名歌名句鑑賞のblog

心に残る名言、名歌・名句鑑賞。

2021年05月


水打てやせみも雀もぬるる程
                    其角

(みずうてや せみもすずめも ぬるるほど)

意味・・夏日の暑熱のため庭石も白く乾き、草木も
    あえいでいる。樹上に鳴く蝉や雀の声まで
    汗ばんだ皮膚にまといつくように響いて来
    る。涼気を呼ぶためにぞんぶんに打ち水を
    してくれ。樹石だけではなく、そこらに遊
    ぶ雀や蝉までずぶぬれになる程水をまいて
    くれ。

 注・・水打て=水をまく、打水。

作者・・其角=きかく。宝井其角。1661~1707。

出典・・小学館「近世俳句俳文集」。

8880.1

 
僧朝顔幾死にかへる法の松
                    芭蕉

(そうあさがお いくしにかえる のりのまつ)

詞書・・奈良の当麻寺に参詣すると、庭に植えられている松は
    およそ千年もたっているように見える。大きさは、荘
    子がいう「牛を隠す」というほどの大きさである。寺
    の庭に植えられた松という仏縁で、斧で切り倒される
    ことがなかったのは幸運なことである。

意味・・この寺の僧も朝顔も、今まで幾代となく死に代ったこ
    とだろう。それなのに、この松は寺の庭に植えられて
    いたという仏縁で千年の長寿を保ったのはまことに尊
    いものだ。

    荘子のいう「牛を隠す」は「櫟社(れきしゃ)の樹を見
    る。その大きさ牛を隠す」ということで、櫟(くぬぎ)
    の木は材木にならず役に立たないので人間に伐られな
    い。それで牛を隠すほどの大きな木になり寿命を全う
    することが出来る、という意味です。

    この櫟や老松のように、天から頂いた寿命を病気など
    せずに全うしたいものです。

 注・・法の松=寺の庭に生えているという仏縁の松。そのため
     千年の老松になるまで寿命が全う出来た。

作者・・芭蕉=ばしょう。1644~1694。

出典・・野ざらし紀行。

1849

隠りのみ 居ればいぶせみ 慰むと 出で立ち聞けば
来鳴くひぐらし
                 大伴家持

(こもりのみ おればいぶせみ なぐさむと いで
 たちきけば きなくひぐらし)

意味・・家にひきこもってばかりいて気が滅入るので、
    気晴らしに外に出て耳を澄ますと、もうひぐら
    しが来て鳴いている。

    作者の鬱情は、ひぐらしのもたらす気分の中に
    溶け入り、心が澄みゆくのであった。
    
 注・・いぶせみ=うっとうしい、はればれしない。
    ひぐらし=蜩。せみ科の昆虫。夏から秋の夕方
     「カナカナ」と澄んだ声で鳴く。

作者・・大伴家持=大伴家持。718~785。大伴旅人の
            長男。越中(富山)守。万葉集の編纂を行う。

出典・・万葉集・1479。

0003

散りぬべき とき知りてこそ 世の中の 花も花なれ
人も人なれ
                      細川ガラシャ

(ちりぬべき ときしりてこそ よのなかの はなも
 はななれ ひともひとなれ)

意味・・命あるものは、命が終わる時を知らなければ
    ならない。それでこそ、花は花として美しく
    輝き、人は人になれるものだ。
    
    命はもろくてはかない。だから授かった命を
    輝かそうと花も人も懸命に生きる。しかし、
    意志に反して命が終わる時が来る。その時は
    見苦しく騒いではならない。処し方によって
    人の価値が決まるのだから、と詠んだ辞世の
    歌です。
    関が原の戦いが起こり、西軍の石田光成は、
    ガラシャを人質にとろうとしますが、これを
    こばみ自決する道を選びます。自分が人質に
    なれば夫をしばる事になる、と案じたからだ
    と言われています。辞世の歌に込められた思
    いは、散り際を見定めてこそという誇りとい
    さぎよさです。しかし、彼女を死なせたのは、
    戦争という憎むべきものである事に間違いは
    ないのです。

