名歌名句鑑賞のblog

心に残る名言、名歌・名句鑑賞。

カテゴリ: 和歌・俳句

0583

花めきて しばし見ゆるも すずな園 田盧の庵に 
咲けばなりけり
                  橘曙覧

(はなめきて しばしみゆるも すずなその たぶせの
 いおに さけばなりけり)

意味・・春の七草のひとつ、すずながいかにも美しく
    咲いておりますが、それはこんな田舎の粗末
    な庵に咲いているからこそ、美しく見えるの
    でございます。私ごとき者をお城に呼んでい
    ただいても、不似合いなだけでございますよ。

    福井藩藩主松平春嶽(しゅんがく)は曙覧の庵
    に使者を送り、仕官するように求めた。登城
    させて古典や和歌の講義、また、風雅な心を
    学ぼうとしたのであるが、曙覧は春嶽の依頼
    を断るために詠んだのがこの歌です。

    曙覧が宮仕えをしていたなら、貧しい一家の
    生活はさぞかしうるおったことであろう。
    同時に、はかりしれない名声も得たことだろ
    う。しかし、彼はそうしなかった。富と名声
    ではなく、あえて自由な境地を選んだのだっ
    た。そして、国学を学びながら和歌や書を楽
    しんだ。好きな時に好きな事をして生きたの
    であった。

 注・・しばし=少しの間。
    園=畑。
    田盧の庵
(たぶせのいお)=田畑の中に造った
     仮小屋。

作者・・橘曙覧=たちばなあけみ。1812~1868。早く
    父母に死に分かれ、家業を異母弟に譲り隠棲。
    福井藩の重臣と親交。

出典・・岩波文庫「橘曙覧全歌集」。


咲けばちる 咲かねば恋し 山桜 思ひ絶えせぬ

花のうへかな
                中務 

(さけばちる さかねばこいし やまざくら おもい
 たえせぬ はなのうえかな)

詞書・・子にまかりおくれて侍りけるころ、東山に
    こもりて。

意味・・花が咲けば散ってしまうかと心配し、咲か
    なければまたひたすらに恋しく思われます。
    亡くなった私の子供と同じように、花にも
    物思いが絶えません。

作者・・中務=なかつかさ。本名・生没年未詳。父が
     中務卿であったので「中務」と呼ばれた。
     960年頃の歌人。

出典・・拾遺和歌集・36。


一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 音の清きは
年深みかも
                市原王 

(ひとつまつ いくよかへぬる ふくかぜの おとの
 きよきは としふかみかも)

意味・・この一本松は幾世代を経たのだろう。吹き
    当たる風の音の澄んでいるのは樹齢が重な
    っているためだろうか。

    幾風雪を凌(しの)いだ老松を捉えて、その
    素晴らしさを讃えています。

作者・・市原王=いちはらのおおきみ。生没年未詳。
     743年従五位下・備中守。

出典・・万葉集・1042。

0733



つはものの 手に手に折りて 敷き寝せる 青葉の上に
月照りわたる
                     森鴎外

(つわものの てにてにおりて しきねせる あおばの
 うえに つきてりわたる)

意味・・兵たちが、手に手に木の小枝を折って、それを
    敷いて寝ている。その青葉の上に月が冴(さ)え
    て照っている。

    鴎外は日露戦争に、軍医として出征している。
    陣中、地べたに青葉のまま小枝を敷いて睡眠を
    とるのである。このゴロ寝する、荒涼とした戦
    場の哀れさを詠んでいます。

作者・・森鴎外=もりおうがい。1862~1922。東大医
    学部卒。医者・小説家。

出典・・詩歌集「歌日記」(武川忠一篇「現代短歌鑑賞
    辞典」)

五月雨に 干すひまなくて 藻塩草 煙も立てぬ
浦のあま人        
                 西行

(さみだれに ほすひまなくて もしおぐさ けぶりも
 たてぬ うらのあまびと)

意味・・降り続く五月雨のため、浦の海人は藻塩草を
    干す時がないので、焼く事も出来ず煙も立た
    ないことだ。

    梅雨で雨が降り続き、海藻を干し焼いて製塩
    が出来ない漁夫の嘆きを詠んでいます。
   
 注・・五月雨=陰暦五月の雨、梅雨。
    藻塩草=海草に海水を含ませて乾かし、それ
     を焼いた灰を水にとかし、その上ずみを煮
     つめて塩を作るがその為の海草。
    あま人=海人。漁業に従事する人、漁夫。

