名歌名句鑑賞のblog

心に残る名言、名歌・名句鑑賞。

2021年01月

0171


さまざまの 70年すごし 今は見る 最もうつくしき
汝を柩に
                  土屋文明

(さまざまの 70ねんすごし いまはみる もっとも
 うつくしき なをひつぎに)

意味・・睦(むつ)み合うばかりでなく憎しみを抱いた
    日々もあった。それでも支え合って共に暮ら
    して来た70年。70年間で最も美しい妻は、今
    は柩に横たわっている。

    妻に心からありがとうの感謝の気持ちです。

作者・・土屋文明=つちやぶんめい。1890~1990。
    100才。東大哲学科卒。明治大学教授。

出典・・歌集「青南後集」(栗本京子著「短歌を楽し
    む」)

1864

 
荒し男の いをさ手挟み 向ひ立ち かなるましずみ
出でてぞ我が来る
                 防人

(あらしおの いおさだはさみ むかいたち かなる
 ましずみ いでてぞあがくる)

意味・・勇ましい男子が矢を手に挟んで狙いを定め、
    ぴたりと引く手を止めるように、妻が諦めて
    て鎮まるのを見はからって、私は防人にと出
    かけて来ました。

    諦めきれない妻がとうとう観念したので、防
    人として旅立ちが出来たが、辛さは私も同じ
    事だ・・。

 注・・荒し男=粗暴な男、勇ましい男。
    いをさ=狩の矢。
    かなるましずみ=か鳴る間静み。騒がしい音
     を静める。

出典・・万葉集・4430。


玉藻刈る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島が崎に

船近づきぬ
                柿本人麻呂 

(たまもかる みぬめをすぎて なつくさの のじま
 がさきに ふねちかづきぬ)

意味・・海藻を刈り取っている摂津の敏馬の辺の海を
    通り過ぎて、船はいよいよ夏草の生い茂って
    いる淡路の野島が崎に近づいた。

    船旅による旅情を詠んでいます。
    敏馬は藻を刈る生活感のある風景であったが
     上陸する野島が埼は夏草が生い茂る荒地で宿
     があるのだろうか。

 注・・玉藻刈る=敏馬の枕詞。
    敏馬(みぬめ)=神戸市の灘区の海岸。
    夏草の=野島の枕詞。
    野島が崎=淡路島の淡路町の崎。

作者・・柿本人麻呂=かきのもとのひとまろ。生没年
     未詳。710年ごろ没。万葉集の代表的歌人。

出典・・万葉集・250。

0105

 
汐ならで 朝なゆふなに 汲む水も 辛き世なりと
濡らす袖かな
                    橘曙覧

(しおならで あさなゆうなに くむみずも からき
 よなりと ぬらすそでかな)

詞書・・隠棲してからはその日暮らしの貧しい生活を
    している所に、日照りが続き井戸の水が枯れ
    たので、さらに遠くに水を汲みに行くように
    なった。それでも辛い顔をしない妻をあわれ
    に思って詠んだ歌。

意味・・風流な汐汲みではなくて、生活のために毎朝
    毎晩遠くまで、妻は水を汲みに行くが、その
    姿を見ると辛い世だと嘆かわしくなり、涙で
    袖を濡らすことだ。

    同じ水汲みでも、庭の草花にやるための水で
    はなく、井戸が枯れて飲み水に困っている時
    の水汲みです。日照りだけではなく、自分が
    隠棲しているので妻にいっそう哀れな思いを
    させている辛さを詠んでいます。

 注・・汐ならで=愛嬌がない、愛らしくない。よい
     ころ合いではない。海水、干潮ではない。
    朝なゆふな=毎朝毎晩。
    隠棲=俗世間をさけて静かに暮らすこと。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く
    父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。

0550
                農家へ買い出し

 晴着二枚と 替へたるいもは 宝なり 麦とかゆにして
いく日つながむ
                  金井規容子

(はれぎにまいと かえたるいもは たからなり むぎと
 かゆにして いくひつながん)

意味・・買出しに行って農家で晴着二枚と芋とを交換して
    来た。この芋は貴重なもので我が家の宝物である。
    この芋を麦のお粥にして食べて行くのだが、何日
    食いつなげるであろうか。