作者・・細川ガルシャ=ほそかわがるしゃ。1563~
    1600。38歳。明智光秀の娘。熱心なキリシ
    タン。

出典・・林和清著「日本の悲しい歌100選」。


よそながら かげだに見むと 幾度か 君が門をば
すぎてけるかな
                 樋口一葉

(よそながら かげだにみんと いくたびか きみが
 かどを すぎてけるかな)

意味・・ただ顔が見たさにこらえきれなくなった夕
    べ、気づかれないようにこっそりと彼の家
    の門の前を行ったり来たりするのです。

    樋口一葉は明治五年に生まれ結核で亡くな
    ったのは明治二十九年。この時代には自由
    に生きることをはばむさまざまな制約があ
    った。一葉は家庭の事情から戸主になって
    しまったので、他家へ嫁ぐわけにはゆかな
    い身になってしまった。一葉が愛した恋人
    も兄弟を養う戸主だったので、二人は結ば
    れない仲となった。彼との結婚は出来ない
    ものの恋はあきらめることが出来ませんで
    した。

 注・・よそながら=それとなく、間接的に。
           戸主=旧民法での用語。一家の長で戸主権
     を持ち、家族を養う義務のある者。

作者・・樋口一葉=ひぐちいちよう。1872~1896。
    24歳。作家。「たけくらべ」「にごりえ」。

出典・・樋口一葉和歌集(林和清著「日本のかなしい
    歌」)
 

0318

あの頃に もう戻れない 戯れに スキップなどして
啄木想う
                槿

(あのころに もうもどれない たわむれに スキップ
 などして たくぼくおもう)

意味・・公園で幼子が遊んでいる。走ったり飛んだり、
    身軽なさまに、私もつられてスキップをした。
    ところが簡単だと思ったスキップは二歩三歩
    が出来ない。なんというざまなんだろう。
    考えて見ら70過ぎの高齢者なのである。啄木
    が詠んだ「戯れに母を背負いてそのあまり軽
    きに泣きて三歩歩まず」の背負われた母の姿
    と同じなのだ。元気の良かったあの時代に戻
    れないのだろうか。

作者・・槿=むくげ。ブログ上の名前。

出典・・ライフドアーブログ。


人皆に 見捨てられたる 床の上に わがおさな児が
眼をひらきいる
                 木下利玄

(ひとみなに みすてられたる とこのうえに わが
 おさなごが めをひらきいる)

意味・・医者にも手の打ち様が無く、もう助からないと
    言われている我が幼児は目を開いて私をじっと
    みつめている。

 注・・見捨てられ=病気が治らないと言われている。
    床の上=病床に臥して。

作者・・木下利玄=きのしたりげん。1886~1925。39
    歳。東大国文科卒。佐々木信綱に師事。

出典・・歌集「銀」(武川忠一編「短歌の鑑賞」)

0221


夕刻の 5時を報ずる オルゴール 静けし庭に
小鳥が遊ぶ
                 槿

(ゆうこくの 5じをほうずる オルゴール しずけし
 にわに ことりがあそぶ)

意味・・小鳥が数羽庭に来て何かをついばんでいる。
    あかずに見とれているとオルゴールの美しい
    音色が聞こえて来た。5時の時を告げるオル
    ゴールである。のどかに響いて来る。

    今日の仕事もあらかた終わり、一休みと庭を
    眺めてくつろいでいると小鳥がやって来た。
    気持ちが安らいで来る。そんな中、時を告げ
    る美しいオルゴールの音が聞こえて来た。
      疲れが癒される思いです。こんなささやかな
    事でも気が休まるのは嬉しい事です。

    無我夢中で働いた充実感が小鳥にオルゴール
    に託された歌です。
    
作者・・槿=むくげ。ブログ上の名前。

出典・・ライブドアーブログ。


百くまの 荒き箱根路 越えくれば こよろぎの磯に
波のよる見ゆ
                 賀茂真淵

(ももくまの あらきはこねじ こえくれば こよろぎの
 いそに なみのよるみゆ)