作者・・西行=さいぎょう。1118~1190。俗名佐藤
    義清(のりきよ)。

出典・・歌集「山家集」。


けふもけふ あやめもあやめ 変らぬに 宿こそありし
宿とおぼえぬ        
                   伊勢大輔

(けふもけふ あやめもあやめ かわらぬに やどこそ
 ありし やどとおぼえぬ)

詞書・・長年住んでいた所を離れて転居して、翌年の
    5月5日に詠んだ歌。

 注・・伊勢大輔集には「一所に住んでいた人が引っ
    越してしまって、翌年の五月五日にその許へ
    贈った歌となっている」。

意味・・今日も去年と同じ今日、5月5日、あやめも去年
    の端午の節句と同じあやめで、少しも変らない
    のに、この住まいだけは、住み慣れた以前の住
    まいと同じとは思われないことだ。

    去年と同じ5月5日。あやめも同じように美し
    く咲いている。親しい女官たちと一緒に住んで
    いた家も変わらない。何も変わらない中で離れ
    離れになった女官仲間はいない。今頃どうして
    いるだろうか。

作者・・伊勢大輔=いせのだいふ。11世紀半ばの人。越
    前守・高階成順(たかしななりのぶ)の妻。

出典・・後拾遺和歌集・213。


心にも あらで憂き世に ながらへば 恋しかるべき
夜半の月かな       
                  三条院
        
(こころにも あらでうきよに ながらえば こいし
 かるべき よわのつきかな)

詞書・・病気になって帝位を去ろうと思っている
    時分、明るい月を見て詠んだ歌。

意味・・心ならずも、この辛い世の中に生き長ら
    えていたならば、今、この宮中で眺める
    夜半の月も、恋しく思い出されるに違い
    ないだろうなあ。

    病気などの理由で、不本意ながらに退職
    する時の気持ちであり、退職した収入の
    ない将来の絶望的立場より今の時点を振
    り返って見ると、病気をしていても仕事
    をしている今が、不遇でも恋しくなるだ
    ろうなあ、という気持ちを詠んでいます。

 注・・心にもあらで=自分の本意ではなく。早
     く死んだほうがましだという気持ち。
    憂き世=生きるのにつらい世。
    ながらへば=生きながらているならば。

作者・・三条院=さんじょういん。976~1017。

    三条天皇は眼病に苦しみ、藤原道長に退
    位を画策され帝位を去る。

出典・・後拾遺和歌集・860、百人一首・68。

ほととぎす 空に声して 卯の花の 垣根も白く
月ぞ出でぬる
                 永福門院

(ほととぎす そらにこえして うのはなの かきねも
 しろく つきぞいでぬる)

意味・・ほとどぎすが空で一声鳴いて過ぎ、地上には
    卯の花が垣根に白く咲きこぼれている。折し
    も垣根の向こう、中空を見ると、月がちょう
    ど出てきた所である。

    この歌を基にして佐々木信綱は「夏は来ぬ」
    の唱歌を作っています。
    卯の花は初夏の花で、そのころほととぎすも
    ようやく鳴き始めます。

    「夏は来ぬ」 
    作詞 佐々木信綱 作曲 小山左之助
     https://youtu.be/XQm1qk53suc

    卯の花の匂う垣根に 
    時鳥早やも来鳴きて
    忍び音もらす 
    夏は来ぬ

作者・・永福門院=えいふくもんいん。1271~1342。
    京極派の代表歌人。

出典・・玉葉和歌集。

0893


なべて世の はかなきことを 悲しとは かかる夢みぬ
人やいひけむ
                     建礼門院右京大夫

(なべてよの はかなきことを かなしとは かかる
 ゆめみぬ ひとやいいけん)

意味・・世間の人はよく、この世ははかなくて悲しい
    ものだと簡単に言ってしまうが、それは今度
    の私のように恋しい人を死なせてしまうとい
    う恐ろしい目にあったこともなく、またそん
    な悪夢を見たこともないからこそ、そんな気
    楽なことが言えるのではないだろうか。

    恋人の平資盛(すけもり)が源平の戦いで壇の  
    浦で負けて入水したのを伝え聞いて詠んだ歌
    です。つい最近まで元気な姿で会っていたの
    に、この世は本当にはかないものだと悲しさ
    を実感した歌です。