    昭和18年頃詠んだ歌です。当時、農家では闇値だ
    けでは米や野菜を売ってくれず、晴着や石鹸、地
    下足袋などと交換しなければならなかった。

    昭和18年頃の時代の背景です。
    戦争突入とともに経済体制は統制され、国民生活
    は破壊された。主食を自給出来ない日本は、外米
    の輸入にたよっていたが、戦局の悪化に伴い、外
    米の輸入が止まり、食料不足をまねいた。当然米
    飯中心の食事は維持出来ず、さまざまな代用食に
    頼らざるをえなくなった。

作者・・金井規容子=かないきよこ。生没年未詳。昭和
     19年2月号の「アララギ」に載る。

出典・・歌集誌「アララギ・19・2」(島田修二編「昭和
     万葉集秀歌)。

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もの思ふと 隠らひ居りて 今日みれば 春日の山は
色づきにけり
                   詠み人しらず

(ものもうと こもらいおりて きょうみれば かすがの
 やまは いろづきにけり)

意味・・恋の思いにふさぎこんで、ずっと家に引きこもっ
    ていたが、今日久しぶりに見ると、春日の山はも
    う見事に色づいていた。

    童謡「浦島太郎」参考です。

    
https://youtu.be/zehRgpGLDZ4

    昔々 浦島は 助けた亀に 連れられて
    竜宮城へ 来てみれば 絵にもかけない美しさ

    乙姫様の ご馳走に 鯛やヒラメの舞い踊り
    ただ珍しく 面白く 月日のたつのも 夢の中 
    ・・・・・ ・・・
    ・・・・・ ・・・
    心細さに 蓋とれば あけて悔しき 玉手箱
    中からぱっと 白煙 たちまち太郎は お爺さん

    一所懸命何かに打ち込んでいる時は、時間が止ま
    っている事を言っています。一つの事に集中して
    いる人には時間が止まっているが、その間も時は
    流れています。

    家に居て物思いをしている人には、自分だけの止
    まった時間を持っているが、外の季節は外の季節、
    世俗の時間は世俗の時間としてとうとうと流れて
    います。

    何かに集中して、充実していると、ああ、時間の
    経つのを忘れてしまったというような事があります。
    人生の時間というものは一定に流れるものではない。
    止まった時間、充実した時間を持つ事は素晴らしい
    事だ。

    表記の歌の作者は、どのような物思いで時間を止
    めていたのだろうか。         

 注・・物思(も)ふ=「ものおもふ」の約。思い悩む、物 
     思いにふける。恋に思い悩むとは限らない。

出典・・万葉集・2199

1929

 
うつそみの 命さみしも この山に 百世の後の 
樹を植うるわれは
                 中村憲吉 

(うつそみの いのちさみしも このやまに ももよの
 あとの きをううるわれは)

意味・・都会生活を夢見ていた私であるが、村に帰って
    家業を継ぐ事になった。夢が叶えられず寂しい
    思いである。今、こうして桧の植林をしている
    が、自分が死んではるか後に、大木になってい
    るだろう桧はその時、私をどう見るであろうか。

    大阪で新聞記者をしていたが、家督を相続する
    ために故郷の広島府布野村に帰った頃に詠んだ
    歌です。都会生活に憧れていた心情の歌です。

    45歳で亡くなった時、葬儀に出た土屋文明は次
    の歌を詠んでいます。

   「いそしみて 君が植えたる 桧の木山 春日てる
    中に 立ちつつ思ふ」   土屋文明

 注・・うつそみ=うつせみと同じ。現世。命の枕詞。
    命さみしも=命寂しも。都会で生活する希望を
     絶たれた嘆きが込められている。
    この山=この歌では、生家の持ち山。
    百世の後の樹=桧のこと。自分が死んだはるか
     後に大木となっているだろう木々。

作者・・中村憲吉=なかむらけんきち。1889~1934。
     東京大学卒業。新聞記者、後に家業の酒造業
     を継ぐ。「アララギ」に入会。

出典・・歌集「軽電集以後」。


奥山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり

物な思ひそ
                 貴船明神

(おくやまに たぎりておつる たきつせの たまちる
 ばかり ものなおもいそ)

意味・・奥山で湧き返って流れ落ちるこの貴船川の激流
    が玉となって散るように、そんなに魂が散り失
    せるほど、物を思うのではないのだよ。

    和泉式部が男に振られた時、貴船神社に参詣し、
    みたらし川に蛍が飛んでいるのを見て詠んだ歌
    の返歌です。

   「物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる
    たまかとぞみる」   (後拾遺和歌集)