意味・・限りなく曲がり目のある箱根峠の道を越えて来る
    と、こよろぎの磯に波が寄せるのが見える。

    箱根峠から下界を見た景観の新鮮さを詠んでいま
    す。風景は、初めて見る時が最も印象に残ります。
    殊に、一つの風景から他の風景に変った時に強く
    感じられる。陰鬱で単調な山の景色から、明るく
    広い海の景色に移った時が印象が強い。また、き
    つい上り坂を登りきった安堵感も美しい風景にな
    って見えてきます。

 注・・百(もも)くま=百曲。「百」は限りなき数をいった
     もの、「くま」は道の曲がり目。
    こよろぎの磯=神奈川県大磯の海岸。

作者・・賀茂真淵=かものまぶち。1697~1769。本居宣長
    (もとおりのりなが)ら多数の門人を育成する。

出典・・賀茂翁家集(河出書房新社「日本の古典「蕪村・良寛・
    一茶」)

4004

 
音もせで おもひにもゆる 蛍こそ なく虫よりも
あはれなりけり     
                 源重之

(おともせで おもいにもゆる ほたるこそ なくむし
 よりも あわれけり)

意味・・声にもたてないで、ひそかに激しい「思ひ」
    という火に燃える蛍こそ、声に出して鳴く
    虫よりも、あわれが深いというものだ。

    重之自身の比喩です。

 注・・おもひにもゆる=思ひという火に燃える。
      思「ひ」に「火」を掛ける。
    あはれなりけれ=人の心を打つことであ
      る。悲しみを声に出して泣くりも、
      じっと胸に秘めて思い苦しむ方が
      いっそう人の心を打つものだ。

作者・・源重之=みなもとのしげゆき。生没年未
    詳。相模権守従五位。三十六歌仙の一人。

出典・・後拾遺和歌集・216。

1884

 
ぬばたまの 夜霧のたちて おほほしく 照れる月夜の
見れば悲しさ
                   大伴坂上郎女

(ぬばたまの よぎりのたちて おほほしく てれる
 つくよの みればかなしさ)

意味・・夜霧がたちこめておぼろに照っている月夜の光景
    を見ると、何ともうら悲しくてならない。

    心の晴れない状態を詠んでいますが、それがどん
    状態なのかは分からないが、次の歌が参考になり
    ます。

   「今は我は 死なむよ我が背 生けりとも 我による
    べしと 言うといはなくに」
             (万葉集・684 大伴坂上郎女)

   (もう私は死にます。あなた。このうえ生きていても、
    あなたの愛情は、今と同じように、私の方にはけっ
    して戻らないでしようから)

 注・・ぬばたまの=「夜」の枕詞。
    おほほし=「凡ぼ(おぼ)」を重ねた「おぼおほし」
            の約。ぼんやりしている、心が晴れない。

作者・・大伴坂上郎女=おおとものさかのうえのいらつめ。
    大伴旅人の異母妹。

出典・・万葉集・982。

8801

 
をさまれる 世にこそしけれ 松がへの ちりもつきせじ
やまとことのは
                   毛利元就

(おさまれる よにこそしけれ まつがえの ちりも
 つきせじ やまとことのは)

意味・・よくぞ、天下泰平の世の中にしたものだ。松の枝が
    末永く塵も積もらないでいつも青々としているよう
    に、いつまでも続いてほしい。そして大和言葉の歌
    も栄えてほしい。

    元就の辞世の歌です。平和な世の中になった。松が
    いつまでも青々しているようにこの泰平の世も末永
    く続いて欲しい。また、和歌は平和の世にふさわし
    いものなのでいつまでも末長く親しんで欲しい。
    そうなればも言い残すことはない。

 注・・ちりもつきせじ=「塵も付きせじ」と「尽きせじ(果
     てないの意)やまとことのは」が掛かっている。
    やまとことのは=大和言の葉。和歌。

作者・・毛利元就=もうりもとなり。1497~1571。戦国武
    将。中国地方を統一した。

出典・・宣田陽一郎著「魂をゆさぶる辞世の句」。

8522

奈古の海の 霞の間より ながむれば 入日を洗ふ
沖つ白波
                  藤原実定
 
(なこのうみの かすみのまより ながむれば いりひを
 あらう おきつしらなみ)