 注・・なべて=並べて。おしなべて、一般に。
    はかなき=無常である、あっけない。

作者・・建礼門院右京大夫=けんれいもんいんうきよ
    うのだいぶ。1157頃~1227頃。高倉天皇の
    中宮平徳子(建礼門院)に仕えた。この間に平
    資盛との恋が始まる。1185年に壇の浦で資盛
    ら平家一門は滅亡した。

出典・・後藤安彦著「短歌で見る日本史群像」。

0664


ふと思ふ ふるさとにゐて 日毎聴きし 雀の鳴くを
三年聴かざり
                   石川啄木

(ふとおもう ふるさとにいて ひごとききし すずめの
なくを みとせきかざり)

意味・・ふと思った。自然豊かなふるさとにいた頃には
    毎日のように耳にしていた雀の鳴き声だったが、
    ふるさとを遠く離れて暮らす今、もう三年もの
    間耳にすることがない。

作者・・石川啄木=いしかわたくぼく。1886~1912。
      26歳。盛岡尋常中学校中退。与謝野夫妻に師事
    するために上京。新聞の校正係などの職につく。

出典・・一握の砂。

0255

帚木の 心を知らで 園原の 道にあやなく
まどひぬるかな
              光源氏
 
(ははきぎの こころをしらで そのはらの みちに
 あやなく まどいぬるかな)

意味・・信州の園原に生えている帚木は、遠くから見える
    けれど、近づいていくと見えなくなる木といいま
    す。あなたは帚木のような方。あなたの心をはか
    りかねて、迷いに迷って、道にたたずんでいる私
    です。

    光源氏の恋を、夫がいるばかりに受け入れられな
    い空蝉を口説いている歌です。この歌に対して「
    いやしい私ゆえ、あなたがお近づきになれば消え
    てしまうのです。どうか私のことはお忘れくださ
    い」ときっばりとした拒否の歌を歌いますが、光
    源氏を思う情念は強く、夫がいるばかりに好きだ
    と言えない空蝉は悩みます。

 注・・帚木=遠くから見れば箒を立てたように見えるが
     近寄ると見えなくなるという木で信州の園原に
     あるという。
    園原=長野県伊那郡にある台地。
    あやなく=筋がとおらない、訳が分からない、い
     われがない。

作者・・光源氏=ひかるのげんじ。源氏物語の主人公。

出典・・源氏物語・空蝉。

8524

 
天霧らひ ひかた吹くらし 水茎の 岡の港に
波立ちわたる
                 詠み人知らず
                 
(あまきらい ひかたふくらし みずくきの おかの
 みなとに なみたちわたる)

意味・・空が一面に曇って風が吹いている。岡の港には
    波が一面に立っている。

    波が高いので、舟の航行を心配して詠んでいます。

 注・・ひかた=日方。日のある方から吹く風、西南の風。
    水茎=岡の枕詞。
    岡の港=福岡県遠賀郡を流れる遠賀川の河口。

出典・・万葉集・1231。


袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの
風やとくらむ        
                  紀貫之


(そでひちて むすびしみずの こおれるを はるたつ
 けふの かぜやとくらん)

意味・・暑かった夏の日、袖の濡れるのもいとわず、
    手にすくって楽しんだ山の清水、それが寒さ
    で凍っていたのを、立春の今日の暖かい風が、
    今頃は解かしているだろうか。

 注・・ひちて=漬ちて。侵って、水につかって。

作者・・紀貫之=872年生。土佐守。古今和歌集の撰
    者。

出典・・古今和歌集・2。

1782

梓弓 春はそれとも 分かぬまに 野辺の若草
染め出ずるなり
                良寛

(あずさゆみ はるはそれとも わかぬまに のべの
 わかくさ そめいずるなり)

意味・・暖かい春が、もうそこに来ているともよく
    分からない間に、もう新しく萌え出た若草
    は、淡い緑色で野原をいろどり始めたこと
    だ。
    
 注・・梓弓=「春」の枕詞。

 


妹と出でて 若菜つみにし 岡崎の 垣根恋しき 
春雨ぞ降る
                 香川景樹

(いもといでて わかなつみにし おかざきの かきね
 こいしき はるさめぞふる)

意味・・妻とともに外に出て若菜を摘んだ、あの岡崎の
    家の垣根をなつかしく思い出させる春雨が降っ
    ていることだ。

    単身赴任している景樹は、春雨が降ってくると
    この雨で若菜が生長するだろうと思い、そう言
    えば昔、妻と一緒に若菜を摘みに行ったことが
    あったなあと思い出され、妻が恋しくなったと
    いう気持を詠んでいます。