    (私があまりにも物を思っているので、貴船の清
    流の上を沢山飛んでいる蛍も、私の体からふらふ
    ら抜け出た魂のように思われます)

    貴船明神は「あまり思いわずらわないで、身をいた
    わりなさい」と慰めています。

 注・・滝つ瀬=わきかえり流れる急流。
    玉ちるばかり=激流のしぶきの玉が散るように。
     魂が散り失せるように。
    
    沢=水たまりの草の生えた低地をいうが、「多・
     さわ(たくさん)」を掛ける。
    あくがれ=憧がれ。上の空になる。

作者・・貴船明神=京都市左京区貴船町にある貴船神社の
     神・祭主。

出典・・後拾遺和歌集・1165。

1017


ふるさとの 花のにほひや まさるらん しづ心なく

帰る雁かな
                   藤原長実母
                          
(ふるさとの はなのにおいや まさるらん しずこころ
 なく かえるかりかな)

意味・・故郷の花の美しさの方が、ここの花より勝って
    いるのだろうか。落ち着いた心もなく帰って行
    く雁だなあ。

    花の咲く春に雁が北に帰る、その理由を考えて
    詠んでいます。

 注・・しづ心=静心。静かな心、落ち着いた気持ち。

作者・・藤原長実母=ふじわらのながさねのはは。生没
    年未詳。長実は権中納言で1133年没。

出典・・詞花和歌集・33。


嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる 
わが涙かな
                 西行法師 
        
(なげけとて つきやわものを おもわする かこち
 がおなる わがなみだかな)

意味・・嘆けといって月が私に物思いをさせるわけで
    ないのに。さも月のせいにするかのように流
    れる涙だなあ。

    秋の月は次の歌に歌われるように、悲哀の季
    節として、和歌の世界では一般的にとらえら
    れています。
   「月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが
    身一つの 秋にはあらねど」(古今集・193) 
    なお、物思いは、かなわぬ恋の嘆き悲しみで
    す。

 注・・やは=反語の意を表す。・・・だろうか、いや
     ・・ではない。
    かこち顔=他のせいにするような顔つき。

作者・・西行法師=さいぎょうほうし。1118~1190。
     「山家集」。

出典・・千載和歌集・929、百人一首・86。

1096


夜な夜なを 夢に入りくる 花苑の 花さはにありて
ことごとく白し             
                  明石海人
 
(よなよなを ゆめにいりくる はなぞのの はなさわに
 ありて ことごとくしろし)

意味・・花園の夢を毎夜見るこの頃だか、その花園には色
    々の花が沢山咲いている。でもその花には色は無
    くことごとく白一色だ。

    癩病を患っている作者は失明が近づいている。そ
    の時期に詠んだ歌です。

 注・・さはに=多はに。たくさん。

作者・・明石海人=あかしかいじん。1901~1939。沼津商
    業卒。会社勤めの後、癩病のため長島愛生園に入
    り、生涯ここで過ごす。失明した後咽喉を切開し
    喉で呼吸をする。その後歌集「白描」を出版。

出典・・荒波力「よみがえる万葉歌人・明石海人」

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黄葉の 散りゆくなへに 玉梓の 使を見れば 
逢ひし日思ほゆ  
                柿本人麻呂

(もみじばの ちりゆくなえに たまづさの つかいを
 みれば あいしひおもおゆ)

意味・・紅葉がはかなく散ってゆく折りしも、文使いが
    通うのを見ると、愛(いと)しい妻に逢った日の
    ことがあれこれ思い出される。

    妻が亡くなった後、文使いを見て、生前の楽し
    かった思い出を追憶した歌です。
    なお、人麻呂は亡き妻と離れて住んでいたので、
    文使いに託して手紙のやり取りをしていました。

 注・・黄葉の=過ぎるの枕詞。
    なへに=とともに。その時に。
    玉梓(たまづさ)=使者。手紙。


作者・・柿本人麻呂かきのもとひとまろ。生没未詳。
    奈良遷都(710)頃の人。舎人(とねり・官の名称)
    として草壁皇子、高市皇子に仕えた。

出典・・万葉集・・209。

1056


野に生ふる 草にも物を 言はせばや 涙もあらむ

歌もあるらむ
                  与謝野鉄幹
            
(のにおうる くさにもものを いわせばや なみだも
 あらん うたもあるらん)

