=たやすむねたけ。1715~1771。
    別称は悠然院(ゆうぜんいん)。八代将軍吉宗
    の二男。松平定信の父。
     
出典・・家集「天降言・あまふりごと」。

0781
                                         
浮世絵・月岡芳年

名月や 畳の上に 松の影
                    其角

(めいげつや たたみのうえに まつのかげ)

意味・・中秋の名月がさやかに照りわたり、庭前の松は
    月光を斜めにあびてその影をくっきりと畳の上
    に落としている。

    畳の上に伸びる松の影。夏は縁側までだったの
    が、秋が深まったことで、それが室内にまで射
    し込むようになった、月に句の重心があるのだ
    が、それは純粋な美の世界、むしろその月が作
    った影にこそ秋がある、第2の重心にこそ感動
    があるように思われる。

作者・・其角=きかく。宝井其角。1661~1707。

出典・・小学館「近世俳句俳文集」。

初瀬山 夕越え暮れて 宿問へば 三輪の檜原に 
秋風ぞ吹く   
                禅性法師

(はつせやま ゆうごえくれて やどとえば みわの
 ひばらに あきかぜぞふく)

意味・・初瀬山を夕方越えていくうちに日が暮れて、宿
    を探していると、三輪の檜原に秋風が吹くこと
    だ。

    初瀬の長谷寺に参詣した道で詠んだ歌です。
    「夕方」、「檜原」、「秋風」とでわびしさ、
    心細さを深く表現しています。

 注・・三輪=奈良県桜井市穴師のあたり。
    檜原=檜(ひのき)の生えている原。

作者・・禅性法師= ぜんしょうほうし。生没年未詳。
    仁和時の僧。

出典・・新古今和歌集・966。

家ありや 芒の中の 夕けむり  
                  童門冬二

(いえありや すすきのなかの ゆうけむり)

意味・・家の周りは通常、田や畑であって作物が
    育っているはずなのだが、ここは薄に被
    われて生活をしていることだ。

    作句の動機、状況。
    貧困の部落のため、堤の修理もままなら
    ず、そのために毎年水害が発生するよう
    になった。その結果投げやりになって本
    業をやめて、遊びや博打も含めて他の余
    業に精を出すようになった。その結果、
    田や畑は薄や茅(かや)が茂るようになっ
    だ。村人の心に薄が生い茂っているのだ。
    心の中の薄や茅を刈り取らねばと言った
    ものです。
       
 注・・夕けむり=夕煙、夕食の炊飯の煙。
 
作者・・童門冬二=どうもんふゆじ。1927~ 。
    東海大学付属中学卒。歴史小説家。
 
出典・・童門冬二著「小説・内藤丈草」。 

3052

 
雲はみな はらひ果てたる 秋風を 松に残して 
月を見るかな 
                 藤原良経

(くもはみな はらいはてたる あきかぜを まつに
 のこして つきをみるかな)

意味・・雲をすっかり払ってしまった秋風を、松
    に残るさわやかな音として聞きつつ、澄
    んだ月を見ることだ。

    雲を吹き払い、松に音だけ残している秋
    風の中で、澄んだ月を見るさわやかさを
    詠んでいます。

    なお、裏の意味として、
    徳川家康は武士が読書する目的は身を正
    しくせんがためであると言って、源義経
    が滅んだのは歌道に暗く「雲はみなはら 
    ひ果てたる秋風を・・」の古歌の意味も
    知らずに、身上(しんしょう)をつぶして
    平家退治に没頭したためと言っています。

    戦いに勝つにはそれなりの作戦が必要
    である。敵の内情をさぐり内部の分裂
    を策し、敵の勢力を分散させる一方、
    我が陣営は一人一人の志気を高め一つ
    にまとめて戦いに望むことが大切だ。
    勝てる体勢になるまで待って戦いを仕
    掛ける。そうしたならば勝利して心地
    良い気分を味わえるものだ。

 注・・雲は=「雲をば」の意で主語ではない。
    雲はみな=敵、辛いこと。
    はらひはてたる=取り除く。
    秋風を=味方。軍資金とか有能な部下、
     作戦、知識・・などなど。
    松に残して=味方が育つまで忍耐強く
     待つ。
    月を見る=勝って心地よい気分になる。