 注・・岡崎=京都市左京区の地。景樹の本宅があった。
     当時は京都の洛外にあり少し家を出ると若菜
     を摘むことが出来た。

作者・・香川景樹=かがわかげき。1768~1843。

出典・・桂園一枝(笠間書院「和歌の解釈と鑑賞辞典」)


あしびきの こなたかなたに 道はあれど 都へいざと
いふ人ぞなき       
                    菅原道真

(あしびきの こなたかなたに みちはあれど みやこ
 へいざと いうひとぞなき)

意味・・山のこちらにもあちらにも道はあるけれど、
    「都へ、さあ行こう」と言ってくれる人は
    いないことだ。

    無罪の罪が晴れて都に帰る道への切実な願
    いに、力を貸してくれる人は一人もいない。
    その悔しさを詠んでいます。

    道真は901年に右大臣の時、藤原時平の
    謀略により大宰府に配流されて3年後に、
    配所で亡くなった。  

 注・・あしびき=山の枕詞。山の意に用いる。
    こなたかなた=こちらにもあちらにも。
    都へいざ=「都へいざ行かん」の略。

作者・・菅原道真=すがわらのみちざね。903年没。
    59歳。従二位右大臣。当代随一の漢学者。

出典・・新古今和歌集・1690。


今は音を 忍びが岡の 時鳥 いつか雲井の 
よそに名告らむ
              安井仲平

(いまはねを しのびがおかの ほとどぎす いつか
 くもいの よそになのらん)

意味・・私は、忍びが岡に生まれたほとどきすだか、
    まだ声をひそめるような鳴き方しか出来ず、
    皆に笑われ耐え忍んでいるが、いつの時にか
    必ず、美しい声で大空に届くように鳴いてみ
    せよう。
    

    昌平学校に学んでいる仲平は顔に痘痕(あば
    た)があり器量が悪かったので同窓の者に馬鹿
    にされていた。それでこの歌を詠んで壁に貼
    って座右の銘としていた。

 注・・忍びが岡=「忍び」は固有名詞の忍ヶ岡と「
     耐え忍ぶ」の意と、また「声をひそめるよ
     うな鳴き声」の意の忍ぶを掛ける。
    雲井=雲のある所、空。
    よそに=余所に、かけ離れた所。
    昌平学校=ペリーの来航以来、徳川幕府の洋
     学の教育機関として設立された。その後、
     開成学校となり東京大学に発展した。

作者・・安井仲平=やすいちゅうべい。1799~1876。
    儒学者。天然痘にかかり顔面疱瘡痕で片目を
    失う。


大野山 霧立ち渡る わが嘆く おきその風に

霧立ちわたる
               山上憶良

(おおのやま きりたちわたる わがなげく おきその
 かぜに きりたちわたる)

意味・・大野山に霧が立ち込めている。あれは妻の死を
    悲しんで山を包んでいる私の嘆きの息なのだ。
    私の嘆く息吹(いきぶき)の風で、その深い嘆き
    が霧になつたのだ。

    大伴旅人が大宰府の帥(そち)として着任したが
    すぐに妻の大伴朗女(いらつめ)は病死した。
    この時、山上憶良が大伴旅人の気持ちになりき
    って詠んだ歌です。大野山に棚引く霧を、深い
    嘆きの息が霧になったと詠んでいます。

 注・・大野山=福岡県太宰府市・大野城市にまたがる
     410mの山。現在の四王寺山。4つの山から
     構成され総称として四王寺山と呼ばれる。
    おきそ=息嘯。おきうその転で「おき」は息の
     意。「うそ」は嘯(うそぶ)くのうそ、ため息。
     嘆息。

作者・・山上憶良=やまのうえのおくら。660~733。
    遣唐使として渡唐。筑前(福岡県)の国司。

出典・・万葉集・799。


うつせみの 世にも似たるか 花ざくら 咲くと見しまに 
かつ散りにけり              
                   詠み人知らず

(うつせみの よにもにたるか はなざくら さくとみしまに
 かつちりにけり)

意味・・はかなく崩れやすい人の世によくも似たものだ。
    咲いたかと思う間に、桜の花は片っ端から散っ
    てしまうものだ。

    仏教の無常観を詠んでいます。青年期、壮年期
    老齢期と人は留まらず変化し続けています。過
    ぎ去って振り返ると早いもの。まるで花が咲い
    たかと思ったら散ってしまうように。