意味・・奈古の海にかかっている霞の隙間を通して眺
    めると沈もうとする太陽を、沖の白い波が洗
    っているように見える。

    霞が少しかかった沈もうとする太陽を望むと、
    絵画のような美しさを思う事が出来る。赤い
    大きな夕日を白い波が洗っている叙景は今日
    一日なし得た事が終わろうとする安らぎさを
    感じさせてくれる。

 注・・奈古の海=大阪市住吉区の海岸。富山県にも
     同じ名の海岸がある。


 作者・・藤原実定=ふじわらのさねさだ。1139~11
    91。正二位左大臣。定家の従弟。
 
出典・・新古今和歌集・35。

 

0574

誰もみな 殿づくりして をさまれる 淀野のあやめ
刈りぞふかまし
                  後土御門天皇

(だれもみな とのずくりして おさまれる よどのの
 あやめ かりぞふかまし)

意味・・誰もが立派なお屋敷を造営して平穏無事な
    世になって、有名な淀野の菖蒲を刈って軒
    端に挿して飾れたらいいのに。

    民の生活の幸福を願うという、帝王の歌で
    す。即位後、すぐに応仁の乱となったので、
    このような平穏な光景ははかない望みにな
    った。

 注・・殿づくり=素晴らしい御殿を造営すること。
    淀野=山城国淀付近の野。景物は「菖蒲」。
    あやめ=菖蒲。端午の節句に菖蒲を葺(ふ)
     くことには、邪気を払い長寿を祈る願い
     が込められている。
    ふかまし=葺かまし。草木を軒端にさして
     飾りたいものだ。
    応仁の乱=1467年〜1477年に京都で起き
     た戦乱。室町幕府の足利義政の後継争い
     がきっかけで、各部族の対立になり、10
     年間の争いで京都は焼野原となった。

作者・・後土御門天皇=ごつちみかどてんのう。14
    42~1500。

出典・・笠間書院「室町和歌への招待」。

0297 (2)

ゆるやかに 歩く女性の 後にいて 追いこすべきか 
しばしためらう
                 西村由佳里

(ゆるやかに あるくじょせいの あとにいて おいこす
 べきか しばしためらう)

意味・・駅に向かって急いで歩いていると女性に出くわ
    した。この速さで歩けばすぐ追い越してしまう。
    だが感じのいい人だ。一瞬迷ったが少しの間
    い越さずに遅れて後をついて歩こう。

作者・・西村由佳里=にしむらゆかり。1976~ 。立命
    館
大学大学院卒。

出典・・アメーバーブログ。

0615

濁りなき 清滝川の きよければ 底より咲くと
見ゆる藤波
                壬生忠岑

(にごりなき きよたきがわの きよければ そこより
 さくと みゆるふじなみ)

意味・・濁りのない清滝川は、清く澄み切っているので、
    川面にゆらゆらと映っている藤の花房が、まる
    で川底から咲いたかのように鮮やかに見える。

 注・・清滝川=京都右京区嵯峨を流れる川。

作者・・壬生忠岑=みぶのただみね。920年頃の歌人。
    古今の和歌集の撰者の一人。

出典・・忠岑集(樋口茂子著「三十六歌仙」)


 
あだなりと あだにはいかが 定むらん 人の心を
人は知るやは
                   大中臣能宣 

(あだなりと あだにはいかが さだむらん ひとの
 こころを ひとはしるやわ)

意味・・私に誠意がないと、いい加減にも、あなたは
    どうして決めつけたのだろうか。一体、人の
    心中を、外側から他人が見て分る事が出来よ
    うか、分るはずはない。

    意味を違えた同語の反復使用に趣向があり
    ます。   

 注・・あだ=誠実でない、いいかげんだ。
    人の心=ここでは、作者の人柄。
    人=ここでは、相手の女性。
    やは=反語の意を表す。・・であろうか、
     いや・・ではない。