意味・・野に生えている、物を言わない草にも出来れば
    物を言わせたいものだ。そうすれば草にも涙も
    あるだろうし、歌もあるであろう。

    野の草は表情を外に出さないが、その身になる
    と、物に感じて流す涙を持つだろうし、感動し
    て歌いだしたくなる歌を内にたたえているであ
    ろう、と想像して詠んでいます。

 注・・言はせばや=言わせたいものだ。「ばや」は
     希望を表す助詞。

作者・・与謝野鉄幹=よさのてっかん。1873~1935。
    与謝野晶子と共に浪漫主義文学の運動の中心に
    なる。

出典・・歌集「東西南北」。

1155


亀の尾の 山の岩根を とめて落つる 滝の白玉 
千代の数かも
                  紀惟岳

(かめのおの やまのいわねを とめておつる たきのしらたま
 ちよのかずかも)

意味・・亀尾山の岩間を伝わって流れ落ちる滝の白玉は何と
    美しいのでしょう。その無数の白玉がすなわちあなた
    様の長いお年の数なのです。

    おば君の40の祝賀が催された時、女性の長寿を祝っ
    て詠んだ歌です。

 注・・亀の尾の山=亀山のこと。京都区右京区にある山。
    岩根=岩の下の方。
    とめて=求めて、ここでは「伝わって」の意。
    千代の数=非常に長い年月の数。

作者・・紀惟岳=きのこれおか。伝未詳。

出典・・古今和歌集・350。

0938



この日ごろ 桜ゆたかに 咲きおりて 風ふくときに

幹あざやけし
                   鈴木幸輔 

(このひごろ さくらゆたかに さきおりて かぜふく
 ときに みきあざやけし)

意味・・この数日、桜は豊かに咲きみちて、時折風が
    吹き立つと、枝はゆれ花は明るく騒ぎたつ。
    この時、その桜の太々とした幹が、眼にあざ
    やかに見えることだ。

    詞書は、終戦の年過ぎて昭和二十一年の春、
    妻と二人の子供が疎開先の私の生家である
    秋田の田舎より帰る、となっています。
    
    満開の桜を仰ぐ時、人はその花の美しさに
    のみ心を捉えられるが、折からの風に枝が
    ゆれる時、その枝と咲き満ちる花を大地か
    らしっかり支えている幹の存在に気づく事
    はまれである。
    作者は、桜の幹、充実した生命のあり処に
    心を向けている。終戦と、家族を迎え得た
    夫として父としての安らぎがあったであろ
    う。新しい出発を期する者の気概のこもる
    歌です。

作者・・鈴木幸輔=すずきこうすけ。1911~1980。
     秋田県立中学卒。小学校代用教員。北原
     白秋に師事。

出典・・歌集「長風」。


おもひいづる ときはの山の 岩躑躅 いはねばこそあれ
恋しきものを        
                  平貞文

(おもいいずる ときはのやまの いわつつじ いわねば
 こそあれ こいしきものを)

意味・・常盤の山のいわつつじという言葉のように、
    言わないからこそあの人に分かってもらえ
    ない苦しみなのだが、思い出した時のあの
    人のことが恋しいことだ。

    貴女が好きですと言いたい。でも私はそう
    思ってないよと言われるのが恐ろしい。
    それで、口に出してこそ言わないが、本当
    は恋しくてたまらい。

 注・・おもひいづるとき=あなたのことを思い出
     す時。
    ときはの山=京都市太秦(うずまさ)にある
     山。今の常磐谷。「思い出づる時」を掛
     ける。
    岩躑躅=岩の間に生えるつつじ。「言はね
     ば」を導く序詞。

作者・・平貞文=たいらのさだふみ。871~923。

出典・・古今和歌集・495。

5795

 
うつせみの 命を惜しみ 波に濡れ 伊良虞の島の 
玉藻刈り食む
                 麻続王 

(うつせみの いのちをおしみ なみにぬれ いらごの
 しまの たまもかりはむ)