 注・・うつせみ=世・命に掛る枕詞。現世のはか
     なさ。
    かつ=すぐに。次から次に
    無常=いつも変化していること。

出典・・古今和歌集・73。

年ふれば あれのみまさる 宿の内に 心ながくも
すめる月かな       
                  善滋為政

(としふれば あれのみまさる やどのうちに こころ
 ながくも すめるつきかな)

意味・・年月を重ねたので、荒れることばかりがひどく
    なってしまっている家の中に、気長くも差し込
    んで、よく澄んで住みついる月だなあ。

    戦乱や病気などで大黒柱を失った屋敷は修理が
    ままならず、荒れ放題になってしまった。その
    結果月が差し込むような状態になり、さびれた
    家を悲しんで詠んでいます。
    
 注・・年ふれば=年月がたったので。
    宿=住居、家屋。宿の内は家の中。
    心ながく=気が長い。長く気持ちが変わらない。
    すめる=「澄める」と「住める」の掛詞。
 
作者・・善滋為政=よししげのためまさ。生没年未詳。
    従四位上・文章博士。

出典・・後拾遺和歌集・833

0776


ありし世の 旅は旅とも あらざりき ひとり露けき
草枕かな        
                  赤染衛門

(ありしよの たびはたびとも あらざりき ひとり
 つゆけき くさまくらかな)

詞書・・頼りにしていました人に先立たれて後、
    初瀬の寺に参詣して、夜泊まっていた
    所に、草を結んで、「枕にしなさい」
    といって。人がくださいましたので、
    詠みました歌。

意味・・夫の生きていたころの旅は、旅という
    ほどのものでもありませんでした。
    今は私一人、辛くて涙ぽい草枕の旅寝
    をしていることですよ。

    「枕にせよ」といって結んだ草を贈ら
    れた好意に対し、夫の死後の旅寝の述
    懐によって答えた作です。

 注・・ありし世=夫が生きていたころ。
    露けき=涙がちな。
    草枕=旅寝の枕詞。

作者・・赤染衛門=あかぞえもん。生没未詳。
    1041年頃80歳余。平兼盛の娘とも伝
    えられている。
 
出典・・新古今和歌集・923。


さすたけの 君と語りて うま酒に あくまで酔へる 

春ぞ楽しき 
                 良寛

(さすたけの きみとかたりて うまさけに あくまで
 よえる はるぞたのしき)

意味・・親しいあなたと語り合って飲むこの美味い酒に
    満ち足りるまで飲んで酔った春の日はまことに
    楽しいことだ。

 注・・さすたけ=君の枕詞。
    うま酒=味のよい酒。
    あく=満ち足りる。

作者・・良寛=1758~1831。

出典・・谷川敏郎著「良寛全歌集」。


0623


ふかみどり はやまの色を 押すまでに 藤のむらごは
咲きみちにけり           
                   恵慶

(ふかみどり はやまのいろを おすまでに ふじの
 むらごは さきみちにけり)

意味・・ここは深い緑の木がおおう里山。藤の花が咲き
    充ちた今は、花の紫の濃淡が全山の緑を押し負
    かすほどになっているではないか。

    藤は蔓性の植物。木々の梢から梢へ、枝から枝
    へ、蔓が這い伝う。山の斜面が紫の花房に縫い
    綴られた状態を詠んでいます。

 注・・はやま=端山。山の麓のあたりや人里に近い低
     山をいう。「葉山」を掛ける。
    藤のむらご=「斑濃・むらご」は同じ色で濃淡
     がまだらになっているもの。藤の花びらは色
     の濃い紫のところと薄い紫のところがある。

作者・・恵慶=えぎょう。生没年未詳。960年頃活躍し
     た
出典・・松本章男著「花鳥風月百人一首」。

0811


濁り江の すまむことこそ 難からめ いかでほのかに
影をだに見む
                  詠み人知らず

(にごりえの すまんことこそ かたからめ いかで
 ほのかに かげだにみん)

意味・・濁り江が澄まないように、あなたと一緒に住む
    ことは難しいでしょう。けれども、せめて水に
    映るあなたの仄(ほの)かな姿だけでも見ていた
    いのです。

 注・・濁り江=濁っている入り江。
    すまむ=「澄まむ」と「住まむ」を掛ける。
    ほのかに=仄かに。かすかに、ちょっとでも。

出典・・新古今和歌集・1053。

0738


古への 人の踏みけむ 古道は 荒れにけるかも
行く人なしに
               良寛 

(いにしえの ひとのふみけん ふるみちは あれに
 けるかも ゆくひとなしに)