作者・・藤原良経=ふじわらのよしつね。1168
    ~1206。38歳。従一位摂政太政大臣。
    新古今の仮名序を執筆。

出典・・新古今和歌集・418。

秋の野に 宿りはすべし をみなえし 名をむつましみ
旅ならなくに      
                  藤原敏行

女郎花 おほかる野辺に 宿りせば あやなくあたの
名をやたちなむ       
                 小野美材

(あきののに やどりはすべし おみなえし なをむつましみ
 たびならなくに)
(おみなえし おおかるのべに やどりせば あやなくあたの
 なをやたちなん)

意味(1)・・旅で仮寝をするならば秋の野でするのがよい。
     そこにはきれいな女郎花が生えていて、「おみな」
     とい名を聞いただけでなごやかになり、まるで家庭
     にいるようで、旅にあるような気がしなくなるのだ。

 注・・・むつまし=仲がよい。親密だ。
     旅にあらなくに=旅をしている気がしない。

意味(2)・・女という名を持つ女郎花がたくさんある野辺で
     仮寝などしょうものなら、いわれもまなく浮気を
     したという評判を立てられてしまうだろう。

     女郎花を女性として擬人化して機知的に詠んだ歌
     です。
     古今集にはこの二首が並べられ、後の歌は前の歌
     の反歌の形をとっています。

 注・・あやなく=無用な事であるが。
    あたの名=浮気したという評判。

作者・・藤原敏行=ふじわらとしゆき。平安時代前期の貴族。
    小野美材=おののよしき。

出典・・古今和歌集・228・229。平安時代前期の貴族。

八重葎 しげる宿の さびしきに 人こそ見えね 
秋は来にけり   
                恵慶法師 
             
(やえむぐら しげるやどの さびしきに ひとこそみえね
 あきはきにけり)

意味・・幾重にも葎(むぐら)の生い茂る寂しいこの家に、
    人は誰も訪れて来ないが、秋だけはいつもと変わ
    らずにやって来た。

    詞書に「河原院にて、荒れた宿に秋の心を詠む」
    とあります。
    河原院は、源融(とおる)左大臣が建てた雅(みやび)
    やかで豪華な邸宅であったが、融の没後は荒れ果て
    てしまった。
    華やかな過去を思い出しながら、時の推移と共に現
    在の荒廃した姿の哀れさを詠んでいます。

 注・・八重葎=幾重にも茂った葎。「葎」はつる性の草。
     荒廃した邸(やしき)などに茂る。

作者・・恵慶法師=えぎょうほうし。生没年・経歴未詳。10
    世紀後半の人。

出典・・拾遺和歌集・140、百人一首・47。

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小倉山 峰たちならし 鳴く鹿の 経にけむ秋を 
知る人ぞなき
                紀貫之

ぐらやま ねたちならし くしかの にけん
 あきを  るひとぞなき)

意味・・小倉山の峰を歩きまわって鹿が鳴いているが、
    今まで幾秋あのようにして過ごして来たので
    あろうか。随分長いことであろうが知ってい
    る人はいない。

    鳴く鹿の声は寂しそうに聞こえます。
    秋を寂しく過ごしてきた鹿の気持ちを知る人
    はいないと。

    「をみなへし・女郎花」の字を各句の最初に
    置いて詠んだ歌です。

 注・・たちならし=立ち慣れし。立って慣れ親しむ、
     歩きまわる。
    経にけむ秋=何年の秋を経たであろうか。

作者・・紀貫之=きのつらゆき。868~945。土佐の守。
    古今和歌集を選出。

出典・・古今和歌集・439。

秋風に独り立ちたる姿かな    
                                          良寛

(あきかぜに ひとりたちたる すがたかな)

意味・・秋の風が肌寒く吹いている。その風に吹かれて
    独り立ち尽くして、どのように生きるべきか、
    また世の人の幸せのためには、どうしたら良い
    かと、思い悩んでいると、心までが冷たく感じ
    られる。これが私に与えられた姿なのかなあ。

    この秋風には一種の悲愴感が感じられます。
    例えば、芭蕉の次の二つの句のように。

    「野ざらしを心に風のしむ身かな」

    (道に行き倒れて白骨を野辺にさらしてもと、
    覚悟をきめて、旅を出で立つ身に、ひとしお
    秋風が身にしみることだ)

    「塚も動け我が泣く声は秋の風」
          (意味は下記参照)     