作者・・大中臣能宣=おおなかとみのよしのぶ。
    921~991。伊勢神宮祭主。

出典・・拾遺和歌集・1213。

5939

 
ただひとり 吾より貧しき 友なりき 金のことにて
交り絶てり
                  土屋文明

(ただひとり われよりまずしき ともなりき かねの
 ことにて まじわりたてり)

意味・・ただ一人だけ自分よりも貧しい友であった。その
    友とも、金銭のことが原因となっていつしか友情
    を絶ってしまった。

    あの時お金を貸してやれば良かったと思う。自分
    も貧しくて貸せなかったのだが、なんとか余裕が
    出来た現在、ふとそのことが思い出される。

作者・・土屋文明=つちやぶんめい。1890~1990。東大
            卒。明治大学教授。

出典・・歌集「往還集」(短歌新聞社「土屋文明の秀歌」)


ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君もコクリコ
われも雛罌粟
                  与謝野晶子

(ああさつき ふらんすののは ひのいろす きみも
 コクリコ われも こくりこ)

意味・・ああ、美(うる)わしの五月よ、ここフランスの
    野は、見渡す限り火の色に輝くひなげし(雛罌
     粟・コクリコ)の花の真っ盛りです。今やあな
    たもその中の一本の「コクリコ」の花。私も又
    その中の一本の雛罌粟の花ですね。
    そして今、私たちは火のように赤く燃える恋を
    語らっています。

         作者の夫・寛は単身で渡欧してパリに赴いた。
    その半年後に作者・晶子は、子供と共に暮らし
    ていたが、夫恋しさのため夫に逢いに行った。
    その時詠んだ歌です。

 注・・雛罌粟(コクリコ)=芥子科の花。雛罌粟(ひな
     げし)、虞美人草、ポピーとも呼ばれる。開
     花時期は4月から6月。
作者・・与謝野晶子=よさのあきこ。1878~1942。堺
    女学校卒。与謝野鉄幹と結婚。

出典・・歌集「夏より秋へ」。


み熊野の 浦の浜木綿 百重なす 心は思へど
直に逢はぬかも
                柿本人麻呂 

(みくまのの うらのはまゆう ももえなす こころは
 もえど ただにあわぬかも)

意味・・み熊野の浦に咲く浜木綿の葉が、百重に重なって
    いるように、自分が彼女を思うこの恋の思いも、
    決して単純なものではない。積もり積もって苦し
    いばかり。だが、恋しい人には、逢うことも出来
    ない。

 注・・み熊野=「み」は接頭語。「熊野」は三重県紀伊
     半島南部のあたり。
    浜木綿=ひがん花科の常緑多年草。剣の形の葉か
     ら白い花を抜き出したように付ける。
    百重なす心=恋人のことを、ああ思い、こうも思
     い、昨日も今日も思う。その心の重なりをいう。

作者・・柿本人麻呂=生没年未詳。710年頃亡くなった万葉
     歌人。

出典・・万葉集・496。
 


かすみ行く 高嶺を出る 朝日影 さすがに春の
色を見るかな
                後鳥羽院

(かすみゆく たかねをいずる あさひかげ さすがに
 はるの いろをみるかな)

意味・・霞んでゆく高い山を出る朝日の光。都を遠く
    離れたこの隠岐の地でも、やはり春になった
    今朝は春らしい趣きを目にすることだ。

    承久の乱(1221年)によって隠岐に配流されて
    詠んだ歌で、帰京を待ち望む心情です。
    
作者・・後鳥羽院=ごとばいん。1180~1239。承久の
    乱で隠岐に配流。新古今和歌集を下命。

出典・・遠島御百首(岩波書店・中世和歌集・鎌倉篇」)


 
恋さまざま 願いの糸も 白きより 
                     蕪村

(こいさまざま ねがいのいとも しろきより)

意味・・少女たちが色さまざまの糸束を供えて、はなやかに
    七夕祭りをしている。願いの糸ももとは白い練り糸
    をさまざまに染めたものであるが、この少女たちも
    今は清純無垢であっても、やがては恋の道をたどる
    ことであろう。