意味・・昔のすぐれた人が踏み固めたという古い道は
    通る人もなく荒れてしまった事だ。そのよう
    に古くからの正しい教えは、踏み行う人もな
    く、すっかりすたれてしまったものだ。

    現在では「節約」は死語になり、物を大切に
    するより「消費」が大切な時代になった。

 注・・古道=宗教、学問、芸術、道徳全般の古くか
     らの教え。

作者・・良寛=1758~1831。

出典・・良寛全歌集。

1824

 
あはれしばし この時過ぎで ながめばや 花の軒端の
匂う曙
                    従三位為子

(あわれしばし このときすぎで ながめばや はなの
 のきばの におうあけぼの)

意味・・ああ、今しばらくこの時が過ぎてしまわないで
    眺めていたいものだ。花の咲き誇っている軒端
    に美しい色を見せている春の曙の景色を。
    
 注・・あはれ=喜怒哀楽を表す語。ああ、なんとまあ。
    過ぎで=「で」は上の事実を打ち消して下に接
     続する意を表す。過ぎずに。

作者・・従三位為子=じゅうさんみためこ。藤原為子。
    1316年頃没。伏見院・永福門院の女房。

出典・・玉葉和歌集。

0864


石崖に 子ども七人 腰かけて 河豚を釣り居り

夕焼け小焼け
               北原白秋 

(いしがけに こどもしちにん こしかけて ふぐを
 つりおり ゆうやけこやけ)

詞書・・庭前小景。

意味・・海岸の石崖には赤々と夕焼けが輝き、その石
    崖の上に子供が七人腰をかけて、河豚を釣っ
    ている。

    魚釣りに夢中になっている子供達は収穫があ
    ったのだろう。沢山釣って家に持ち帰って、
    お母さんに自慢話をしょうと思っているかも
    しれない。釣りは楽しだろうが、夕焼け小焼
    けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる・・・。
    もう家に帰るころですよ。

作者・・北原白秋=きたはらはくしゅう。1885~1942。
     詩集「邪宗門」。

出典・・歌集「雲母集」。

0913


鳴く蝉を 手握りもちて その頭 をりをり見つつ
童走せ来る
                窪田空穂 

(なくせみを たにぎりもちて そのあたま おりおり
 みつつ わらわはせくる)

意味・・手の中で高く鳴いている蝉を、しっかり握り
    持って、その蝉の頭を、時々のぞき見しなが
    ら、小さな子供が駆けて来る、いかにも嬉し
    そうで、ほほえましい。

作者・・窪田空穂=くぼたうつぼ。1877~1967。早稲
     田大学卒。早大文学部教授。

出典・・歌集「鏡葉」(桜楓社「現代名歌鑑賞辞典」)

0823



龍田山 見つつ越え来し 桜花 散りか過ぎなん
わが帰るとに
               大伴家持

(たったやま みつつこえこし さくらばな ちりか
 すぎなん わがかえるとに)

意味・・龍田山を越える時に眺めながらやって来た、あの
    桜の花は、すっかり散り果てていることであろう
     か。私の帰る頃には。

    防人を取り仕切る仕事で、難波に滞在中の時の歌
    です。今の仕事を無事に終わらせ、早く帰りたい
    という気持ちがあります。

 注・・龍田山=奈良県生駒郡の山。
    帰るとに=「と」はここでは時、折の意。

作者・・大伴家持=大伴家持。718~785。大伴旅人の長
    男。越中(富山)守。万葉集の編纂を行う。

出典・・万葉集・4395。

 

0015

南瓜の 花むらがりて 咲く道に いきぐるしさや
ひとに逢ひつる
                楠田敏郎

(かぼちゃの はなむらがりて さくみちに いき
 ぐるしさや ひとにあいつる)

意味・・南瓜の花が群がって咲く畑の中、人気のない
    細い小径の途中に来た時、ああ、どきどきと
    胸が高鳴って来て息苦しくなってきた。偶然
    にも、向こうから近づいて来るあの人に出会
      ってしまって。

 注・・ひと=ひそかに私が心を魅かれている人。初
     恋の女性。

作者・・楠田敏郎=くすだとしろう。1890~1951。
    京都農林卒。前田夕暮に師事。明治~昭和期
    の歌人

出典・・荻野泰茂著「新万葉愛歌鑑賞」。

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