意味・・本当に私は命が惜しくて、波に濡れながら伊良湖
    の島で藻を刈って食べている、あさましい事だ。

    伊良湖の島に流された時に詠んだ歌です。
    麻続王(おみのおおきみ)は海人なのか、いや海人
    でもないのに伊良湖の島の藻を刈っていらっしる。
    おいたわしい事だ、と人々が哀しんでいるのに答
    えて詠んだものです。

 注・・うつせみの=「命」に掛かる枕詞。
    伊良虞=愛知県渥美半島伊良湖岬。伊勢の海に
     浮かぶ島の一つとみたもの。
    玉藻=藻の美称、「たま」は接頭語。

作者・・麻続王=おみのおおきみ。伝未詳。壬申の乱
    (672年)頃の人。

出典・・万葉集・24。


 
1865

言にして いへば遥けし 眼にしみて 昨日かも見し
ことと思ふに
                                             窪田空穂

(ことにして いえばはるけし めにしみて きのう
 かもみし こととおもうに )

意味・・言葉にして言えば、それは遠い以前のことで
    ある。今もはっきりと眼に残っていて、つい
    昨日見たのでもあるかのように思われるのに。

    遥か昔の事であっても、今もはっきりと思い
    出す事があると詠んでいます。
 
 注・・言にして=言葉、口に出して。
    眼にしみて=はっきりと眼に残っていて。
    昨日かも見し=「か」は疑問を「も」は詠嘆
     を表す。つい昨日見たような。

作者・・窪田空穂=くぼたうつほ。1877~1967。早稲
    田大学卒。早稲田大学教授。

0773


岡崎の 月見に来ませ 都人 かどの畑芋
煮てまつらなむ
                             太田垣蓮月尼

(おかざきの つきみにきませ みやこびと かどの
はたいも にてまつらなん

意味・・忙しく立ち振る舞っている都の人よ。一緒に
    月見をして風流を楽しみませんか。薄を活け
    団子と芋も飾り付けて、ここ岡崎で待ってい
    ますよ。

 注・・岡崎=京都市左京区岡崎。東山の上に出る月
     が見られる。
    かどの畑芋=門の近くの畑で作った芋。月見
     に供える里芋。
           まつらなむ=奉らなむ。さしあげましょう。
     名月へのお供え物として捧げましょう、の
     意も含まれる。

作者・・太田垣蓮月尼=おおたがきれんげつに。1791
    ~1875。

出典・・歌集「海人の刈り藻」(山路平四郎篇「和歌鑑
    賞辞典」)

1761

 
虫明の 瀬戸のあけぼの 見るをりぞ 都のことも 
忘られにける       
                  平忠盛
               
(むしあけの せとのあけぼの みるおりぞ みやこの
 ことも わすられにける)

意味・・この虫明の瀬戸の曙の美しい景色を見る時こそ、
    都を離れ悲しいと思い続けて来たことも、自然
    に忘れてしまうことだ。

    備前守として任地に下った時の都を恋しく思う
    気持ちを詠んだ歌です。

 注・・虫明=岡山県邑久郡虫明町の瀬戸内の要港。
     備前国の歌枕。

作者・・平忠盛=たいらのただもり。1096~1153。平
    清盛の父。正四位上。平家全盛の基礎を築く。

出典・・玉葉和歌集


植えしとき 花まちどほに ありし菊 移ろふ秋に
あはむとや見し         
                  大江千里

(うえしとき はなまちどおに ありしきく うつろう
 あきに あわんとやみし)

意味・・かって植えた時には、花の咲くのが待ち遠しくて
    しかたがなかった菊であるが、それがしだいに成
    長し花が咲き色が変わりかける事が、こんなに早
    く実現しょうとは誰が思った事であろうか。    

    植えた菊が花を咲かせ、枯れて行く月日の経過が
    早いのに驚いています。

 注・・花まちどほに=花が咲くのが待ち遠しい。
    移ろふ秋=青葉が黄葉となり枯れて落葉となって
     ゆく秋。
    あはむとや見し=会うと思ったであろうか、いや
     そうとは思えない。「や」は反語。

作者・・大江千里= おおえのちさと。生没年未詳。901年

    中務小丞。


出典・・古今和歌集・271。

伏見山 松の陰より 見わたせば 明くる田の面に
秋風ぞ吹く
                藤原俊成
              
(ふしみやま まつのかげより みわたせば あくる
 たのもに あきかぜぞふく)