 注・・願い=七夕祭には少女たちが諸芸の上達と恋の
     成就を祈るため竹竿の先に五色の糸束を飾っ
     て織姫星に供えた。

作者・・蕪村=ぶそん。与謝蕪村。17161783。池大
    雅とともに南宗画の大家

出典・・蕪村句集。

死ぬ者は すでに絶えたる わが家も あぢさい咲きて
心喪に入る 
                  富小路禎子

(しぬものは すでにたえたる わがいえも あじさい
 さきて こころもにいる)

意味・・死ぬ者はすでに死に絶えて、自分一人の私の家
    にも、他の家と同じようにあじさいの咲く季節
    はめぐって来て、私の心はあじさいに誘われて
    喪に入っていくのである。

    この世に身よりがなく、ひとりぼっちの寂しい
    身の上を詠んでいます。「すでに絶えたるわが
    家」の人々への想いに懐かしんでいます。

 注・・喪=人の死後、その親族がある日数、公の場所
     に出ないこと。

作者・・富小路禎子=とみのこうじよしこ。1926~2002。
    女子学習院高等科卒。昭和期の歌人。

0243

 今宵より 後の命の もしあらば さは春の夜を
かたみとおもはむ
                源資通 

(こよいより のちのいのちの もしあらば さは
 はるのよを かたみとおもわん)

意味・・寿命というものは、いつ、果てるか分かりませが、
    今から後の私の人生に、春の夜が巡り来るたびに、
    あなたとお会いした夜を思い出す事でしょう。

    源資通が菅原孝標女(たかすえのむすめ)たちの女
    房(女官のこと)がいる所にやって来て「あなたが
    た、春と秋と、どちらがお好きですか」尋ねると、
    一緒にいる女房が「秋の夜が好き」と答えるのを
    聞いて、孝標女は次の歌を詠んだ。

    浅緑 花もひとつに 霞みつつ おぼろに見ゆる
    春の夜の月  (新古今・56)

         (浅緑の空とほのかな桜。それがひとつに霞わたっ
    た中の春のおぼろ月。私は春の夜に魅かれます)

    菅原孝標女は源資通の歌を聞いて胸をときめかせ
    たという。

 注・・さは=多は。たくさん、数が多い事を表す。
    かたみ=過ぎ去ったことを思い出させるもの。

作者・・源資通=みなもとのすけみち。1005~1060。従
              二位参議。
    菅原孝標女=すがわらのたかすえのむすめ。101
    0年頃の女性。更級日記が有名。

出典・・更級日記(著者・菅原孝標女)


生きざまの まさしきものら 微かなる 蝶にして濃き
蝶紋ありき
                   安永蕗子

(いきざまの まさしきものら かすかなる ちように
 してこき ちょうもんありき)

意味・・たしかな生をうけたものは、たとえ虫であって
    も、まぎれもない生を営んでいる。かそかな蝶
    に他ならないが、みごとにきわやかな文様の羽
    を見せている。

    小さな蝶にも美しい模様を付けており、生きて
    いる事を主張している。

 注・・まさしき=正しき。たしかに、まさに、まちが
     いなく。
    微か=人目につかない様子、わずかに認められ
     る様子。

作者・・安永蕗子=やすながふきこ。1920~2012。熊
    本師範卒。

出典・・歌集「蝶紋」(東京堂「現代短歌鑑賞事典」)


春の鳶 寄りわかれては 高みつつ
                   飯田龍太

(はるのとび よりわかれては たかみつつ)

意味・・雌雄の鳶でしようか。相寄ったり別れたり
    しながら、春の長閑な空をほしいままに旋
    回している。少しずつ少しずつ高みながら。
    
    恋に限らず人の世には出会いと別れがつき
    ものです。何があっても常に「高みつつ」
    飛翔し続けること。この志こそが大切です。

作者・・飯田龍太=いいだりゅうた。1920~2007。
    国学院大学卒。飯田蛇笏は父。

出典・・黛まどか著「あなたへの一句」 


春雨の けならべ降れば 葉がくれに 黄色乏しき
山吹の花
                  正岡子規

(はるさめの けならべふれば はがくれに きいろ
 ともしき やまぶきのはな)