    生き難い人々の苦しみに思いを寄せて、しきり
    に涙を流す良寛です。

 注・・独り立ちたる姿=この姿には、哀愁・寂寞・孤独
     悩みといった種々の感情が投影されている。

作者・・良寛=1758~1831。

参考句です。

塚も動け我が泣く声は秋の風   
                                           芭蕉

(つかもうごけ わがなくこえは あきのかぜ)

意味・・自分の来るのを待ちこがれていて死んだという
    一笑(俳人の名)の墓に詣でると、あたりは落莫
    (らくばく)たる秋風が吹き過ぎるのみである。
    私は悲しみに耐えず、声を上げて泣いたが、その
    私の泣く声は、秋風となって、塚を吹いてゆく。
    塚よ、この秋風に、我が無限の慟哭がこもって
    いるのだ。塚よ、秋風に吹かれている塚よ、我が
    深い哀悼の心に感じてくれよ。


 いつも見る 月ぞと思へど 秋の夜は いかなるかげを
そふるなるらん    
                  藤原長能

(いつもみる つきぞとおもえど あきのよは いかなる
 かげを そうるなるらん)

意味・・いつもながめる見馴れた月だと思うけれど
    秋の夜の月を格別に思うのはいったいどう
    いう光を加えるからなのだろうか。

    加えるのはどんな光なのか・・。
    そのうちの一つ二つです。「照り添う優しさ」
    と「昔からの世の姿を写す鏡」です。
    (下記の「荒城の月」2番4番の歌詞参照) 

 注・・かげ=影、光。
    
作者・・藤原長能=ふじわらのながとう。ながよしとも。
    生没未詳。伊賀守。能因法師は彼の弟子。中古
    三十六歌仙の一人。

出典・・後拾遺和歌集・256。

参考です。
  「荒城の月」   土井晩翠詞 
         https://youtu.be/_WX7eXiPGtE


   

   








1. 春高楼の 花の宴
  めぐる盃 かげさして
  千代の松が枝 わけいでし
  むかしの光 いまいずこ

2. 秋陣営の 霜の色
  鳴き行く雁の 数見せて
  植うる剣に 照りそいし
  昔の光 いまいずこ

3. 今荒城の 夜半の月
  かわらぬ光 誰がためぞ
  垣にのこるは ただかつら
  松に歌うは ただ嵐

4. 天上影は かわらねど
  栄枯は移る 世の姿
  写さんとてか 今もなお
  嗚呼荒城の 夜半の月


手に取れば 袖さへにほふ 女郎花 この白露に 

散らまく惜しも
                 詠み人知らず
             
(てにとれば そでさえにおう おみなえし この
 しらつゆに ちらまくおしも)

意味・・手に取ると袖まで染まる色美しい女郎花なのに、
    この白露のために散るのがはや今から惜しまれる。

 注・・女郎花=秋の七草の一。黄色い花が粟に似ているから粟花」
  の別名がある。

出典・・万葉集・2115。

手を折りて うち数ふれば この秋も すでに半ばを
過ぎにけらしも           
                  良寛

(てをおりて うちかぞうれば このあきも すでになかばを
 すぎにけらしも)

意味・・(病気になって、人の家にお世話になっていたが)指を
     折って数えて見ると今年の秋も、もう半分過ぎてしま
     ったようだ。(早く治って元気になりたいものだ)

     病気になって人のお世話になっている時に詠んだ歌
     です。

     --------------------------------------------
     もういくつ寝るとお正月・・・
     今年も、指折り数えると残り少なくなりました。

作者・・良寛=良寛。1758~1831。

出典・・谷川敏朗「良寛全歌集」。     

菊の香やならには古き仏達   
                    芭蕉

(きくのかや ならにはふるき ほとけたち)

意味・・昨日から古都奈良に来て、古い仏像を拝んで
    まわった。おりしも今日は重陽(ちょうよう)
    で、菊の節句日である。家々には菊が飾られ
    町は菊の香りに満ちている。奥床しい古都の
    奈良よ。慕(した)わしい古い仏達よ。

    重陽の日(菊の節句・陰暦9月9日)に奈良で詠
    んだ句です。菊の香と奈良の古仏の優雅さと
    上品さを詠んでいます。

作者・・松尾芭蕉=1644~1694。「奥の細道」、
   「笈(おい)の小文」など。
 
出典・・小学館「日本古典文学全集・松尾芭蕉集」。

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