意味・・伏見山の木陰から見渡すと、夜の明ける田の
    面に、秋風が吹いている。

    夜のほのぼのと明け行く一面の稲田の稲をさ
    わやかになびかせて吹く秋風の情景を詠んで
    います。

 注・・伏見=京都市伏見区。「伏」に「臥し」を掛
     ける。
    明くる=夜が明ける。

作者・・藤原俊成=ふじわらのとしなり。1013~1104。
    非参議正三位皇太后宮大夫。「千載集和歌集」
    の撰者。

出典・・新古今和歌集・291。


三日月の また有明に なりぬるや うきよにめぐる
ためしなるらん    
                 藤原教長

(みかづきの またありあけに なりぬるや うきよに
 めぐる ためしなるらん)

意味・・三日月が再び有明月となったが、こうして
    夜々に廻り廻る月が、人が憂き世に輪廻す
    る証しなのだろうか。


    人の世の栄落を月の満ち欠けに譬えています。

    栄えていても油断していると落ちぶれるし、
    落ちぶれていても努力精進していればまた

    栄えるものだ、と詠んでいます。

 注・・有明=夜明け近くまで出ている月。
    うきよ=憂き世。つらい世の中。
    めぐる=廻る。月が空を廻るの意と、人の
     生き続ける意を掛ける。輪廻する。
    ためし=試し。証拠、手本。

作者・・藤原教長=ふじわらののりなが。1109~ 。

    参議正四位下。保元の乱で常陸(むつ)に配
    流された。

出典・・詞花和歌集・351。

 


静かなる 暁ごとに 見渡せば まだ深き夜の

夢ぞ悲しき
               式子内親王 

(しずかなる あかつきごとに みわたせば まだふかき
 よの ゆめぞかなしき)

意味・・静かな暁ごとに自分自身を省みているが、まだ
    深い迷妄(めいもう)の夢の中にある事が悲しい。

    詞書は「晨朝入諸定(じんじょうにゅうしよじょ
    う)の心」で朝の勤行で禅定に入る意味で、心を
    統一して静寂な境地に入る事。

    朝、静かに瞑想すると、迷妄、すなわち悩みがあ
    ったり、小さな事に執着心を持っいるので不幸を
    感じる、この事は悲しい事だ。

 注・・見渡せば=広く全体を見る。ここでは自分の心の
     中を見渡すこと。
    深き夜=無明の長夜の深い闇。ここでは、煩悩に
     苦しみ迷いの中にいること。     
    晨朝(じんじょう)=早朝、午前六時頃。
    入諸定(にゅうしょじょう)=禅定に入る意で、心
     を統一し、静寂な境に入ること。

作者・・式子内親王=しょくしないしんのう。?~1201。
     53歳位い。後白河院の第三皇女。斎院(神様に
     奉仕する未婚の女性)を11年間勤め41歳で出家、
     53歳で亡くなるまで独身。

出典・・ 新古今和歌集・1970。        


奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと
人に知らせん
                 後鳥羽院 

(おくやまの おどろがしたも ふみわけて みちある
 よぞと ひとにしらせん)

意味・・奥山の藪の中を踏み分けて行って、どのよう
    な所にも道がある世だと、人に知らせよう。

 注・・おどろ=茨など低木の茂るさま、藪。
    道ある世=「道があるよ」を掛ける。希望・
     楽しみのある道。

作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。1192年に
     源頼朝が鎌倉に幕府を開いた時の天皇。承久
     の乱で倒幕を企てて破れ、隠岐に流された。

出典・・新古今・1633。

0611

薬のむ ことを忘れて、
ひさしぶりに、
母にしかられしを うれしと思へる。
                     石川啄木

(くすりのむ ことをわすれて ひさしぶりに ははに
 しかれしを うれしとおもえる)

意味・・病のための薬をつい飲み忘れていると、薬を飲ま
    ねばと母親が私を叱ってくれた。大人になって、
    こうして母親にしかられるのは久しぶりのことだ
    が、親子の絆(きずな)、母親の深い情愛を感じ、
    母に叱られたことが嬉しいとさえ思われたことだ。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。26歳。 
    盛岡尋常中学校中退。与謝野夫妻に師事するため
    に上京。新聞の校正係などの職につく。

出典・・哀しき玩具。


 旅人よゆくて野ざらし知るやいさ
                 太宰治

(たびびとよ ゆくてのざらし しるやいさ)