意味・・春雨が毎日毎日降るので、葉の陰に散り残った
    黄色の花も、まことに数少なくなり色も褪せて
    きたものだ、山吹の花は。

    「黄色乏しき」に山吹の盛りの過ぎたのを惜し
    み、また、自分の体力の衰えた状態を重ねてい
    ます。

 注・・けならべ=日並べ。日数を重ねる。
    黄色乏しき=「乏しき」は不足、欠けているの
     意。ここでは山吹の黄色の花が大方散って残
     り少ないこと。子規の病状の衰えを暗示して
     いる。

作者・・正岡子規=まさおかしき。1867~1902。35歳。
    東大国文科中退。結核・骨髄カリエスを患う。

出典・・墨汁一滴(谷馨著「現代短歌精講」)

0546

鶯や 百人ながら 気がつかず
                   良寛

(うぐいすや ひゃくにんながら きがつかず)

意味・・鶯の声は昔から人々にもてはやされ来たのに、
    名高い「小倉百人一首」の歌人たちは、百人
    ともにみな鶯の素晴らしさに気がつかず、誰
    も歌に詠んでいないのは不思議なことだ。

 注・・百人=ここでは藤原定家が京都の小倉山荘で
     選んだと伝えられる「小倉百人一首」の歌
     人たち。
    ながら=すべてがその状態を継続している意
     味の接続助詞。そっくりそのまま。

作者・・良寛=りょうかん。1758~1831。越後出雲
    崎に神官の子として生まれる。18歳で曹洞宗
    光照寺に入山。

出典・・谷川俊朗著「良寛全句集」。
 

1744 (2)

 
ひさかたの 天道は遠し なほなほに 家に帰へりて
業を為まさに
                  山上憶良
 
(ひさかたの あまじはとおし なおなおに いえに
 かえりて なりをしまさに)

意味・・俗を脱して仙人になって天に昇ろうと志した
    ところで、天への道はとても遠くて行き尽せ  
    るものではない、家に帰って日常の業務にい
    そしみなさい。

    詞書によると、憶良が地方官として筑前の国
    に赴任していた時、身辺に一人の奇人がおり、
    脱俗の仙人気取りで、口では高尚に議論をも
    てあそびながら、現実では老父母や妻子の生
    活を省みない、といった男に反省させる為に
    詠んだ歌です。
    長歌では、雲をつかむ様な観念の世界に遊ん
    でいるのはほどほどにして、妻子との日常茶
    飯の現実生活を大切にしなさい、日常の堅実
    な生活の方がむしろ人間にとっては大切なの
    だよ、と詠んでいます。

 注・・ひさかた=天・光・月などに掛かる枕詞。
    天道(あまじ)=天に行く道、理想の道。
    なほなほに=直直に。まっすぐに、すなおに。
    業(なり)=職業、多くは農業をさす。

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。
     遣唐使として渡唐。従五位下・筑前守。

出典・・万葉集・801。


なにごとを 春のかたみに おもはまし けふ白河の

花見ざりせば    
                   

(なにごとを はるのかたみに おもわまし きよう
 しらかわの はなみざりせば)

意味・・もし、今日白河で花見をしなかったら、何を
    もって過ぎ行く春のかたみと思いましょうか。
    かたみとなるものが無かったでしょう。白河
    の花見が、今年の春のよい思い出になりまし
    た。

 注・・春のかたみ=春の記念。「かたみ」は過ぎ去
     ったことの面影をしのばせるもの。
    思はまし=思うだろうか。「まし」はもし・・
     だったら・・だろう。

作者・・伊賀少将=いがのしょうしょう。生没年未詳。
    従五位藤原顕長(あきなが)の女(むすめ)。父
    の国名をとって伊賀少将と号する。

出典・・後拾遺和歌集。

このページのトップヘ