意味・・旅をしょうとする人よ。荒野を旅する
    には、野ざらしになる事も覚悟が出来
    ているのだろなあ。旅とはそれほども
    厳しいものだぞ。

    「野ざらし」とは野山で行き倒れとなり
    風雨にさらされた白骨のこと。
    作者も、行く先不明な荒野を旅する文学
    者として、死の覚悟をもって取り組む事
    を誓った句です。
 
    参考です。
    芭蕉が旅をする時の心構えの句です。

    野ざらしを心に風のしむ身かな
          (意味は下記参照)
          
注・・いさ=さあ知っているか、と語意を強め
     て問いかけた言葉。  

作者・・太宰治=だざいおさむ。1909~1948。
     東大文学部退学。小説家。玉川上水
     で自殺。「斜陽」「人間失格」。  

出典・・村上護「今朝の一句」。

参考句です。

野ざらしを心に風のしむ身かな
                 芭蕉
            
意味・・旅の途中で野たれ死にして野ざらしの白骨
    になることも覚悟して、いざ旅立とうとす
    ると、折からの秋風が冷たく心の中に深く
    しみ込み、何とも心細い我が身であること
    だ。  

    遠い旅立ちにあたっての心構えを詠んでい
    ます。

 注・・野ざらし=されこうべ、野にさらされたもの。

作者・・芭蕉=1644~1694。

出典・・のざらし紀行。

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 
天の橋立
            小式部内侍
            
(おおえやま いくののみちの とおければ まだふみもみず
 あまのはしだて)

意味・・大江山を越え、生野を通って行く丹後への道のりは
    遠いので、まだ天の橋立の地を踏んだこともなく、
    また、母からの手紙も見ていません。

    詞書きに詠作事情が書かれています。
    母の和泉式部が丹後国(京都府北部)へ赴いていた頃、
    作者が歌合に召されることになった。そこへ藤原定
    頼がやってきて、「歌はどうなさいます、丹後には
    人をおやりになったでしょうか。文を持った使者は
    帰ってきませんか」などとからかった。当時、世間
    には、小式部の歌の優れているのは、母の和泉式部
    が代作をしているという噂があった。ここで小式部
    は定頼を引き止めて、この歌をたちどころに詠んで、
    母に頼っていない自分の歌才を証(あか)してみせた。    

 注・・大江山=京都市西北部にある山。
    いく野=「生野」京都府福知山市にある地名。
     「行く」を掛ける。
    ふみ=「踏み」と「文(手紙)」を掛ける。
    天橋立=丹後国与謝郡(京都市宮津市)にある名勝で
     日本三景の一つ。
    藤原定頼=995~1045。藤原公任(きんとう)の子。

作者・・小式部内侍=こしきぶのないし。1000?~1025。
    若くして死去。母は和泉式部。

出典・・金葉和歌集・550、百人一首・60。

1094


井を堀りて 今一尺で 出る水を 掘らずに出ぬと 
いう人ぞ憂き
                手島堵庵

(いをほりて いまいっしゃくで でるみずを ほらずに
 でぬと いうひとぞうき)

意味・・井戸を掘り進めて行って、水になかなかたどり
    着かない。もう水が出ないとあきらめてしまう。
    こんな時、あと一尺(30cm)掘れば出るのに頑張
    らないなんて、もったいない事だ。

    だめと思った苦しい時がまさに頑張りどころ。

作者・・手島堵庵=てじまとあん。1718~1786。心学者。
    石田梅岩に師事。

出典・・斉藤亜加里「道歌から知る美しい生き方」。


叩くとて 宿の妻戸を 開けたれば 人もこずえの

水鶏なりけり
                 詠み人しらず 

(たたくとて やどのつまどを あけたれば ひとも
 こずえの くいななりけり)

意味・・戸を叩く音がすると思って、家の戸を開けて
    みたら、待つ人が訪ねて来たのではなくて、
    梢の水鶏の鳴く声だった。

    水鶏の声を、待つ人が叩くのかと思い、期待
    外れの落胆を詠んでいます。

 注・・妻戸=開き戸。引き戸の対。
    人もこずえ=「梢」に「人も来ず」を掛ける。
    水鶏=水辺に住む鳥で、鳴き声が戸を叩く音
     に似ている。

出典・・拾遺和歌集・822。

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